第五話:願われてしまったら

「え? 海原うなばら先輩ってこういうの好きなんですか?」


 驚きの声を上げた香純かすみの言葉と同じ感想を持った諒やあおいは、彼女と同じく意外そうな顔をする。


 日向ひなたが指差した場所。

 それはバトルエリアにあるアトラクション、『ドリフトカート』だった。


 様々なコーナーやストレートが複合したコースを、ゴーカートで三周する体感型アトラクションなのだが、やはりこういったものは男性に人気が高い。

 だからこそ彼らは驚きの顔を見せたのだが。


 萌絵は、皆があまりに予想通りの反応をしたのが面白かったのか。

 瞬間。くすりと笑ってみせた。


日向ひなたはここに来ると、毎回これに欠かさず乗るんだよ。ね?」

「もっちろん! 普段家族でよくここに来ると、妹達にせがまれて一緒に乗せて遊んでるんだけどさ~。風を切って走るのって最高に楽しいんだよね~」


 最高のアトラクションを紹介した、と言わんばかりに自慢気に立つ彼女を見て、あおい香純かすみは思わず互いに苦笑したのだが。


「確かに面白そうだけど。椿さんはこういう乗り物系って大丈夫?」


 諒はふと少し心配になり、椿にそう問い掛けていた。


 萌絵は普段日向ひなたと一緒に遊んでいると言っていた為大丈夫だろうと思い。あおい香純かすみもこういうアトラクションが好きなのを知っている為問題視していないのだが。

 遊園地に友達と来たことがないと言っていた椿に関しては、やはりこういった物にのる印象が浮かばなかったのだ。


 しかし、そんな諒の心配を他所に、椿はこれまたきらきらと期待に胸を膨らませたような眼差しを皆に向ける。


「このような物に乗った経験はございませんが、問題はございませんよ。風を切って走るというものがどのようなものなのか、是非体験したいと思っておりましたし」

「おお~。じゃあばっちしじゃん! ねえねえ。みんなも構わない?」


 心強い味方を得た日向ひなたが話をまとめようと一気に動くと、


「僕も好きだからそれでいいよ」

「私も別に大丈夫ですよ、海原うなばら先輩」

「私も大丈夫。諒君は?」

「俺も別にいいよ」

「よ~っし。じゃあ決まりね!」


 皆が特に異論もなくその案を受け入れると、日向ひなたと椿は、嬉しそうな顔を浮かべるのだった。


* * * * *


 アトラクションの列に並んで三十分ほど。

 待ち時間の間に、事前にじゃんけんでペアとなる相手を決めてたりしながら時間を潰し。ついに諒達の順番が回ってきた。


「よ~っし! 私あの赤いのね! 行こう! あおい君」

「うん。それじゃみんな、後でね」


 先行してコースに置かれたカートに飛び出していったのは日向ひなたあおいペア。


香純かすみちゃん。私こういうのてんでダメだから、運転任せてもいい?」

「はい! 海原うなばら先輩には負けませんからね!」


 そんな会話と共に青のカートに向かったのは萌絵と香純かすみのペア。

 そして。


「もし怖い時は言ってね。ちゃんと速度落とすから」

「はい。よろしくお願いいたします」


 最後に緑のカートに向かったのは、諒と椿のペアだった。


 三組はそれぞれ日向ひなた香純かすみ、諒がドライバーズシートに座り、助手席を含めしっかりとガードバーとシートベルトをして、スタートラインに並んだ。

 コースの先は森に隠れその全貌は分からない。

 ただ、日向ひなたの話では一周がかなり長めとは聞いている。


「妹ちゃん。さっきの聞こえてたからね。私の究極の走りに付いてこれるかな?」

「私だって負けませんからね。至高の走りを見せますからね。手加減なしです!」

「妹ちゃんのそういうノリ、やっぱ最高だね!」


 ライバル心を燃やし、楽しげに会話を交わしている彼女達とは裏腹に。


「えっと。ガードバーを両手でしっかり握っててね。あと、横揺れとかで気持ち悪くなるかもだから、何かあったらすぐ言ってね」

「はい。お気遣いありがとうございます」


 何ともマイペースに諒と椿は準備を進めていた。


 と。

 ついにスタートシグナルが赤く点灯し、もうすぐレース開始の合図となると。

 日向ひなたはわくわくした顔で。

 香純かすみは緊張した顔で。

 諒は普段どおりの顔で、その色が青になるのを待つ。


 そして……。


  ビッ ビッ ピーン!


 シグナルが青に変わった瞬間。

 日向ひなた香純かすみの乗ったカートは勢いよく飛び出した。

 唯一諒達のカートだけは、ゆっくりとスタートを切り、徐々に加速していく。


 走り出したカートに乗った椿の、周囲を流れる景色がコースを進むと共に森へと変化し。強く感じ始めたカートの振動と、肌に感じる風がより強くなる。

 背中越しに感じるエンジンの音。コーナーを曲がる時に振られし身体。

 それらが直に迫力となり彼女に伝わってくる。


  ──大丈夫かな?


 やや速度を抑えつつ、諒は横目で椿の様子を伺うと、そこにあったのは、予想に反し、より目を輝かせ興奮する椿だった。


「諒様! これが風を切る感覚なのですね!」


 感動を言葉にし叫ぶ彼女の生き生きとした表情は、やはり普段の大人しく淑やかなイメージとは真逆。


  ──案外、子供っぽいんだな。


 これもまた、彼が知らない椿の姿。

 心から楽しんでいるのを見せている笑みから感じ、ふっと諒の気持ちが和らぐ。


 とはいえ、これ以上飛ばすのは危険。諒はそう思っていたのだが。

 彼女の興奮はそれだけでは収まらなかった。


「諒様お願いです! もっと速度をお出しください!」

「え!?」

わたくし、諒様に皆様に勝っていただきたいのです!」


 未だ興奮冷めやらぬ笑顔で、彼女はそんな願いを告げる。

 だが、日向ひなた香純かすみはもう随分と先。たまに森の切れ目から見える先のコースでデットヒートを繰り広げる二台が見えるのみ。

 余程上手く走らなければ、追いつかないだろう事は明白。


「飛ばすともっと揺れるし、危ないかもしれないよ!」

「構いません! 諒様を信じております!」


 危険を敢えて口にし警告した諒だったが、彼女の返す言葉に揺らぎはない。

 少しずつ速度をあげながら、ストレートに入った所でちらりと隣を見た瞬間。

 彼は椿の表情にはっとした。


 彼女が浮かべし真剣な表情に、二人の過去が重なる。

 それは数年前。

 文化祭で皆の前で歌う為、彼に勇気の翼を歌ってほしいと望んだ際の、椿の表情そのもの。


  ──……変わらないんだな。


 重なりし想い出に、諒の心が少し痛む。


 だが。

 願われたら。

 願われてしまったら。

 彼は、断る事などできなかった。


  ──……やってみるか。


 ほんの一瞬だけふっと笑った諒は、一転表情に真剣さを宿す。


「しっかりバー掴んでて。それから気持ち悪くなったりしたらちゃんと言うこと。いい?」

「は、はい!」


 彼の表情と言葉の変化に、椿が強く頷き返すと、諒は一気にアクセルを吹かし加速した。


 コーナーが近づいても今までのような減速はしない。

 コーナーに入る少し前。諒がハンドルを大きく切ると、フロントが一気にコーナーの内側に向き、今までにない程、カートがコーナーに合わせ大きな弧を描きながら横滑りをする。


 タイヤが悲鳴のような音を立て、白煙をあがる。

 だが、横滑りしつつもスピンはせず。綺麗にコーナーをドリフトで曲がり、抜けていく。


 彼女は、より強く感じる刺激に興奮した。


 先程以上に強く感じる向かい風。

 ドリフトでより大きく横へ振られる感覚と、目の前を目まぐるしく流れていく風景。


 森の中、少し長いストレートのトンネルを抜け、暫し日差しに照らされる。

 だが、またすぐに森の中に戻り、木々の木漏れ日を感じながら疾走する。


 これまでに経験した事のない感覚が、まるで鳥となり地面スレスレを羽ばたいるように錯覚させる。


「諒様! 凄い! 凄いです!」


 思わず興奮しながら、彼女は視線を彼に向けると。その笑みは瞬間、驚きに変わる。


 諒は声に反応する事なく、時に小刻みに、時に大きくハンドルを切り。

 ずっと脚を重ねているアクセルペダルとブレーキペダルを、コーナー手前で素早く踏み分ける。

 ドリフト中もカウンターを当てるように小刻みにハンドルを入れ。タイヤのグリップに合わせ一気にアクセルを強く踏み込んでいく。


 そこにいる彼は、まるで本気でレースをしているかのように、集中力を切らさず、真剣な顔つきで、運転し続けている。


 椿もまた、そこに重ねてしまった。

 初恋を覚えたあの日。

 自分に勇気を与えるため、真剣に歌ってくれた彼の姿を。


  ──諒様……。


 今。自身の子供のようなわがままな願いを聞き、彼はそれを叶えようとしてくれている。

 そこにある昔と変わらぬ彼の真剣さと優しさをはっきりと感じ、椿の胸が熱くなった。


 彼と二人きりで体験する、まるで夢のような時間。

 そして何より、昔と同じ諒の凛とした表情。


 それを見て。

 恋心が疼き、想いが疼いた。


 過去にちゃんと勇気を持てていたら、このような世界をもっと早く感じられたかもしれない。そんな後悔がわずかに浮かぶも。

 あの頃に経験できなかった出来事を、今、共に経験している。

 そんな大きな喜びが上回り、後悔をかき消し、心が強く躍った。


  ──本当に、ありがとうございます。


 彼女は心の中で感謝をすると、髪を靡かせる気持ち良い風を感じながら。

 この時間をしっかりと噛みしめつつ、危険な走りの最中さなか、嬉しさと楽しさが入り交じる最高の笑顔を見せるのだった。

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