-08



 


「ちなみにこの文字、そっちからは見えるのか?」


『問題ありません。……しかし、どうなさるのですか?』





 場所は、未だなおこのダンジョンのスタートラインにて。


 俺は扉付近の台座、その上に野ざらしに置かれた錠剤と印刷紙を前に、まさしくの躊躇をしながら胸元の『アイテム』と会話する。



「まず聞きたいんだが、……この薬の効果が分かったりはするか?」


『いいえ。ギルドのデータベースにある錠剤とは照合できません。また、外見による判別は不可能です』



「こいつの欠片を『アイテム』に、……なんかこう、取り込ませて成分分析、とかは?」


『……いえ、そう言った機構のご用意はございません。申し訳ございません』



 謎の沈黙を経て後、『アイテム』はそのように返答をした。

 いや待てよ? 魔法世界ってなんでもできるって思って言ったけど確かに俺のさっきの言動は謎だな? じゃあ今の失笑か。



「……まあ、そうか。とりあえずそしたら、問題はシンプルだな」


『飲むか、飲まないか。ということですね』



 改めて錠剤を、それから目前の扉を、俺は見る。



「こっちの扉だが、パーソナリティが用意した以外の方法で開ける術はないかな」


『厚さ10cmの、周囲材質とおおよそ同様の材質による扉と確認しました。これをハル様のステータスで蹴り破る場合には、散歩スキルを加味しても数週間程度必要であると思われます』


「……桁が予想をダースで超えてきた。……どうしたもんかな」



 とかく、考察に俺は埋もれる。

 まず、この錠剤にあり得る効果の可能性について。



「……。アイディアが欲しい。この錠剤は、どんな効果を持ってると思う?」


『毒、麻痺、呪い、アンデット化のような一般的なステータス異常の可能性を、まずは進言いたします。しかしながら、このような効果の場合ハル様は「散歩スキル」によって滞りなく無効化されるはずです』


「なるほど……?」



 では、その手の無効化可能な効果は考察から切り捨てよう。


 これがパーソナリティによる俺のスキルの分析だとしても。そもそも青天井である部分への検証であれば切り捨ててしまって問題はない。



 では問題は、ということになるが……、



「(そもそも、俺のスキルで無効化できない効果ってなんだ?)」



 過去を、俺は思い出す。

 まず、俺に無効化できなかったについて。


 ――『英雄の街』の楠ミツキの行った、『スター・ゲイザー』による世界停止。


 これは、正確に言えば俺への作用ではなく、世界への作用であったと彼は、あの英雄の国の亡骸の上で言っていた。

 あのスキルによってこの世界から『彼以外が「動作をする」という概念が欠落した』ゆえに、俺はあの場で動くことが出来なかったのだ、と。


 それから、――桜田ユイによる「正気の蒸発」も数えられるか。


 アレに関しては能動的な無効化は可能であったが、気付かぬうちの不快感であれば、どうやら俺は無効化することが出来ないらしい。


 思い出しても見れば、確かに俺は普通に空腹も睡眠欲も、暑さ寒さも、怒りや悲嘆や諦観に似た空虚さも感じることが出来る。これらは、俺が能動的に拒否することで初めて無効化できる『不快感』である。



「……、……」



 つまり、この錠剤が持つのが、自覚できぬ身体、或いは精神への作用である場合、俺がその『作用』を無効化できるのはということになる。


 ただし、例えばストラトス領での催しで俺が実際にユイに首を断たれても無事であったように、それがであった場合、この無効化は自動的に発揮されるとも言える。


 ならば、ここで問題なのは――、



「(。……ユイの第三スキルも、自覚するまでは普通に俺に効いてたわけで、つまりはとも言い変えられる)」



 或いは、いっそこれが錠剤などではなく何らかのナノマシンであれば納得だ。

 それなら俺には作用の自覚もなく、例えば体内から俺の身体をモニタリングするなども可能である。



「(これを飲んで身体の不調が自覚できなかった場合、十中八九は俺の体内でが作用する。……なら、それを無効化することは出来るか?)」



 例えば散歩スキルに『今入ってきた何かを無効化しろ』と命令した場合はどうだ?


 ……いや、そもそも摂取した何かを体外に排出するような、免疫機能じみたふるまいをこのスキルはするのか?


 このスキルが、例えば俺が病に侵された場合に、『病原体は体内に残っているが、それによって引き起こされる疾患症状は無効化される』というモノだったときは、『病原菌そのものへの殺菌』は発生しないのだろうか。或いはを例に考えれば、俺のこのスキルは癌細胞を消滅させられるのか? それとも悪影響だけを無効化する? いやしかし、ならば癌細胞という『生まれた瞬間から至極正常に身体の機能を損なうことになっている、自分の体の一部』に対してどうふるまう? 考えても見れば俺の身体は、暑さ寒さという外的環境を、発汗という身体的反応や四肢の凍結という外傷レベルで以って無効化する。つまり、この時に『暑さ寒さそれ自体の原因』は排除されていない。あくまでもこのスキルは、俺の身体を俺にとって都合のいい状況に維持するだけである。或いは、だからこそ「感情の否定」を嫌う俺は、ユイのスキルでもたらされた怒りを、「自分の内から発露する自然な、あるべき不快感感情である」と考え、一時はただすらに享受したのだ。



「(……このスキルは、俺自身が『都合が悪い』と感じたモノしか無効化できない。例えば毒を摂取したことによる吐き気は無効化できても、恐らくは服毒したモノ自体はあくまでも胃の中に残ったままなんだろうな)」



 あくまでも最悪の可能性、俺が「服薬による身体への違和感を感じられなかった場合」の話ではあるが、これは恐ろしく完成された戦略である。


 なにせ、――俺をしてこの一手には『逃げ場がない』と断じる他にない。



「……、……」


『どう、なさいますか?』




「……飲むしかないな」


『無理やりにでも目前の扉を開けるという手があると、敢えて進言いたします。あなたなら、仮にここでパーソナリティが襲撃してきたとしても、最悪でも、死なない・・・・・・・・・のでは?』



「……、」




 そういうわけにはいかない。俺は、今まさにを露呈している最中である。


 パーソナリティは確かに一向に動きを見せないが、しかし俺視点からすればこの状況には、俺にとっての「最悪にして端的な弱点」が向こうに看破されるまでの明確たるタイムリミットが存在している。



 いや、むしろ向こうが既にそれを看破している可能性すら考えて、向こうがはっきりとした動きを見せてくる前に多少なりともこちらから動くべきでさえあるだろう。



『……、……』


「今から飲むが、そちらからもしバイタルが確認できるのなら、変化が在ったら教えてくれ」



『……了解しました。こちらからは体温、脈拍、発汗及びその成分、外見的変化などを確認することが可能です。何かあれば即座にお伝えいたします』


「助かるよ」



 ……さて、残念ながらここには、セットで飲み水のグラスなどは用意されていないようである。


 ゆえに俺はそのまま、その錠剤を指先でつまみ上げ、……匂いを嗅ぎ、舌先で無味を確認してから飲み込んだ。
















「――――。」
















 そして、なるほど、と。

 りかい・・・をする。














「    。」














 したさき で それは ほぐれる ように とけて


 そして からだの すみずみへ しんとうする





 あじは なく むみ かんそう である


 しかしながら こうかは ぜつだいだし わかりやすい




 ああ、


 アあ、これハ・・・









「(――――麻やク・・・!!????)」









 快楽ネオンライト快楽ネオンライト快楽ネオンライト

 明滅をする。俺の脳みそが、心臓の脈拍に合わせて伸縮を繰り返し発汗をしている。


 ――心地よい頭痛。否、これはクラブハウスで重低音に身を委ねる感覚に似ている。体の芯が発揮するアラームが、BPMの低いロックンロールを奏でて俺は身体を揺らす。発汗が止まらない。しかしそうして吐き出すのは、身体の奥で凝り固まり冷え切っていた氷質の不快感である。凍化し胸の奥に鉛のようにわだかまっていたそれが即座に融解、蒸発して全身の毛穴から発露する。そたる至上の幸福が俺の肉体から魂を解き放ち、俺は瞼を開けたまま、ゆめを見る。


 ラクダが躍っていた。ここは春の砂漠である。風が強く、吐く汗吐く汗が即座に霧散する。それでも喉が渇かないのが、砂漠の砂が水で出来ているためであった。飲み込む必要もない。俺自身も一粒の砂である。ゆえに俺は喉を鳴らさずとも水を嚥下し、それどころか水と同化して渇きを癒す。ああ、指先が太陽熱で浄化していく。蒸発し、揮発し、魂が露出する。湿った肉の牢から解き放たれ魂が天日干しされている、アレはなんだ。そう、空だ。空には緑色の、時に銀色で灰色でもある円盤がある。あれが木星だ。木星の表皮にて起こる大嵐が、幾千光年を経てこの春の砂漠の地表を滑り、ワタシは宇宙温度にて冷却され、そして太陽に温められているのである。ここがハルである。ああ、春だ。ハルを感じる。虫のように。嗚呼嗚呼虫のように!! 地面から這い出て日差しをあびよう! 指先が溶けるのが分かるだろう!? これこそが浄化であり、あの木星と目が合ったなら、その虹彩の奥に宇宙の真理がある! なにが宇宙の真理だ! そんなものに興味がない! 肌を晒せ肌を晒せ。 いま、 ここでからダを とか すのダ!





「(――――むこ、むこうか! むこうか! 無効化だッ!!!!)」
















 ――ハル様! ハル様!! お気を確かに! ハル様!!』



 ……その声が聞こえた瞬間。




「――――ッ!!!!!!??? はッ!? ぁッ!!! ぁアア!!!?」


 俺はまず、死んだ方がマシだというほどの発汗による不快感で以って正気を思い出した。




『ハル様! 応答を!』


「ああッ、あ、あ!   大 丈夫……、

 じゃないけど、 まあ、 ……大丈夫だ」



 ――続いてくるのは、あり得ぬほどの倦怠感。

 そして脳には目視できるほどの黒い帳が降りて、思考が散漫とし紡げなくなる。



 それら全てを俺は改めて『無効化』し、

 ……するとようやく、いつの間にか乱れ切っていた呼吸が落ち着きを見せ始めた。




『何が起きたのですか……っ。どうかっ、こちらとの共有を!』




「ああ、すまない。……


『――――。』




 焦燥した様子の『アイテム』を尻目に、俺の加速度的に冷静となる思考は、この状況に対する明確な答えを出していた。



 つまり、。それゆえに俺はしばし理性を放棄し、またその間に起きていた身体の不調を全く自覚できていない。


 ……先の考察準備など真正面から全て破り捨てて、この薬剤は、力づくで俺の無敵を攻略し体内に入り込んだわけだ。



「それより、バイタルチェックを。俺の身体の不調は確認できるか?」


『しょ、少々お待ちを。…………現段階では、不調は確認できません。先ほどまでは異常な発汗と心拍数を確認しておりましたが、現在はすべて正常です』


「そう、か……」



 先ほどの多幸感が夢のようであった。


 肺に穴が開いたような息切れも名残りごと消失して、先ほどの経験を事実と証明するのは、不快に肌に張り付くシャツの感覚だけである。


 悪い目覚めの後の、微かな夢のように、

 あの光景が脳裏から消失する。……何を見ていたのか、既に俺は欠片さえも思い出せない。



『ラリっていた、というのは?』


「おそらく、あの錠剤には麻薬成分が入ってたらしい。この世界にもあるよな? 麻薬」


『ございます。……なお、当ギルドでは魔術的医療行為による脳機能の洗浄が可能です。こちらの施術は、この依頼のアフターケアとして無料でご用意させていただくことをお約束します』


「……、」



 ――麻薬。


 言うまでもなく、生物における天上の劇毒である。これの持つ性質としては、感情ホルモンの蛇口を壊すことによる多幸感が挙がる。



「  。」



 ……壊す・・、というのは、損害には当たらないのか?

 俺の身体は全ての損害を無効化するわけではない・・・・・・はずだ。


 損害の無効化を「身体の現状維持」とするのなら、損害とはつまり「身体の状態の変化」である。

 怪我をすることや病に罹ることと、爪を切ることや歯を磨くことなどとの区別はなんだ? 精神的に平静であることと、熱狂や悲嘆を感じているときの差異は? 貴賤は・・・? もし仮に俺のこのスキルが「俺の身体を健康状態・・・・で維持する」なんてご都合主義に便利なモノだったとして、


 ……健康が、の言い変えなら、だったら真っ当とはなんだ。人間における正常とは何を指す。


 俺の脳みその蛇口が、今のでイカれていたとして、……これは本当にもどるのか? 



「(……、……)」


『……、』





「……。せっかくだし、使わせてもらおうかな」


『はい。……』




 そう短く言って、会話を区切る。

 とかく、これで滞りなく扉は開いたのだ。先に進まねばなるまい。



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