(15_prologue_end.)



 ――あの日、ずぅっと昔に。


 エイトに拾われた私は、そのまま、裏ギルドの暗殺請なる部署に紹介された。

 今でも、あの時のことは鮮明に思い出せる。


 据えた臭い。煙草の匂い。蓄積した埃の匂い。年季物の木の匂い。

 いろいろな匂いが綯い交ぜになったその最奥にいたのが、若き日のコルタスとゴードン。どちらも、あの日には私の上司であり、そして今では私の心強い仲間である二人だ。それに、それ以外にも仲間と呼べる人間がたくさん増えた。


 今日までに私は、本当にいろいろなことを経験した。時間だってたくさん経った。私の見てくれは変わらないし、ゴードンの方はけれど、少なくともコルタスは、……率直に言えばすっかりと老けてしまった。



「……、……」



 私は、私の「親」のことを思い出す。

 魔人エイト。性はない。ただのエイトだ。不器用で素直じゃなかったあの男は、私を拾ったあの日から、数えきれない「常識」を私に教えてくれた。


 人と敵対するときに効率のいい身の振り方。都合のいい上司の探し方。都合の悪い上司の切り方に、激痛の中でも理性を手放さない気の持ち方。


 どれにしたって「親」が「子」に教えるものではないけれど。

 でも、私にとっては必要なことだったし、今じゃ使わなくなった未熟なアドバイスだって、今も、私は大事にしまっている。


 そんな親と、私は明日、敵対をする。

「…………。」


 ここ、暗殺請に入る仕事は主に二つである。

 一つは裏ギルドにとって都合の悪くなった身内の始末と、もう一つは裏ギルドにとって都合の悪い外部の始末。


 そういう意味で言えば、この依頼は特別だった。なにせ私に求められたのは、「始末」ではなく「討伐」である。そんな英雄の真似事みたいなマネを、裏ギルドの腐りきった「上」が命令してくるとは片腹痛い話だ。いや、まあ。いつかこうなるってことは分かってはいたけれど。




「…………。冷えるネ」




 季節は晩夏。

 開けた窓から飛び込む虫の音には、蝉の声とは違う、もっと涼し気なものが混じっている。


 時刻は夜。夜気には、草の寝息が時折香る。

 そして、私がいるのは、



「――――。」



 明かりの無い、広大な、油絵の香りのする一室だ。

 快晴の夜空は明かりに潤沢で、火を灯さずとも絵画を眺めるのには不足がない。むしろ、怜悧な青い光が、それら絵画の根底を一層浮かび上がらせてさえいる。


 これらはどれも、私が集めた、……ゴードンの言葉を借りれば「悪趣味な絵」である。


 こんな絵を見ていたら呪われる。鬱になる。三回も見たら死にそうだ、なんて彼は言っていただろうか。集めた私自身をしてさえ、全く以ってその通りだと思う。



 ――人の死体が笑う肖像画。

 ――黒と青で描かれた、満月の絵。

 ――言いようもなく抽象的な、何かしらの景色。



 私が集めた絵はどれも、そんな絵ばかりだ。それに囲まれている間だけ、私は、風に吹かれたような心地になれる。


 思考が空虚となり、肌の下に内包した熱が排気されて消える。

 身体の輪郭が明確になり、音が、その「根っこ」まで聞こえた気になれる。


 こんなにも心地よく、退廃的で、私はいっそ身体を手放し魂だけで揺蕩うような感覚になる。……だけれど私には、こんな絵は描けない。



「……、……」



 これはどれも、絶望をした人の掻いた絵であった。

 諦観をして、鬱に墜ち、その安寧の奥の心象風景を切り取った光景だ。私には、それは無理だった。


 私には、絶望は不可能だ。幸せでありたい。ゆえにこそ、希望は常に手元にある。遠くどこかにあって、ふとした時にはどうしようもなく陰るものではなく、私にとっての希望は隣人だ。そして絶望と死は拒絶すればそれだけでナリを潜めるような、取るに足らないモノであった。



 だけれど、それでも、私にとって絶望と諦観はあまりにも心地が良い。

 この絵画の葬列は、言うなれば永遠に見ることのできない、私の墓標に刻まれるRIPやすらかにねむれの文字であった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る