1-5



「なんか、ダメだった」


「……、……」



「ダメだ俺。成金のクセにああいうオシャレ空間いけ好かない。店員のラグジュアリーな笑顔で胸焼けしそう……」


「そうですか、こちらお冷です」


「ありがとぅ……」



 さて、


 あの後、滞りなく装飾屋での接待を受けた俺は、煮詰めて冷やした牛脂を口に含んだみたいなグロッキー状態で以ってとある喫茶店に逃げ込んでいた。


「……、ふう。水が旨いぜぇ」


「それは良かったデス」


 時刻的には、そろそろ昼食が視野に入る頃だろうか。


 俺たちの後に続々と入店してきた他の連中によって、この店も少しずつ活気を帯びていく。


「さっそく、食事を選びますか?」


「あー。……俺はアレだな、外の黒板で見た奴がいいや」


 この店は、先ほどのエセタンとかいう小癪な名前のを出たところにあるものだ。


 俺自身、駅前店という「ミーハーな位置」にある飲食店には妙な偏見がある質なのだが、夏の暑さと、店先の黒板に踊るとある一文で以って、今回の店選びは半ば即決であった。


 曰く、――「柑橘とサーモンのマリネ・サンドイッチ」とのこと。


 純日本人である俺的には、味の想像が付くような付かないような……。しかしながらそもそも、今日の俺の外出の一番の目的は「柑橘の香りの炭酸水」である。

「柑橘」という二文字の爽快感たるや抗いがたく、また他方ではわりかし暑さに気が滅入っていた様子のエイルも特に不平は挙げず、そして俺たちはこの店に入った。


 さてとでは、その内装は……、



「空いててよかったですねえ」


「結構早めに来たからなー」



 ……外の石造りに対してギャップさえ感じるほどに、軽やかな印象であった。

 白を基調とした壁や床は、それ以上に、線の細いテーブルや至る所にある観葉植物によって自然派な印象である。緑が目に優しく、水の匂いが鼻に優しいオーガニックな感じ。


「……、……」


 そう言えば、ここに来るまでの街並みにも似たような印象があった。

 人工的な雰囲気の上に、レイヤーを一つ重ねるようにして自然が満ちているような、そんな雰囲気。


 ……暑さの印象的な街だが、その雰囲気造りのおかげだろうか、暑さが不快とまでは感じない。そんな気遣いが、ふと思い出せばこの街の呪医所に凝らされていた気がする。


「じゃあ、店員さん呼んじゃいますね」


「よろしく」


 程無くして来た店員さんに、エイルがまとめて注文を取り次ぐ。曰く、彼女はアサリと柑橘のオイルソースパスタなるものをオーダーしたらしい。


 ……ボンゴレってことかな? しかしここでも柑橘とは、中々に小洒落た店だ。

 と、



「……、……」


「……、……」



 ――そんな感じで、ひとまずは待ち時間である。



「……そういえばエイルさん」


「はい?」



「…………実はね?」


「………………はい?」



「俺ね、昨日の記憶ないんだよね。……この後何しに行くんだっけ?」


「……、……」


 どれだけ呆れられるのか気が気じゃなかった俺だが、


 しかし案外にも、彼女は「そんなところだろうと思いましたよ」と姿勢を崩した。


「この後は、ストラトス氏と共に桜田會拠点の視察に行きます。主には、桜田會の行う事業を、についてのヒント探しですね」


「…………、なるほどね。しかし結局、レオリアは向こうの言ったのを丸ごと飲み込もむつもりで落ち着いたんだな」


「そりゃあ、そもそも桜田會と手を組まなければ、『北の魔王』に勝とうが負けようが袋小路ですからね」


 ……お判りでしょう? と彼女。

 それに俺は、無言で以って返す。


「……、……」


「どうしました?」 


「あー、いやね」


 難儀な問題だ、と、

 俺が呟いて、その話題はそれっきりだ。











 /break..












 ――店を出て。


「結構おいしかったですねぇ」


「だなあ」


 ちなみに、俺の頼んだ柑橘とサーモンのマリネのサンドイッチは、その名前の通り、輪切りのレモンと酢漬けのサーモンをオリーブオイルで和えた具のものであった。

 レモンの皮の苦みと、ケイパーやオリーブの実 (と思われる異世界食材)が爽やかな口当たりで、『香りで頂く食事』と言った印象である。

 それから、エイルの皿もやはり読んで字のごとく、削った柚子の皮をあしらったボンゴレ・ビアンコだった。


 統括で言えば、――概ね満足。

 心地良い腹八分目を感じながら、俺たちはすぐそこの駅舎を目指し、またその道中で強い日差しにうなじを炙られていた。


「(まあでも、柑橘の炭酸ってのは見つからなかったなー)」


 心残りはそれだけだ。

 ……ただ、見つからないと思うと妙に拘ってしまうというか、これはもうしばらくあの爽快感への名残が消えそうにない感じである。


「さて。ではひとまず、電車に乗ってしまいましょうか」


「おう。……うん? 電車で行くの?」


「ですね。乗り方はご存知ですか?」


 俺は首を、一応で横に振る。


「では、……――ひとまずは、私のするとおりにしてみてください」


 先行する彼女に、俺はとぼとぼと付いていく。夏の日差しに足運びが軽やかになる彼女の姿が、妙に眩しかったためである。


 ――先導する彼女の、軽やかな後姿がふわりと揺れるたび、

 それにつられて、長い銀糸の髪が日色に煌めく。


 白い四肢が、白日をなお一層の純白で映す。


「(……なんだかなあ)」


 いっそのこと俺も、こんな天気でハメの一つ外して見せればいいのだろうに。


 そんなこともできない俺は、ただすらに、肩をすぼめるように足を前に運んだ。

 ……のだったが、


「エイル。エイル待った」


「?」



「あっち一回行こう。マジでお願い」



 陰気こじらせていたはずの俺の歩幅が当社比1,5倍となる。

 それも仕方あるまい、何せ俺は遂に見つけたのだ。


 何ってそりゃあ、「レモネード」の一文をだ……っ!



「ど、どうしましたっ?」


「いやごめんねマジで。俺今ちょっと今日の趨勢を占う佳境に来てるっぽい!」


「はぁ!?」



 こちらに振り返ったらしいエイルに目をくれることも出来ず、俺はその看板へと早足で往く。


 ……そこは、先ほどに確認した広場円周内の芝生の一角である。

 見れば幾つかある出店らしきテントの一つ。その中に、俺はまっすぐ足を向ける。



「ハ、ハルー?」


「いやごめん。マジごめんて」



 しかしこればかりは譲れない。


 芝生を踏み、日差しを浴びて、俺はその最奥へ。

 そして、――果たして、


「いらっしゃいませー」


「あ、あの! レモネード一つで!」


 白と青が基調の清潔感のあるそのテントで、俺はネコミミ亜人なスタッフお姉さんにそうオーダーする。


 ……と、


「――いえ、二つでお願いします」


 追いついてきたらしいエイルが、俺の肩越しにそう言った。


「気が利きませんね、一応あなたは女の子を連れて歩いてるはずなんですが」


「そっちこそ気が利かねえな。お前に追い付かれなけりゃ一人の会計で間に合うかもって一縷の希望だろうが」


 ってことで仕方なく、俺はレモネード二つ分の硬貨をテーブルに置く。


「え? あ、いえ、そんなつもりは……」


「俺はレディをエスコートする紳士だってんだろ? しゃーねーからプレゼントな」


「あ、……じゃ、アリガトウゴザイマス」


 なぜ片言? ってのはまあ置いておこうか。


 果たして俺たちは、

 ……二つ分のグラスを手に取って、汗をかいたその側面に指先を濡らした。


「……しかし、急に走り出したと思ったらこれですか。レモネード?」


「ああ。実は俺、今朝からずっと炭酸の気分でさ」


 ――見ればそのレモネードには、砕いた氷の他にも角切りのレモンが埋めてあるようだ。


 凍らせてあるのか、どことなく硬質な見た目のそれが、積み木のように透明なグラスの中で積み上げられている。


 香りからして、蜂蜜の芳醇な甘さが分かる。

 それを確認する限りだと、……どうやら、飲まなくても喉が渇くようなジャンキーな逸品らしい。


 俺はひとまずグラス底のクラッシュアイスに目測を付けて、――乾いた喉いっぱいにそれを呷る。



「――――。……あー、これだよこれ。これを持ってた俺は……っ!」


「確かに、……おいしいです!」



 やはり、……目で見た通りにジャンキーな味である。


 獰猛な蜂蜜の風味が、これまた暴力的なレモン香で上塗りされる。

 甘みと酸味と爽快感を嚥下すると、勢いそのままに喉に到達したクラッシュアイスが、それら全てを胃の腑に流して落とす。



「――っぷはあ!」



 それはまさしく、……ビールに喉を鳴らす感覚であった。


 いやはやこの辺の餓鬼どもは贅沢が過ぎる。まさか未成年から「思いっきり喉で唸るという贅沢」にありつけるとは許せない。マジでこれ二十歳まで禁止にした方がいいと思うね! いやホントに、実に爽快な、分かりやすいほどの『夏の味』もあったものだ!



「あの、……すみませんね」


「……うん? なんだよ?」



 俺はそう問いながら、もう一口分を嚥下する。


 思いっきり流し込むと、噛まれずに舌へと滑ってきた氷が、そのまま喉を伝って胃の腑へ落ちる。その感覚がたまらないのだ。ゆえに俺は次の一口に夢中になって、そして彼女の言葉を、殆ど聞き流す。


「いえ。まさか奢ってもらうとは」


「……気にすんなって!(ごくごく)」



「あの。…………そういえば、腕時計はいいんですか?」


「あん? なんかもういいや!(ぐびぐび)」



「――もしよかったら、あの。……私から一つ、お礼を兼ねてウチで余ったヤツとか要ります?」


「え? まじ?(ごくん)」



 流石に正気に戻る俺。何せこの世界の腕時計ってのは贅沢品であるらしい。なんなら持ってるだけで身の安全を気にしなきゃいけないようなもんであって、――つまり率直に言えば、すげえ高いと思われる。



「くれんの?」


「! そ、その代わりあれですよ! 時計があるんだから遅刻もすっぽかしも厳禁ですからね!」



 なんのツンデレムーブだろうか、唐突に一段階声を大きくするエイル。


 夏の火照りとはまた別種の赤みを頬に差しながら、猫のように唸る彼女に「待ってどこでこいつとフラグ立てた……っ?」と戦慄を禁じ得ない他方の俺。


 しかし――、



「……まあ、分かったよ。貰っていいかい?」


「そ、そうですか……。これ貰うんだったらっ、もう遅刻とかすっぽかしとか厳禁ですよ!」


 仔細問題ない。そんな口約束は蹴り飛ばせばいい。ひとまずは何より金目のものである。


「わかったよ。んでブツは?」


「ブツ! ブツだと!? なんて情緒の無い言い回しなんだ! 一回考え直させてください!」


「なんだよ分かったよ言い直すよ。――いいからさっさと金目のものを出して?」


「さっきよりも更に最悪になるんだなぁ! あーやめた! やっぱやめた! もうあげない一生あげないもん!」



 ――なんて感じで、俺たちは駅舎の方へと向かう。


 出発は十分後。到着予測は、その更に二十数分後である。



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