67話

『そこ右です』


「了解」


 右耳に付けたイヤホンから少し緊張した様子のヤスが声を硬くしながら告げた。

 その指示に従い、俺と瞳さんは匍匐前進ほふくぜんしんのまま、右に曲がる。

 暗い、汚い、気持ち悪い、の3Kが揃ってる場所。狭くてじめじめして薄暗く、肌に張り付いた服がやけにうざったらしい。


「しっかし、本当に汚いわね……」


「まあ、ダクトですから」


 現在地は、若草組の本拠地である有限会社『若草』の建物の中だ。

 詳しく言えば、会社の隣にある途轍もなく大きい屋敷。

 そこに俺たちは忍び込んでいる。ちなみに夜。忍び込むっていったらやっぱり夜だよな!


 もちろん、入り口から堂々と行くわけにはいかないので、屋敷の裏手にあるダクトから入った。


 ちなみに、この情報はアマリリスからもたらされたものだ。

 

『報酬割り増しっすよ♪』


 うぉあ。幻聴聞こえた気がするぜ……。いや、まあ実際言われたんだけどな! ちくしょう、足元見やがって。

 ま、助かったのは事実だから文句を言っても仕方ない。 


『若……』


 順調に進んでいると、ふいにイヤホンから声を震わせたヤスの声が聞こえた。


「どうした?」


『いや、今さらなんですけど……これ、不法侵入ですよね!?』


「いや、本当に今さらだな!?」


 耳元でヤスのキーンとした声が響く。本当に今さらな発言に思わずツッコミを入れてしまう。

 犯罪を犯してるのはあっちも同じ。だからといってこっちも犯していいわけじゃないけど、これは仕方ないんだとしか言えない。

 警察なんてもっての他だし、他の組だって協力なんてしてくれるわけがない。


 結局、自分たちで動くしかない。それも早急に。

 丁重に扱われているという補償はないし、どのみちそれはあり得ない話だ。


「ヤスさん、犯罪の片棒を担がせてるのは心が痛むけど、お願い……! 私たちのために助けてくれる……?」


 ニヤニヤとそんなこと微塵に思ってないくせに、声だけは演技で振る舞う。

 悪どいなぁ……。


 姿が見えてないことを良いことに瞳さんはそんなことを言う。

 そしてヤスはもちろん騙される。


『も、もちろんですよ! こんなことへっちゃらです!』


 チョロい。見え見えの罠に引っ掛かる魚だな。憐れなりヤス。


 そして、どんまい。


「んで、次は?」


 そんな茶番が繰り広げられてくと、曲がり角に差し掛かる。

 アマリリスから貰った地図はヤスが持ってるため、どこに繋がっているのかはわからない。

 一応、前当主までの道は安全に確保されている……らしい。

 実際にたてた計画で上手くいくことなど早々ないことはわかっている。そうなればいいな、くらいに思ってた方が失敗した時に心が軽くなる。

 もっとも、失敗は許されないからな。第二、第三の案はちゃんとある。 


『んー、お! 右に曲がってしばらくすると、前当主に繋がるダクトに着きますよ!』


 喜色を滲ませたヤスが嬉々として報告する。


「ようやくね……」


 ホッとした様子で瞳さんがそう呟く。

 ダクトに忍び込んでからすでに二時間が経過している。

 やたらめったら広いこの屋敷を匍匐前進で進むのは思いの外時間が掛かった。

 さらには見つかることを警戒するストレスで、体感時間はもっと上のはず。

 武術を心得ている瞳さんだって、汗を滲ませてキツそうだ。


「ここからが本番……だな」


 警備の状況は少し聞いたが厳重そうだ。何とか工夫を凝らして偽装するか、

 T I K A R Aで解決するかの二つしかない。

 俺のオススメは後s……ゲフんゲフん。ま、まあ、平和的解決が一番だよな、うん。


「やっぱり力で行くしかないかしら……」


「ダメですよ。平和的にいきましょう」


 キリッとした顔でそんなことを宣う。どの口が言ってんだって? この口だよ! はい、ごめんなさい、面白くないですねはい。


 実際、逃げる時に時間を稼ぎたいから、偽装が一番優利なんだろうけど、どう偽装していいものか……。

 そういう道具があれば良いんだけど……。ダクトは狭いから道具の持ち込みは最低限さかできなかった。


「とりあえず、おじいちゃ……お祖父様おじいさまの様子を見て脱出方法を考えましょう」


 ん? 絶対おじいちゃんって言おうとしたな? さてはおじいちゃん子か? いや、仲悪そうだしどうなんだ……?

 まあ、それは置いといていつもからかわれているお仕置きをしておこう。

 内心ほくそ笑みながらニヤニヤして俺は言う。


「おじいちゃ……? あれ? おじいちゃんって言おうとしました?」


「……もぅ! ……あ」


 顔を赤くした瞳さんが、大して強くないパンチを俺の……ケツに入れてきた。

 ポスッと叩いた音の後にさらに赤くなる瞳さん。


 いや、まあ一列で進んでるし必然だったんだけど。

 それはそうと恥ずかしがる瞳さんはなかなかそそるものがあるな……。


「ほ、ほら行くわよ」


 いつもの調子を取り戻せていない瞳さんを尻目に俺たちは進んだ。




ヤス&ヒデ(イチャイチャすんなよ……)



☆☆☆



「いましたね」


「いたわね」


 上から覗き込むような形で、俺は鎖に縛られやつれた様子の前当主を発見した。

 俺は姿を初めて見たが、さすがにあんな囚われ方をしてたらさすがにわかる。

 

 前当主は、囚われていながらも、目には光が灯っているようだった。鷹の目のように鋭く尖った瞳は、脱出する機会をずっと待っているようだ。


「瞳さんのお祖父さん、めっちゃ強そうだな……」


『何言ってるんすか。実際強いに決まってるじゃないですか』


 俺の呟きに、何を当たり前のことを、という風にヤスが嘆息した。


「まあ、ワタシの武術の師匠でもあるからね……」


 それは確かに強そうだ。

 だが、俺が言ったのは外面的な強さではない。

 もちろん、細く使い込まれた筋肉に、老人には見えない程の覇気を纏う姿は強そうだ。


 だが、俺は前当主の、爛々とした瞳に揺らめく希望に強さを見た。

 決して諦めてたまるか、という心の叫びが身体中全てから迸っているようだ。ゆえに、信頼できそうだ。


 それだけ、ただ、それだけの話だ。



「見張りが二人いるわね」


「ですね……」


 よくアニメで見るような典型的な『牢屋』に前当主は囚われていた。

 鉄格子を挟んで、二人が欠伸をしながら監視に就いている。


 呑気なもんだ。多分、形だけの見張りだろう。

 ただ、形だけであって敵には変わりない。増援を呼ばれたらあっという間だ。


「音を出せばすぐに見つかりますね……どうしますか?」


「そうね……これじゃ、偽装もできそうにないわね」


 |─────────|

 | 部  ○ | 牢 | 

 | 屋  ○ | 屋 |

 |─────────|


(○は見張り。『|』は部屋の区切り)


 ちょうど、牢屋の真上に俺たちはいる。そして、そこは少し広いため二人で覗き込むことが可能になっている。

 さらに、ダクトの出口は静かに外すことは可能だ。

 ただ、そこからが難しい。


『自分……というかヒデが考えがあるそうです』


 すると、ヤスからそう提案された。ヒデは見張り担当で外にいるが、通信は繋いであるため、状況は理解できているのだろう。

 だが、マイクがないので喋ることはできない。おそらく、ヤスにメッセージで伝えているんだろう。


「わかった。話してくれ」


『はい。糸を持ってきてるはずなので、それにイヤホンを繋いで前当主の耳元まで運んでください。そして、こっちから話して協力を頼みましょう』


「おぉ、それは考えてなかったな。わかった。やろう」


「意外に頭が回るのね」


『意外は余計だそうです』


 少し笑いながらヤスがそう呟いた。

 そして、実行すべく、俺はポケットから透明な糸を出し、自らのイヤホンに繋ぐ。


「じゃあ、俺がやりますね」


「あ、待って」


 糸を垂らそうとすると、横にいた瞳さんが俺を止め、自分のイヤホンを差し出した。

 

「指示を聞けなかったら困るわ。わ、ワタシと二人で聴きましょう」


 またも顔を赤くして、片耳分のイヤホンを俺に近づけた。

 

「ちょっ、近いです……」


「仕方ないわよ。そう、仕方ないのよ……」


「自分に言い掛けてませんか!?」


 小声でそんなやり取りを交わす。しかし、計画のために俺は折れるしかなかった。

 すると、必然的にさらに密着するしかなく、こんな時にも関わらずふわりと漂ってきた『女子』の匂いにドキドキしてしまった。


 くっ、去れ煩悩!!

 心の葛藤を無視した形で計画はスタートした。



『聞こえてますか? そのまま静かに聞いてください』


「……!?」


 吊るされた糸の先にあるイヤホンからヤスの声が響いたのだろう。一瞬、前当主はビクッと身体を震わせたが、さすがというべきか本当に一瞬だけで、すぐに澄ました態度へと戻った。


 そして、ヤスは続ける。


『ええー、助けにきました。私らは『天笠』で、現当主であるお孫さんと、『天笠』の若頭とその他面々がいます』


 お孫さんというワードにピクリと眉を動かした前当主。さらに一応ライバルのような関係な『天笠』に助けられたのが屈辱だったのか顔を苦々しく歪めていた。

 てか、俺は若頭じゃないわ! まあ、体裁的にそう言うしかないんだろうけど、継ぐ気は一切ないんだよな。



『前当主には脱出するために協力してもらいます』



 そして、本格的に前当主奪還作戦が幕を開けた。



 


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