『桜章_餓鬼道』





「    」





 彼、エイトの最初の記憶には、……とある友人がいつも映る。


 名はセブン。性はない。ワンからエイトまでの番号で名付けられた「検体」の内でも、二人は、奇妙な縁で同じ密室に詰め込まれることが多々あった。


 初めに自我を復帰させたのはエイトだった。彼は、埃を被った言語能力で以って隣人に話しかける。幾日、幾日とそれを続ける。すると次第に彼は、彼我の比較によって「自意識」と呼びえるものを獲得した。……が彼の呼びかけに答えたのはそのすぐ後だ。


 正解の分からぬ「言語もどき」を、彼らはやり取りした。参考にするのは過日の、両親にかけられた「言葉」であった。話せば話すほどに言葉は、「明後日の方向」に流暢となる。

 呂律の使い方が分からぬ。言葉の意味が分からぬ。それでもそのまま、使い続ける他にはない。



「(――)」



 それがエイトの、妙に舌の回らぬ理由である。彼が自分の過去に記憶しているのはそれだけだ。セブンはいつの間にかいなくなったし、研究者どもは、この手で殺した。思えば彼の復讐は、あの時点で狂っていたのだろう。


 殺す敵を、彼は既に殺している。しかしながらどうだ、この世界は狂い切った地獄である。奴らをただ殺すのはあまりにも不適当であった。四肢を切って目鼻を焼き潰してダルマにでも変えて生かすべきであった。彼はその復讐を、あまりにも呆気なく終わらせ過ぎた。



「()」



 怒りは当然冷めやらぬ。ゆえに彼は目標敵をヒト全てに再定義した。それが、都合がよかった。この世界の支配種族たるヒトは探さずとも幾らだっている。彼らを見るたびにエイトは、自身の不幸を、ないがしろにされた友人を、回らぬ舌の理由を思い出せた。



 ――予定外だったのは、ヒトが、エイトに歩み寄ってきたことであった。






「(――)」






 エイトには、ピラーと言う友人がいた。

 クズで、弱者をいたぶるのが好きで、食事の躾もなっていないような男だが、出会いが良かったのか奇妙に縁のある男であった。彼は地獄に落ちるべき悪党であったが、それでも墓に花を添える友人は幾らかいただろう。


 エイトには、ロベスという取引相手がいた。

 クズの街にいるには役不足な半端モノで、彼は本質的には商い人であった。怒るべき時に怒り、人を害すべき時に害し、下手に出る時には思い切りよく首を垂らす。彼とは実にビジネスライクな一線を引いた付き合いであったが、しかし「その一線の一歩先」を踏み出さなかった理由については、ロペスの人格以前に何よりもまず、エイトの持つヒト種族への意地があった。


 それと、エイトには、よく面倒を見てやった舎弟が二人いた。

 コルタスとゴードン。どちらも今では性名持ちの出世頭である。ヒト種は彼の不倶戴天の敵であるが、それでもここだけは例外的に、彼ら二人の台頭はエイトにとってただすらに鼻が高い出来事であった。



 それから、エイトには、

 ――ひとり、「家族」がいた。




 エイトが「彼女」を保護したのには、

 思えば、あまりにも呆気ない理由があった。




















『桜章

 _餓鬼道』





















「――――ッ!!」


 衝撃。

 からからと建材てんじょうの欠片が落ちて、それがエイトの額を叩く。煙が立って、視界を埋めている。


 それが、エイトを、春日向の白昼夢の如き「奇妙な追懐」から立ち戻らせた。



「……。ここァ、どこだ?」



 辺りを見回すと、まず目に入ったのがであった。


 やたらと事務的な調度品にも見覚えがあり、穴の開いた天井にも既視感があり、煙の奥の煙草が染みた匂いを、彼はいつか嗅いだことがあった。



「……、……」


 ――裏ギルド旧支部、暗殺請処事務室。



 そこは、今では殆ど訪れる人間もないような、この街の遺産であった。




「あァ、こりゃァ……」


「――そうだネ。全く、妙な奇縁までモンだ」




 声に、彼はその方向を見る。それから、遅れて彼は、自身の身体がまるで動かないことに気付いた。



「――――。」


。この世界と等価値の竜の背骨だってよ。それを切り抜いて作った針。アンタが怪我を治せるかなんて関係ない、それァ、ヒトには触れない神域の顕現だ」



 エイトの身体の真ん中を穿ち地面に縫い付けているものを指して彼女、ユイは言う。



「触ってみるかい? 指がもげるぞ。無意味に痛いのがヤならそこで大人しくしてナ」


「……。ハハハ、流石にしようもねェやナ」



 それだけ言って、エイトは背後の瓦礫に脱力する。

 その所作を確認したユイが、



 ――煙草を取り出し、火をつけた。



「……あァ、そのマズい煙草ナ。最後の一本まで吸ったってって、わざわざ手前で畑からイチから作ったんだってナ? 舌がどうかしてるンじゃねェのか?」


「マズいって? そりゃ手前、吸い方が違うンだよ。葉巻みたいにふかしてちゃァうすっ辛いだけだネ。こりゃ、こうして煙を肺に落とすのサ」



 深く吸って、

 ……まだ吸って、


 火種が赤熱するほどの酸素を取り込んでから、


 ――ほう、と吐く。



「ホラ、上等だ。何がいいってまず名前が良い。コレ、って書いてんだヨ」



「……読めねえヨ。オレァ、いつものでいい」


「そうかい」



 そこでユイが、後ろ手に持っていたエイトの中折れ帽子を空に放る。


 それは、緩やかな弧を描いてエイトの方に飛んでいき、

 ……ぽさり、と彼の頭に収まった。



「気が利くネ」


「アンタァやっぱりそっちのが良い」



 一拍。

 紫煙が、一つ舞う。



「なぁ」


「……、」



「聞かせてくれ」


「……、」



?」



 その問いにエイトが、視線を上げた。

 未だ時間外れの月が夜を照らすその室内に、エイトの瞳が、浮かび上がって見えた。



「アンタがやってンのは結局、魔道の研究だったンだろ? 魔力生成量の強化。禁忌術式の発掘。それからさっきのァ、既存の術式に手を加えてオリジナルって感じだナ? どれも適当な魔法使いだってバレずにこなせるモンだったはずだ。アンタどうして、わざとらしくお上にバレるよな下手ァ打ったんだよ?」


「……さっきも言ったろ、オレァちゃんとやってんだヨ」



「バレといて手前、最善でやったはずだって言ってんのか?」




「……、……」


「復讐はしたかった。……だけどな」




 はぁ。と彼は、

 溜息を一つ吐いた。




「復讐はしたかったよ。そのために生きてきたんだ。拘ってるだけだったんだろうし、それでも構わなかった。オレァ、決めたことを最後までやることにして、それを貫くことにも疑問が無かった」


「……、」



「でもヨ……、

 ――いつの間にかヨ、オレァ、殺したい相手が思いつかなくなっちまってたんだよナァ」


「――――。」



「ったく、焼きが回ったってハナシだ。辞書に乗せれるくらいド真ん中のヤツだネ。……殺したい奴がいなくなった。オレに思いつくオレの隣人が、全員オレの身内になっちまったんだから当然だよな。敵は都度殺して、酒を交わした連中ばかりが残ったんだ。きっとオレァよ、テメエに初めてあった頃にはもう、復讐の意味が分からなくなってたんだろォサ」



 ……ピラーも、あれで、つまらない奴じゃなかったんだ。と彼は呟いて、



「諦めてヤめちまってもよかった。復讐なんてナ。そんな時、お前に会った。……よォ、手前。オレが手前を身受けた時、なんて言ってたか覚えてるか?」


「……あン?」



「ピラーにしてやられてで街に逃げようとしてた時だよ。手前ァ気が朦朧として覚えてもねえかもしれねえが、傑作だぜ、手前は……」



「……、」


「テメエはヨ、――って言ったんだ」



 月が、天蓋の穴から薄く指した。それが、エイトの四肢を淡く照らす。

 表情が、そして闇から現れた。帽子のつばの下で、


 ――彼は、少しだけ口角を上げていた。



「オレァ、ハッとしたね。何せオレだって、よくよく考えりゃどこにだって行ける筈だったんだ。何なら無力な女子供よりもずっと遠くまで、どこにだって行ける筈だった。どこにだって行けるし、なんだってできる。気付けば足枷なんてねえのに、オレァ足が重い気がしてたからその辺うろついてただけだった。……



 言って、嗤う。

 それを受けたユイは、少しだけ、言葉に詰まった。



「…………、じゃあさ。アタシが、アンタをヨ。……間違えさえたってのか?」



 しかし、

 ――その顔に、彼は、やはり「微笑った」。



「勘違いすんなっての、ホラ、なんてユーモアの足りネェツラだ? オレァ手前に何を教えた? よく思い出せ」


「……、……」



。そう言ったろ? いいかい、やるなら派手にだ。人死にもまァ、ここに限っちゃァナシじゃねえのヨ。悪ィのは思い切りがねェのと殴り合いが泥試合になるってのの二つだけだァ。それ以外なら、大抵ァ酒に脳浸しの馬鹿がやったことだって許されンだヨ」


「なんだ、……そりゃァ」




? 




 ――ほら、とエイトは言った。





「そろそろだ、殺せよ」

「――――。」





 見れば、

 エイトに刺さった竜針の辺りから、少しずつ血が溢れ始めていた。


「まだしばらくオレァ生きてるが、それでも終いに打ち止めだ。いい加減肉がくっつかなくなってきやがった。……言ったろ? 泥仕合はナシだ。手前が殺せ」


「……、……」



「躊躇してるわけじゃねえだろ?」


「…………あァ」



 そこでユイが、ふわりと、宵闇の中から何かを取り上げた。


 ……否、それは「何か」ではなかった。エイトには、間違えようもなく、そのシルエットに見覚えがあった。



「それァ、ユイ」


「あァ、しまいすえひろがりってんだよ。だ」



 ――そう。


 それはであった。過日彼女がこの世界に来た時にも携えていたらしい、長い砲身を持つ二挺の銃。


 それを彼女は、エイトに向けた。



花金はなきんに負けず縁起のいい名前だろ? 最後のすうじは、末広がりってナ。……この銃なら、不死だろうが殺せるヨ。弾ァ数があるが、一撃で足りる」


「……オレァ、不死身なんて上等なもんでもねえけどナ」


「茶化すなよ。アンタのために、一番良いように作ったんだから」



 ユイが部屋に一歩踏み出した。

 二歩、三歩と、彼女のシルエットが闇から這い出る。


 月明りの日向に至る、その瞬間に、

 彼女は眩さに、少し睫毛を震わせた。



「も一つ聞かせろ」


「なんだ」



「なんで、アタシを拾ってくれた? ここまで、育ててくれたんだ?」


「……あー? 育てたつもりなんざねェよ、ちまっこいまま勝手に歳だけ取っといてからに。……茶化すなってか? 分かったよ。まァ強いて言えば、ホラ。手前は妙にオレに喋りが似てるだろ? それだネ」



「な、なんだそりゃァ……」


「言っとくがマジだぜ。不思議とヨ、他人とは思えなかった。……そんな適当なワケなンで、恩なんか感じてンじゃねェぞ?」



「……、……聞いて損した。そのまま殺せばよかった」


「ハッ、そら最後に一泡吹かせてやったネ。冥途の土産にゃ良いワ」



「ハン。じゃァよ、――そろそろ終いだ」


「あァ、さっさとしろよ」












「――それじゃあね、パパ」


「――どこにでもいっちまえ、クソガキ」












 宵に、銃声が、

 ――ひとつだけ。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る