(13)



「エイトさん? 大丈夫ですか?」


「んぁ? あぁ……」



 バーカウンターに突っ伏していた彼、エイトは、頭の上からかけられた声に曖昧に返す。



「……いつ頃だァ? いまァ」


「いらっしゃってからは二時間ほどでしょうか。今日は、お酒の進むようなことでもありましたか?」



 上体を起こし、ずり落ちそうになっていた帽子をかぶり直す。

 頬がほてっていて、うなじの奥に汗を感じる。ぽきぽきと背骨を鳴らすと、固まった腰がすっと熱を放出した。



「……心当たりがねェ。なんでオレァこんなに酔ってんだい」


「聞かれましても……」



「マスター、勘定。引いといてくれヨ。ネタァまた今度でいいや」



 立ち上がり、エイトは伸びをするように背筋に力を入れる。息を止めての筋硬直と、だらりと両腕を手放すような脱力。


 思考が冴えて、背筋が伸びる。自分の視界が一つ高い位置に治ったのを確認してから、彼は手元に残っていたグラスの中身を一気に呷った。




「……水っぽいナ。オレァいつから記憶がねェんだか」




 掌には、グラスの掻いた汗がじっとりと返る。グラスの中身は(たしか)カミカゼであったはずだが、口内に残るのはどこまでも薄ぼったいレモンの風味だけであった。



「ンじゃ、邪魔したナ。寝ちまって悪ィね」


「いえ、是非またどうぞ」



 片手を上げて答える。そして彼は、そのまま店を出て、




「――――。」




 帽子のツバの奥で、視線をすっと狭めた。



「(? 。……セーフエリアみせンなかでコトォ起こさねェのは育ちがいいが、どこぞのバカだァ?)」



 肌の感覚に彼は思う。

 ――どこかにいるらしい自分の敵は、この分なら、大した手合いではない。



「……、」



 敢えて緩慢に、彼は夜の路を進み始める。粘つく空気感に癒着した身体を、ゆっくりと剥がしていくような遅々とした歩みである。周囲には希薄ながら人気があり、目につくところにいる連中からは、自分への害意は感じない。


 捲くのは面倒だし、加えて言えば、この街でまだ自分とコトを構えようと思う人間への興味もある。エイトは酒気に倦んだ脳で「都合のいい」裏路地を索引し、



 ……そして、とある街角を右に曲がって、身体を夜日陰の闇に浸した。




「……、……」

「……、……」


「……、……」

「……、……」


「……………………」

「……………………」




  

「……。」



 返答は無い。

 返答は無い癖に、うなじに刺さる気配が過敏な反応を示す。



「(この反応、オレのことを知ってて、だから追跡がバレたのにビビったンだよな? 奇襲でもなきゃオレには勝てないって知ってる手合いだ。じゃあ、こいつはオレのことを知ってるワケだ。――ってことになるかネ?)」



 ……なら、、と彼は、「敵」の反応に率直に思う。



「はァ、くだらねェ。足取りが怯えてんだヨ、テメェ。オレに喧嘩売るってのがァどーゆーことか分ってるくせに、それでも来てんだネ、テメェよ?」


「……、……」



「楽に済むとァ思ってねえよナ? 分かってンな? 


「――――ッ!」



 背後の気配が動く。

 見て確認しているわけではないが、どうやら脇目もふらぬ突貫であるらしい。エイトはそのイメージに、「敵」が、何らかの強化魔術を使っている事を確信した。



「(で来るタイプかい。奇襲が失敗したからそのままヤケに出た、と)」



 それだけ確認して、彼は振り返る。

 後方に確認できたのは、「血走った目でこちらに襲い掛かる覆面の男」であった――。




「――――ッ!!」


「―――、




 エイトは、

 自身の靴底に返る感触に、――男の腹に突き刺さった靴のつま先を、ずるりと引き抜いた。



「ぁ、ああ、!!?」


「お粗末だネェ。言ってみな、誰の差し金だァ?」



「あ、ばぅ……」


「血を吐けって言ってンじゃ無いんだヨ。差し金ォ吐けってンだい。ホラ、教えなヨ?」



 エイトの不可視の蹴りを受け膝から崩れ落ちた強襲者を、エイトは、ゴミでも除けるような所作で以って靴底で押しのける。


 それだけで、強襲者たる男はあっけなく後ろに倒れ込んだ。



「――ッ! ――――ッ!!???」


「あァあァあァあァみっともねェ。腰が引けててよくもまァオレにかかって来たネ。申し訳ないけどヨ、オレもこーゆー面倒なンは御免だからネ、襲ってきたのァ白旗上げても殺すぜ? いいよナ?」



 強襲者の腹に開けた穴に、エイトが、靴のつま先を差し込む。その時点で強襲者は泡を吹きながら悲鳴を上げていたが、



「楽に死にたきゃ、黒幕の名前ナ」



 エイトは絶叫を意に返さず、強襲者の腹の中に足首までを突っ込み中身ないぞうをひっかきまわした。



「! !! !!!!!!!」


「……どーせ死ぬンだぜ? テメエ。それにだヨ。それェ誰にしてもらったンだか考えれば、ウラだって勝手に目星ァ付くぜ。ほら、死にたいなら言わないと」



「!!   !!!    ぁ!  ぁあ…… 」


「死ンじゃうなァ? 死ンじゃうよォ? ほらほら、早く言わないとねェ」



「ぁ、  あ。  ぁ 」


「……、……」



「ぃ、 らぁ」


「うン? 誰って?」



「いら、ぁ い、ら」


「判然としねェな、はっきり言ってヨ――」





「――いぁ ぁ!  ぴ、らぁ……!」


? ?」




「ぴあぁ、ぴぁああぁあッ! あぁああああああああ!!!」


「……、はン。そーかい」



 、とエイトは言う。

 ずるり、と靴を腹から抜き出して、



「――内輪に巻き込ンじまったわけだ。じゃ、殺すってのァ嘘にしとく」



 足下の強襲者は、見れば、眼球を裏返して口から血を吹いている。恐らく、放っておけばあと十秒も持たずに絶命するだろう。しかし……、



「――ハイ・リジェネレイション」



 そう呟いただけで、男の、腹部から露出した内臓が蠢動を始める。散らかった内臓が男の腹部に戻ろうとしているのを確認してから、エイトは、血泡塗れの男の口に、どこからか取り出した魔法薬ポーションを注ぎ込む。



「……、……」


「    」



 あくまで立ったまま、側溝に瓶の中身でも捨てるように、乱暴にポーションを「零す」。

 開けっ放しの喉を跳ねるポーションの雫が、神々しい色の光粒子に変わり、虚空に紛れる。



「    」

「……。」



「    」

「……、……」




「    ごほ、……かふ、ぁ」

「……ンじゃ、寝てりゃ治るよ。高ェの使ったンだから、これでチャラにしてくれヨ」




 強襲者の蘇生を確認したエイトは、


「……ひィ、とんだ無駄遣いだァ」



 靴底を足元の石畳で数回拭い、そしてそのまま、裏路地の更に奥へと早足で消えて行った。


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