(05)



「……あなたも、冒険者なんでしょう?」


「うん? ああ」



 アルネ氏を待たせた木陰は、その足元で石壇を円周状に並べて、ちょっとした休憩場のような様相となっている。

 露店の本通りからは少し逸れたそこで、行きかう人々は木立を中心に左右に割れていく。


 平日の昼下がり、そこで休むのは俺たちだけだ。

 込み入った話が予想されるため、アルネ氏とは少し離れた円壇の裏側で、


 ――リベットは、まず初めにそんなことを言った。



「じゃあ、分かると思うんだけど、私「準」二級なんだ」


「……、」



 準級とは、ギルド冒険者の身分としては試験期間と言い換えてもいいものである。

 準級に上がってからの一年で以って、昇級か登録抹消かを成果で決める。


 この制度については、ある種「転移者への首輪」のように振舞うものとして存在すると俺は考えていたのだが、


 ……なるほど。昇級試験としての切実さも、確かにあるのか。



「じゃあ、二級に上がれるかの瀬戸際だって話か?」


「……はっきり言うと、そうなんだよね」



 言って、彼女が笑った。


 ……察しのいいのは俺の長所だが、それで会話が一足飛びになってしまうのは全く俺の悪い癖だ。


 こういう場合、人はもっと話したいと思っているはずなのに。



「……しかしな、準級昇格の取りやめは、そう難しい話じゃないって聞いたぞ? また三級からやり直すんじゃだめなのか?」


 そう、敢えて聞いてみる。

 それじゃうまく行かないのは、どう考えたって間違いないのだろうけれど。


「……そうした場合、本当にまた一からのやり直しになるの。……。私にはもう、三級冒険者からやり直して、始めから実績を積み上げるような時間はないんだ。あなたについていけば、きっと、『準』の文字が取れるのにそう時間はかからないでしょ?」


「……、どうかな」


 と、答える。


 なにせ、俺が唯一にして初めて受けた依頼こそがあの『赤林檎』討伐戦である。

 あれ自体はエイルによるお膳立ての感が相当あって、俺の身一つで出来ることがどの程度あるのかは未だ不明だ。


 春の日和の暖かさが、

 ふと、意識に強く残った。


「事情は分かったけどさ」


「……、……」


「正直に言うと、俺は今ちょうど、出世が出来そうな話を捕まえてるところなんだ。ただ、それなりにヤバいネタなような気もしてるんだよな。――死ぬかどうかの話でも、そっちの考えてるのは変わらないの?」


 この言い回しは、全く、俺の不愉快なところが盛大に出ていると言っていい。


 率直に言えば、俺は彼女がついて来ようが付いて来まいがどちらでもいい。

 そもそも俺は、この不死身体のおかげで完全なスタンドプレーである。爆心ど真ん中だろうがどこだろうが、俺のこの身体はそこを一直線に突っ切って相手の懐まで「散歩」できる。


 ゆえに、第三者が邪魔になることはない。

 死んでもいいなら、ついてきても構わない、というのが俺の所感であった。なにせ、守ってやるつもりなどは毛頭ないゆえに。


 ……なのに俺はいつも、こういう話を断れない。



「…………、どうする?」


「……。」



 彼女は、



「良かったら、――それでも、一緒に行きたい」



 そう答えた。







 /break..







 私ことエイリィン・トーラスライトは、今まさにアイスクリームのフライを探している真っ最中であった。


 臍に力を入れておかなければ腹がなってしまいそうなコンディションである。こういう時、あの男の『散歩〈EX〉』というスキルは全く嫉妬しか覚えない。


 なにせ彼は、そのスキルで以って「身を損なうことがない」。

 極寒も、煉獄も、空腹も疲労も、彼ならばその身一つで踏破して見せる。


 ……全く、だから転移者の存在は面倒極まる。


 こういっては何だが、「ただこちらに来ただけの人間が、破格のスキルで以って何不自由なく生きている」のだ。そんなもの、差別の火種にならずにどうする。


 私は、


「……、……」


 ふと、例の「テロリスト」のことを思う。


 この世界には、本当に救いがたい馬鹿というものがいて、その手合いは本当に心からの善意で以って「秘匿を暴く」。

 ほんの一手先までも読めずに、余計なお世話のど真ん中を勢いよく踏み抜く。焚火に手をかざせば火傷をするという当たり前の予測も出来ないで、「手が濡れているのは不快だから」だけで自らの片手を炙るのだ。


 かのテロリストが、本当にそういう馬鹿であるとすれば救えない。

 無論ながら、組織図全体が馬鹿で満たされているということはあるまい。どんな組織にも、自己欲求の為に馬鹿に取り入る手合いは紛れ込む。


 だけど、そういう場合に限って、その組織のトップは「火で手を乾かす馬鹿」なのだ。



「……。はあ、だめだなぁ」



 空腹の際の思考は、やけに攻撃的になる。


 例のアイスクリームフライは諦めるにしても、ここいらで一つ本当に何か腹に入れておくべきかもしれない。


 と、そこで、



「……あっ」



 見知った後姿に、私は思わず声を出してしまった。


 声をかけるつもりなどなかったし、私としてはこういう場合、気付かれないうちに退散するというのが常のやり方である。


 しかしながら、

 彼女・・は、この往来の最中でも、私の声に気付いたらしい。



「――エイリィンさん?」





 ――彼女は名を、シアン・ムーンという。

 私が、遺品さえも持ち帰れなかった亡き英雄の、実の娘である。






 ……………………

 ………………

 …………






「お仕事中でしたか? それなら邪魔でしょう?」


「気を使わないでくださいよぅ。それに、敬語もいらないですからっ」



 私はそれに、「敬語じゃないのは慣れていなくて」と曖昧に返す。


 仮にきっと、私が敬語をやめても、彼女はそのまま使い続けるのだろう。それでも、彼女のフランクさは失われないのだ。


 ――彼女に救われている。とは私は再三思う。


 本当なら、身内から出した戦死者の職場など、一生に一度だって行きたいものではない。

 だけどそれ以上に、彼女の歓迎を私は行く度心地良く思うのだ。



「っていうか私、仕事中っていうわけじゃないんですよ。お昼休みというか、仕入れのついでに自分のお昼を探してまして」


「ああ、そうでしたか。私もランチのアテを探しているところです。この辺りは詳しくなくて、何が食べられるのかもわかりません」


「ああ、そうでしたか。……この辺りは海が近いですから、食事も魚介が多いですよ?」



 よければ一緒に行きますか? と彼女は聞く。

 私は、



「でしたら、あなたが行くつもりだったお店に、ご一緒しても構いませんか?」



 そう聞いてみる。


「ええっ。もちろんです!」


「ごめんなさい。助かりました」



 ……そこからは、お互いに自己紹介のようなものをいくつかやり取りした。


 お互いの所属を告げ、歳を告げ、好きな食べ物を言い合う。私はてっきり彼女のことを同世代だと思っていたのだが、どうやら彼女はもう少し下らしい。


 道理で、妹を持ったような気分になったわけだ。それも、出来のいいヤツを。



「ここです!」


「ここ……。ああ、綺麗なお店ですね」



 そこは、壁一つ取り払ってそのままそれを出入り口にしたような、開放感のある店であった。


 街路からでも一望出来る店内は、シックな木目調や観葉植物が春日和に照らされて、清潔感が一番に印象に立つ。


 ……それから、タマネギやガーリックを炒める香ばしい匂いが、遅れて私の鼻をついた。



「オススメは、マッシュルームとチーズのピザです。魚介がよければ、メカジキとハーブのオイルソースでペンネを、という手もありますね」


「……さすが宿屋の店員さん。話すのを聞くだけでもおなかがすきますね」


「さあ、入りましょうっ」



 どうやら彼女も空腹であったらしい。

 私は半ば引っ張られるようにして、店内に潜り込んだ。



「いらっしゃい。ああ、シアンちゃん」


「どうも、また来ちゃいました」


「そっちは、初めての人ですね?」


「ええ、どうも」


 ホールの店員とも慣れた様子である。

 それを邪魔するのは気が引けて、私は敢えて目立たないように返事をしておく。


「そっちの、お気に入りの席。今日は空いてるよ」


「お借りしますっ」


 店内は、外で見た以上に活気にあふれた印象である。


 私自身様々な街に出る機会があるのだが、この雰囲気は港街の特徴だ。海の近くのコミュニティというのは、その日の天気そのままの雰囲気が街を包むのである。


 それで言えば今日は、一足早い夏を想起させるような、からりとしていて活発な印象だ。



「いいお店ですね。本当に」


「でしょう? 料理も喫茶も、うちの店に喧嘩売れるのはここくらいのもんです」



 たははと彼女が笑うので、私もつられて少し笑う。

 頂いた席は店内では隅の方の、街の様子がよく見える窓際一等席であった。


「メニューは、これですね?」


 焦げ茶色の装丁をした、落ち着いた見た目のメニュー表である。その中に書いているのは、例えばボンゴレだとかマルガリータだとかではなく、どうやら食材と大まかな味付けによって野表記であるらしい。


 それで言えばボンゴレなど、「アサリと大葉のオイルソース」と書かれるだけでこんなにも目新しく見えるとは。言葉とは全く恐ろしい。


 しかし、



「ふむ」



 いや全く、目移りしてしまって仕方がない。

 なるほどコーヒーは銘柄で分けてあるのか。おっと、カクテルがこんなにたくさん……。


 ああ、だめだ。そういえば仕事中なのであった。



「さてと、じゃあ……」


「マッシュルームのー?」



「……ピザにします。そちらは?」



 メカジキのペンネです! と彼女は快活に言う。どうやら、さっき言ったのは彼女が二択で迷っていたメニューらしい。


 彼女が店員を呼びつけてオーダーを済ませると「わけっこしましょうねー」と楽し気に私に言った。

 

 それから、……そういえばコーヒーを頼み忘れた、と私はふと思い出す。



「しかし、やはり街によってメニューの中身も様変わりするものですね」


「あ、さんは、そんなに遠出の機会があるんですか?」


「……、……」


「エイリィンさん?」



 ……そうか。


 そう言えばそうであった。



「……もしよければ、私は。いえ、あの、――と呼んでくださっても構いませんケド」


「――――。」



 妙に気恥しい。

 そんな私の表情をまじまじと見て、彼女は何やら楽し気に答える。



「では、遠慮なく」


「ええ、どうも……」


「それで、は、遠出の機会が多いんですか?」



 すごいなあ、この子。即座に順応してくるんだ。

 私には無いスキルだ。



「ええ、公国騎士という立場は基本的に人員より仕事の方が多いですからね。そういった関係で」


「へえー?」



 ――公国騎士とは、

 言い換えるなら、公国子飼いの一級冒険者という表現が妥当だろうか。


 公国領土内の「武力行使が強く予期される」事案への威力行為としてのが私たち公国騎士の業務である。

 私たちの名を出せば相手は当然のように委縮するし、それでも足りなければその場で

 だからこそ、「顔」に価値が生まれてくるような本物の才能者は(自分で言うのもなんだが)なかなか人数を集められない。


 また、そういう手合いの多くは騎士ではなく冒険者を目指す。そのため、公国騎士の多くは「生まれた時点で英才教育で以って強者たることを確約された」貴族の出のものが多い。



「公国騎士は、忙しいし、プライベートの縛りもそれなりに厳しいんです。だから、遠征の時くらいは羽を伸ばしたいんです」


「大変なんですねぇ。私には出来なそう……」


「私もギリギリですよ。だから、こうして見知らぬ地でおいしいものを食べるって言うのは私にとってはストレスの生命線です」


「ああ、メニューの様子が違うっていう? ちなみに参考までに、他所だとどう違うんですか?」


「ええ。面白いものをたくさん見てきました」



 言いながら、私はこれまでに訪れた街の風景を、脳裏に幾つも描写する。


 鉱山の街。雪の尽きぬ街。川とスパイスの街。それから他国に出張った際には、いつまでも夏が終わらず、そのせいか行きかう人々がどれもとても能天気で、まるでこの世の天国のような街にも訪れた。



「航空輸送の民間企業委託が熟成して以来、この世界では食事文化が平均化されたように思えるかもしれませんがね。しかし実は、そうではない。例えばこれが魚介なら、朝とれたものを昼に出すか夜に出すかでは、鮮度も、顧客に求められるメニューも違ってくるでしょう?」


「……えっと、ギリギリ分かるんですけど、これ以上難しい話はナシで」



「…………こほん。この街からずうっと南に行くと、そこでは中型の白身魚が一般的です」


「白身魚ですか?」


「タイのアクアパッツァは本当においしかった。しっかりしたパンと一緒に出されて、タイのダシをぬぐって食べるんです」


「な、なるほど。こっちじゃタイ自体縁がありませんね……」


「それに、お肉です。公国は内地に行けば行くほど平地が多いですから、牧畜と、お肉をおいしく食べる文化の水準はとても成熟している」


「(ご、ごくり)」


「平地での牧畜は、お肉の赤身をどこまでもおいしくさせますね。ここだけの話ですが、あまりにもさっぱりしているものだから私、ステーキ四〇〇グラムをペロリでしたよ……」


「よ、よんひゃくですか!? 気持ち悪くなっちゃいません……?」


「いえね、本当にこってり感がないんですよ! この辺りでも生魚を戴く文化は違和感がないですよね? それの、――お肉バージョンです」


「お肉バージョン!?」


「アレはもう、お刺身です。シアンだって、お刺身なら四〇〇グラムぐらいぺろりでしょう?」


「……ですね、ペロリです。私も実は、いっつも仕入れでお刺身用の塊で買い付けるときは、一度でいいから丸かじりしてみたいって思ってました……っ!」



「それをしたんです」


「うわあうらやましい!」


「……っはは」



 ――彼女の、

 その反応があまりにも素直なものだから、私は思わず笑ってしまう。


 そうすると、自分がいつの間にか前のめりに話していたことに気付いて、そそくさと姿勢を戻す。視界が広くなって、店内の向こうが見える。


 すると、小麦の焼けるような匂いに、私はようやく気付く。それからチーズの溶ける匂いがして、それが私の空腹を呼び起こす。


 きっと、一人で待っていたならこの時間は苦痛でたまらなかったに違いない。だけど私は、シアンに次に教えてやりたい街の食べ物の索引にばかり頭を使ってしまって、すぐに空腹への自覚を失う。


 本当は、

 ――彼女が私を見つけたとき、私はどんな顔をしたらいいのかわからなかったのだ。



「……、……」



 あの宿舎の熱烈の中に行くのであれば、それには苦がない。酒の魔法が解けて、ハルのいない二人っきりで、その時に私が、もしも彼女に会ったとしたら、……私はそれを、強いて考えないようにしていた。


 私には、シアンが私をどう思っているのかを聞くことが出来ない。なにせ答えは分かりきっている。彼女は私を「父の死を告げた死神」に見えていて、しかし彼女は、「私がバルク・ムーンを殺したわけじゃないから」と、気丈に憤懣を押し殺す。


 私と、恐らくはハルも、

 ――きっと、彼女に救われているのだろう。



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