(14)


 闇の降りた路地裏を、エイトは一人早足で進んでいた。



「(流石に、いい加減足が痛むナァ……)」



 眉根を寄せて、彼は思わず舌打ちを一つ。

 彼の持つ回復手段は、ポーションにせよスキルにせよ、コスパの粗悪な虎の子の手札である。ポーションは言わずもがなの高級品であり、また他方で彼はとある素性から「自身の魔力量に見合わぬ高出力魔法」しかスキルの持ち合わせがない。かような事情から、昼間あの少女に開けられた足の穴は、未だなお彼に鋭い痛みを返していた。


 それでも、彼が痛みを押して先を急ぐのには理由がある。

 無論ながらそれは、先ほどの強襲者との一件だ。



「(ピラーが、あのザコにオレを襲わせた。ならピラーの用事は分かり切ってる。)」



 そう、そもそもピラーは、(今まさに裏切られたところではあるが)エイトの相棒である。そんな彼が仮にエイトを害するための刺客を送るとしたら、


 エイトの相棒たるピラーは、ゆえにこそエイトの実力をこの街で一番よく理解している。本当にピラーがエイトを害するつもりなら、その時は、他でもないピラーがエイトを襲う筈である。この街においてダーティ・トラッシュの二人は共に唯一絶対のツートップであるゆえに。



「(そンで、じゃァ、。……オレとアイツの間で、後ろ暗いことがような『約束』のネタは、一つしかない)」



 この街において両名はコンビとして知られているが、あくまで、活動の本旨は個々人のものである。彼らが行動を共にするようになったのは、彼ら自身が、「強者になびくフォロワー」が派閥などを作るのを厭うた結果だ。ゆえに、ダーティ・トラッシュの活動はどこまでも個人主義であり、基本的には「ルールがない」。


 ルールがない以上、「後ろ暗い行為」などが発生する余地もないが、しかし、今日ばかりは事情が違う。


 あの「少女」、ちょうど今朝しがた仕入れたあの奴隷における一種の「契約ルール」を、二人は既に結んでいる。ピラーがエイトを遠ざけるような用事があるとすれば、それは確実にあの少女がらみであった。



「(ンで分からねェのが、ピラーの奴が先走った理由だ。まあ大方、街で情報を仕入れたときにでも、あのガキの何かを聞いたってトコロだろうが……)」



 心当たりがあるとすれば、少女の持つ「言語理解スキル」だろうか。どこかでスキルのことを聞いたピラーが、少女の持つ奴隷価値に目を眩ませて「取り分を欲張った」か、或いは、



「――……異世界から来たって酔狂なハナシ、あれがキナ臭かったりすんのかネ」



 しかし、かような事情は、考えて結論を叩きだせるものではない。考える暇があれば足を早めて、ピラー自身に確認を取ればいいだけのこと。


 果たして、




「――――はァ、もォ限界だァ。歩けねェ」

 ……彼、エイトは、ひとまず自身の拠点に辿り着いた。




「……、……」


 拠点内部のボロの窓からは、内側に明かりがついているのが見える。中に何者かがいるのはこれで確定だろう。他方音の方は静かなもので、「現在進行形の暴力の気配」などは確認できない。


 或いは、

 ……嵐の「後」の静けさだと、そう解釈することもできるだろうか、と。エイトは、


 ――、ロベスを確認し、ふと思った。



「オイ、テメエ。意識はあるか?」



 エイトが、倒れ伏した彼に声をかける。

 返事は無い。


 しかし、……呼吸や発汗が、弱々しいものではあるが確認できる。



「(……死んでるわけじゃねえか。大方ピラーのヤツに一発張り飛ばされたって程度だな)」



 気絶はしているし、口や後頭部から流れ出す血液には少しばかりの粘りがある。血だまりの粘度、その黒さは、貰った一撃がそれなりに重篤なものであることの証左だろう。しかしながら、あれなら致命傷ではあるまい。エイトはそう断じて、向こうの「ボロ切れ」から意識を切る。

 問題は――、



「……、……」



 先ほど確認した通り、拠点内部から大きな音は聞こえない。しかし更に耳をすませば、床を踏む音、家財か何かが擦れる音、或いはそれ以外のささやかな人のいる気配が、うっすらと確認できる。


 暴力の気配こそは無いが、人はいるらしい。

 エイトはふと、それに、先ほど思った嵐の「後」の静けさという言葉をまた思い出す。


 鼻を鳴らしてみても、

 ――すぐそこのロベスが立ち上げる「鉄の匂い」が濃厚に過ぎて、家屋内部の匂いは分からない。



「……、……とかく、入らねェとかい」



 半ば無意識に足音を殺し、また、そんな必要もない筈なのに彼は、音をたてぬようゆっくりとドアを押しのける。

 すると、拠点内部の音、匂いが、すっとクリアに彼に届く。


 汗の匂い。

 血の匂い。

 ような、不快な湿気。

 そこにカチャカチャと、



 が一つ上がった。





「……ピラーよォ?」


「あー、……エイトか。バレちまったかあ」





 暗がりの通路の奥に、扉が開け放たれ緋色の明かりが漏れ出た一室が見える。その奥で黒い人影が揺れて、――そうして現れたピラーが、汗ばんだ顔をばつの悪そうに歪ませた。



「……、……」



 赤色の明かりを吐き出す部屋に背を向けて、ピラーは、暗がりの廊下の最奥でこちらを見ている。エイトのいる位置からでは、部屋の中の様子は確認できない。


 ただすら、「臭い」が、鼻を突く。

 エイトはピラーの、汗ばんだ額、着崩れた服装、上がる呼吸とに、ここが、嵐の擦過した痕であることを確信した。



「おい、テメエ。あのガキァどうしたヨ?」


「そこの部屋だよ。気絶してんのか知らんが動かねえ。死んではねえよ」



「……、……」


「悪かったよ怒るなって。こっちだってこの顔の青痣の仕返しはしないといけないだろ?」



「……、……」


「街で聞いたら驚いたぜあのガキ。ノーグースのロベスを返り討ちにしたらしいんだよな。それで今この街じゃ、あのガキの奴隷価値は爆上がりだ。……ぶっちゃけ言うとあのガキ、どっかの娼館送りにして俺が客として嬲ってやるつもりだったんだけどよ、この街の様子じゃ場末の娼館に売り込むのは難しそうでさあ」



「……、……」


「それで、しゃーねえから売り出す前にヤッといたんだけど、……え? ?」



 ピラーのその言葉に、エイトはふと我に返る。

 怒っているのかと言われれば、怒ってはいた。何せ顔の良い奴隷の初物を散らされたのだ。履かせられるはずだった値段の「下駄分」を考えれば腹も立つ。



「思い入れでも出来たかお前? まああのガキ顔は良いからな、貧相な身体だがまあ、ナシじゃなかったし? お前が餓鬼趣味だったってのは意外だが」


「そンなンじゃねェさ」



「そうか? よく分からねえ奴だ。……それよりもほら、お前もどうだ? どうせ処女じゃなくしちまったんなら、一人ヤろうが二人ヤろうが変わんねえだろ? 売値を安くしちまった分はさ、俺の取り分から引いてくれていいからよ。今はひとまず、楽しんどいたほうが得だr――




  と、




 妙に硬質な音が響いた。エイトはふとそれに、昼間の、あの少女を探している時に聞いた「爆発の音」を思い出し、――遅れて彼は、自身がその「音」で思考をまとめて剥ぎ取られていたことに気付いた。



 あまりの音量が、あまりにも唐突に響いたせいで、エイトはその歴戦の経験さえ忘れて素直に呆けてしまって、


 ゆえに「その光景」に対しても彼は、どこか白昼夢じみた感情を覚えるのみであった。






 目前で、

 




「    」






 糸の切れた人形のようにピラーが身体を投げ出して、「どすっ」と、その死体がくぐもった音を立てて倒れて、



 ……エイトが思考を取り戻したのは、その鈍い音を聞いた後であった。




「……………………は?」




 絶命を、していた。

 エイトとも全く遜色のないこの街の強者、英雄たるピラーが、目前で死んでいる。エイトには「その一撃」が見えず、何が起きたかも不明瞭であり、ただ目前には、「結果」のみがある。


 焦燥も、驚愕も、危機感も状況の把握も何もかもを置き去りにして、まず目前には「結果」があった。ゆえにエイトは、どうしようもなく、引いた波が再び返るのを待つように、ただすら思考が手元に戻ってくるのを待つほかになかった。


 そして、だからこそ彼は、



「……………………。」



 暗がりの通路の奥、赤い光を吐き出すあの部屋の中で「人影が動いた」のを、何をするでもなくただ呆けて眺めていた。



 ――赤く照らされた壁に、小柄な人影が一つ現れる。



 それが、身を引きずるようにしてゆっくりと部屋の外を目指している。シルエットが見切れて、立ち代わり足音と、粗い呼吸の音が聞こえて、そして彼女が姿を現す。



 彼女、



 ――あの「少女」は、服と身体をズタズタにされた姿で、あの「タマナシのテッポー」を携え、また通路の壁に身体を預けるようにしながら通路を歩いている。


 それをエイトは、未だ呆けて眺めている。危機感を手放しきったエイトの視界はやけにクリアで、少女の手元の「タマナシ」が、筒の先端から煙を吐き出しているの気付いた。




「お、おい、テメエ?」


「……、?」




 顔も身体もズタズタであって、しかしその眼光はなお剣呑に輝いている。瞼の端から涙をこぼしながらも、あくまでその目には敵意がある。


 敵意、――つまりは「意思」が、未だ手放されずにそこにはあった。



「……、……」


「用がねえなら、そこをのけ」



 視線に気圧され一歩退いたような格好で、ピラーが道を明け渡す。近付いてくる少女は、そうして輪郭を判然とさせるほどに惨憺たる有様であった。


 自分の血と、他人の体液でぐちゃぐちゃになっている。彼女の挙動に違和感を覚えて四肢を見れば、至る所に骨折の様子が確認できる。太ももが鮮血を流し、それが彼女の裸足を濡らす。


 と。

 事情の知らぬものが見れば滑稽にさえ見える「妙な歩き方」で以って、彼女は、エイトの脇を通り過ぎ夜の街へと一歩踏み出した。



「おい、……おいって」


「…………。なんだよ、なんだってんだ、っ」



 彼女が血を吐き、石畳に崩れ落ちる。手を貸すべきかエイトが悩むと、しかし少女はその逡巡一瞬分のうちに、自らの足で立ち上がった。



「おいガキ、どこに、……行こうってンだい」


「あ、ぁ。……げっほ、アタシは、……アタシぁ」



「オイ、死ぬぞテメエ。ただでさえお前、この街じゃ有名人なンだ、捕まって嬲られて死んでオシマイだろぅがヨ」


「いくんだ、あたしは。……どこに、? ぁあ、いくんだ」



「おい、朦朧としてんじゃねえか、オイって」


「ついて、くんな。……げほ、くぁ」



「おい、だから、どこに行くんだって言ってンだよお前、そんな恰好で!」




「どこって、 あたし、あたしは


 ――どこにだって行ける、アタシは」


。」





「どこにだっていくよ、あたしは。誰に止められてるわけでもないし、誰かに止められたら張っ飛ばして先に行く。立ち止まらなけりゃいい。それだけで、どこにだって行けるんだ。きっと。はぁ、……ぁぁ、」



 昏い夜の路にて、

 先行く少女の後姿は判然としない。怪我ばかりであるはずの彼女の背が、だからだろうか、シャキリと伸びているような幻覚をエイトは見た。


 だから、だったのだろう、と。

 ――エイトは彼女の背中に三度声を掛けながら、そう胸中で自嘲する。



「おい、どこにでも行けンのはいいけどヨ」


「……、……」



「そのナリじゃ身体が付いて行かねェだろ。自分の身も守れねェ雑魚がしゃしゃったこと言ってンじゃねェよ」


「……なにが、いいたいんだかよ」



「その傷、治してやるからヨ。


「……、……」




「そしたらテメエはヨ。野良の餓鬼じゃない。ウチの餓鬼になる。悪い話じゃねェだろ?」




 言ってエイトが、少女の背中を追いかける。とはいえ大人の歩幅では、ほんの三歩で彼女を追い越してしまって、


 ゆえにエイトは、振り返る。

 少女の瞳を、まっすぐに見るためである。



「よう、テメエ」


「……、」



「身内になるのに名前も知らねェンじゃやり辛い。ほら、餓鬼」


「……なんだい」



。いつまでもガキって呼ぶわけにもいかねーダロ? ――、…











/break..〉











 …さん、――ユイさん?」


「ん、ぁん?」



「ユイさん。起こしてしまって恐縮ですが、ここで寝たら具合を悪くしますよ」


「――――…………、……あー。ああ?」



 夏の夜の、そこは『とある執務室』である。


 周囲は静まり返り、開け放たれた窓の奥からは、凛とした虫鳴り聞こえる。また、地上二階の位置にあるこの部屋には風がよく通り、それが、夜の透明な空気を部屋に運ぶ。


 音も、風も、なんだかやたらと涼しげであった。

 私こと桜田ユイは、ふとうなじに覚えた寒さに、少し身体を震わせた。



「寝てた。寝てたねアタシ。どのくらい寝てたカネ?」


「およそ十五分程度ですね」



 傍らの紳士が応え、私の収まるデスクに水の入ったグラスを置いた。



「あー、気が利くネ、コルタス」


「いえ」



 その男は、見た目の年齢で言えばおよそ四十代前半といったところだろうか。……少しずつ白髪の混じってきた髪や、しわを刻み始めた風貌や、或いはその柔らかな物腰と落ち着いた所作には、どこまでも毒気と呼べるものがない。


 これでこの国じゃ「悪鬼」だの「幻魔」だのと呼ばれている男なのだから、人間というのは本当に分からないものである。

 と、



「夢を、見ておられましたか?」


「? なンで?」



「いえ、寝言をおっしゃってましたので」


「はァん? 乙女の寝言掘り返してンじゃねェ馬鹿野郎」



 妙に気恥ずかしくなって、私はそうぶっきらぼうに返す。しかしはてさて、いったい私は何を口走ってしまった感じだろうか。


「まァ、見てたヨ。夢ね」


「……、……」


「昔の夢だネ。アタシが、この見てくれ通りに幼かった頃の夢だ。……今じゃ思い出すのも厭いが出るよーな、黒歴史の宝庫だネ」



 悪夢だよ悪夢、と私は手をひらひらさせる。



「……、私も、出ましたでしょうか?」


「夢に?」


「…………あの、あの頃は本当に申し訳なく」


 その様子に私は、思わず笑いがこみ上げる。私とコルタスはおおよそ裏ギルドでの同期であり、ともに切磋琢磨と成り上がった仲である。

 でも思い出したらしく縮こまる彼が可笑しくなって、私はニヤニヤと彼に言う。



「あの頃はネ、オマエの髪の毛も色があったっけなァ? あンなにでヨ」


「……、……」



 ちなみに、その切磋琢磨の帰結は推して知るべし。とにかく私とコルタスの関係性は、裏ギルドでの鮮烈な初対面を経てしばらく、現状のような形で収まっている。



「ただま、オマエは出なかったヨ。が来たンで、その頃の夢を見た」



 手元の「資料」を、一枚持ち上げる。

 そこには――、



「討伐依頼、ですね」


「あァ。久しく無かったうちらの本職ナ」



 私たちの所属する「裏ギルド部門暗殺請処」への、これは依頼である。ただし、ここでオーダーされるのは「暗殺」ではなく、



「……『魔人エイト』のの依頼」



 コルタスが言い、私は鼻を鳴らす。

 ――悪人の英雄。絶対強者。人の世に隠れた魔人。今じゃ落ちぶれてテロリスト。そして、



「……、しけた仕事だヨ。ったく」



 そして何より、私の育ての親である男。

 あの、気取った帽子野郎の顔を思い出しながら、私は虚空に、そう呟いた。



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