『英雄の国』
――まずは、クスノキ・ミツキと言う男について。
外見の第一印象は、「うだつの上がらぬ優男」だ。
長めの前髪に、やや前傾した姿勢。着ている服はこの世界と俺たちの世界の折衷案のような印象のもので、顔に張り付ける表情はどこまでも害意がない。
また、内面についても概ね近い印象だ。
虫も殺さぬ軟弱者。しかし……、
「……、……」
虫も殺さぬ軟弱者というメンタリティで以って虫を殺す。
そういった違和感が、彼の内面からは感じられた。
――いや、
「……。」
外の状況を考えれば、彼の精神は常軌とは違うものになっているはずだ。
ひとまず、彼の第一印象を固めるような真似はよしておこう。
「じゃあ、――乾杯」
「乾杯」
彼の一言で、俺はグラスの縁を彼のそれにぶつける。
そうして、――まずは一口。
「――――。」
ロックグラスに落とした氷には一つとしての曇りもない。
そこから冷気とともに、ウィスキーの香りが鼻をついた。
そして、それを一口ぶん口内に流すと、
――静かな痺れが、喉を潤す。
「……うまいな」
「だろっ? ウチの国でも古参のドワーフが作ったんだ」
「ああそりゃ、火酒とかいうトんだ酒を造るって種族だな?」
「そうそれ!」
俺の一言は『ゲーム知識の推測』でしかなかったが、どうやら正解であったらしい。
……ここで彼に「ドワーフにはまだ会ったことない」と水を差すのはあまりにも無粋であって、俺は楽し気な彼の表情に首肯を返しておく。
「ウチのヒヅチは変わり者らしくて、火酒みたいな工業用アルコールよりも、香りの上品な酒の方が好きだって言うんだよ。それで出来たのがこれなんだ」
「ふうん? 俺も向こうじゃウイスキー飲んできたけど、これはどれとも違うな。……と言うかこれ、ハーブでも混ぜてあるのか?」
俺は、後味にかすかに上る花の蜜の香りに、彼にそう問う。
「あっ、いやいや違うんだよ。アイツが言うにはそれ、魔力の匂いなんだってさ」
「……魔力に、匂いがあるのか?」
「魔力を帯びた木樽を使うと、そういう感じで花を漬け込んだような香りが出るらしい。魔力ってのは、どれだけおいても経年劣化しないから、そういう風に新鮮な香りが乗るんだってさ」
「……ふうん? 便利なもんだなぁ、魔力」
言いながら俺は、更にもう一口グラスに唇をつける。
――冷たく、そしてとろりとした口当たりが至極緩慢に舌を滑り、喉を通り、そして胃の腑に落ちていく。
はふう、と息を吐くと、
俺の鼻腔をウイスキーと花の香りが同時に通り抜けた。
「ああ、良い技術だ」
「そうとも、そうなんだよ」
俺の反応に満足したように、クスノキもグラスを傾ける。
バーカウンター越しに彼が穏やかにそうしているのは、妙に、付き合いの長い店にいるような気分を覚える光景だ。
「……なあ、えっと、クスノキさん?」
「呼び捨てでいいよ、その代わりこっちも、鹿住かハルかで呼ばせて欲しい」
「ああ、それはもちろん」
ハルと呼んでくれ、と俺は返す。
「ここはさ、楠木。どういう街だったんだ?」
「うん? ああ、良い街だよ。俺が言うのもなんだけどね」
ガスライトが揺れて、俺と楠木の影が揺蕩う。
からり、とロックアイスが音を立てた。
「種族的にはごった煮の街でさ? 例えば、この剣とか」
言って彼は、自分の腰に掛けていた短剣をノックする。
……概ね、俺の装備と同じような短剣に見えるが、
「これはドワーフとエルフの合作なんだ。ちょっとしたスキルを付与した剣でね。……他にも、みんなで作ったものが、この街にはたくさんあるよ」
「へえ? ちなみに例えば?」
「そうだな、例えば……、ウチの成果はモノだけじゃないんだよ。俺は『経済』って言う概念を大まかにしか知らなかったんだけど、それをもっと具体的にして、この国の経済策を成熟させてくれた奴もいた。俺の唯一知ってる、『神の見えざる手』って経済の用語を出してみたら食いついてさ。そいつ、元は高名な魔法使い一族の出なんで、滅茶苦茶頭がよくて」
「……、……」
――神の見えざる手。
カネとモノの取引における「値段」の設定は、買い手が払いたい値段と売り手が貰いたい値段のちょうど折衷部分に概ね落ち着くという、経済上の概念である。
ここには一種、ヒトの社会性が発露しているとみてもいいだろう。
そうやって、モノの値段が独りでに最適化していくことを、神の意志になぞらえてそう呼ぶ。
「それで言えば、この国も始めは経済政策に限らず滅茶苦茶だったんだよ。俺も一応、前世の記憶で便利な道具とか建物の設えなんかならアドバイスできたんだけど。だからかな、そのせいで、都市構造なんてものは全く考えずな建設ラッシュになっちゃってさ。アトリアって女の子が、そこをうまいこと回してくれた」
「……なるほど。いわゆるスラム街ってのも、結局は人口の急激な増加で起こるもんだもんな。人の数に間に合わせて後先考えず家を作るから、ごちゃごちゃと道も通れないような雑多な出来になってしまうっていう?」
「そう。俺の国じゃそれが、人が増えてもいないのに起きそうになったんだよ。路地の方がごちゃごちゃでさ、まさか建築様式だけじゃなく都市構造まで日本のに寄っていくとは思わなかった」
人が住んでないって言っても、だから更地に戻しましょうって訳にもいかないだろ? と彼は苦笑する。
「……。アトリアは、亡くなった国の王族でさ、そういう部分の運営をよくわかっていたんだよ。本当に、彼女に出会えたのも俺の幸運の一つだな」
「うん? それはアレか、ギルド証についているようなステータスの話だ?」
「……絶妙に浪漫のない返しだな。違うよ。これは俺のスキルだ」
「……、……」
スキル? と俺はオウム返しに聞いてしまう。
すると彼は、更に苦笑を一つ起こした。
「ああ。隠すのも面倒だから言っちゃうとさ、俺はそういう願いを受理されたんだよ」
……三つの願い、叶っただろ? と彼は言う。
「異邦者は、この世界に来るにあたって願いを三つかなえてもらえるらしい。俺はそれで、居場所と、俺が大切にしたいと思える仲間を願った。……まあでも、貰ったスキルの方は妙にひねくれていて、ここを作るのにはそれなりに苦労したけどね」
なおも彼は苦笑する。
「それから、そうだな。この国の一番の成果はやっぱり食だ。鹿住も気付いてるとは思うけど、この世界の食べ物は妙に俺たちの世界にそっくりだろ?」
「うん? ああ、ソーセージだのエールだのは、覚えてるのと比べても遜色がない」
「そう、そうなんだよ。……そうなんだけどさ、でも日本食だけは、なかなか見つからなくて」
「……うわ、まじ?」
「まじまじ。エルフの食文化辺りなら、肉食の習慣がないから雰囲気が近いんじゃないかとも思ったんだけど、そうもそもアレだね、日本食ってのは『日本が島国だった』から出来上がったんだね」
つまりは、暖流と寒流がぶつかる肥沃な海の直近。さらに言えば海流の激しさから、大陸国家とのやり取りも活発化しづらいような状況下。
流通が皆無とまでではなくとも、例えば言語に訛りが発生するような理屈で、取り入れる文化性に『訛り』が発生する。
そう考えれば、日本食と言うのは確かにガラパゴス進化を遂げた文化なのかもしれない。
米もラーメンも、中国から渡ってきてこっち元来の面影は殆どない訳で。
「……じゃあ、この世界には日本のような体裁の島国はないのか?」
聞くと、
「……いやぶっちゃけ、そうでもないんだけどさ」
と楠木は腕組み悩むような仕草を取る。
「インドネシアのナンプラーっていう魚醤に似た調味料は、見つけたことがあるんだよね。この世界にもダシ文化的な概念が存在する地域はあるらしい。ただ、ストレートに日本食って感じの料理は、なかなか見つけられなかった」
「……、……」
「それにそもそも、俺はどうにも出不精でさ、勉強旅行は早々に切り上げて、ウチで作ろうってことになったんだ」
うん?
「……待った。その『ウチ』っていうのは、他にも地球出身の身内がいたのか?」
彼の懐かしむような言い回しに、俺は無粋と思いつつも口を挟む。
なにせ、日本食文化を共有する「身内」と言えば、それはまさしく日本人に相違あるまい。
と、思ったのだが、
「あー、いや。……そういうわけじゃないんだ」
彼はそこで、
……酒棚に腰を預けて、天井を眺めるようにした。
その仕草に俺は、「妙な予感」を感じて彼を眺める。
「えっとね。――俺のことを、『家族だ』って言ってくれる奴が一人いてさ。なんていうか、そのクセで」
「おーうるせえ。やっぱりだ。急にノロケやがった」
「ははは、いや、よくわかったね。女の子なんだ」
この、温かみのある嫉妬は、まあいいとしよう。
一つグラスで流し込むことにして、
「じゃあ、あれか? その子がその、日本食を?」
「ああ。店も出して、それなりに繁盛してたんだ。俺はウェイター役で、厨房には入らせてもらえなかったんだけどね」
「……ちなみに、その子とお前って結婚してたの?」
「……、」
返事は、しかし声には出さず、
――そのかわり、俺に薬指をかざしてみせた。
「…………(ちっ)」
「いや違うんだって。マジでノロケるつもりはなかったんだよ……」
などという彼はしかし、完全に自慢げである。
俺は、それを腹立たしくも微笑ましく眺める。
篝火の照らす部屋にて、
俺たちは、静かに、そして少しだけ奇妙な感覚で以って、グラスを交わす。
それが、
――唐突に終わる。
「……フィア・エル・フォーリアって言うんだ。ヒト種の、聖女みたいな女の子。彼女だけがまだ、どこに行ってしまったのか分からない」
「……、……」
「もしも知っていたら、教えてくれないか?」
その、彼の言葉に、俺は、
「……、ああ」
一つずつ、言葉を探し始めた。
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