第19話 研鑽の魔術師(2)

 朝食前に強烈な運動をさせられた僕は、フラフラになりながら自宅へと戻った。アルシファードは僕と一緒に悠々と戻ってくると、一階の食堂で朝食を頼み始める。両手両足が震えるくらい疲れ切ってる僕はとてもじゃないが胃に物を入れる気になれなかった。


「ちょっと、どこに行くの?あなたも食べるのよ」


「いや、僕はちょっと……」


 二階に上がろうとする僕を止めたアルシファードにぐったりした顔を向けた僕に、厨房から顔を出した父が怒鳴りつけてくる。


「こらラング!お客様に失礼だろうが!」


「そうよお?あなたにとってはダブルでお客様でしょう?」


 階段の下から薄っすらと笑みを浮かべる魔術師に苦い顔をしながら、登りかけていた階段を降りる。満足げに頷くアルシファードとおとなしく厨房に引っ込む父を見ながら彼女の前の席に座る。


「うん、やっと一緒に食事になったわね。ええと……だいたい十二時間くらい過ぎたけれど」


「え?ああ、昨日の約束……」


 なんのことか一瞬理解できなかったが、そういえば昨晩会った時にそういう約束だった。てっきりあの晩機会を逃したからもう済んだ話かと思っていたが。


「なあに、忘れてたの?私から誘うなんてそうはないんだけど」


「いえ、そういうわけではないですけど」


 顔を合わせないようにしながらテーブルに並ぶ食事を見る。魚の塩焼き、豚肉の野菜炒め、牛肉の串焼きーー。


「朝から重いものばかり食べてるって思った?」


「え、あ、まあ…」


 言い当てられてまた顔をそらす。そんなに顔に出ていただろうか。あるいはーー。


「言っておくけど魔術で人の心は探ってないわよ。ていうかそんな都合のいい魔術ないわ」


「そ、そうなんですね……」


 苦手だ。とても、苦手な人だ。高圧的な物言いも人を見下した態度も思考を読んだみたいに答えてくるところも……あと妙に色気を見せてくるところとかも。


「ねえ、いつまでそっち向いてるのかしら?話、できないんだけど」


「え、いや……話は聞いてますからーー」


 言い切る前に顎をぐい、と捕まえられて無理やり彼女の方に顔を向けさせられる。


「人と話すときは相手の顔を見る。習わなかったのかしら……?」


 細められた彼女の瞳が放つ冷たい眼光に射抜かれて、体がすくむ。何も言えなくなった僕から手を離したアルシファードは、何事もなかったようにフォークを手に取り魚を一口頬張る。


「……私の旅の目的は魔術の研鑽。自分が使える魔術をあらゆる方面に広げることよ。そのために大陸の端から端までを旅したい」


 自分は人を見ずに話すんだな、と思いはしたが口には出さなかった。


「で、故郷を出てダゴティハンを通ってここまで来たのよ。海沿いの町は大体行ったから次は内陸を目指そうと思うのよね」


「内陸、ですか……」


 ここから内陸に向かう人はあまり居ないし、僕も詳しくはない。町の名前もあまり聞かないし。


「そう、というわけでここから一番近い内陸の町となるとーーダイアスト。坊やも名前くらい聞いたことあるかしら」


 聞かれて首を横に振る。ここに来る人たちは多くが王都を目指しているし、何より今まで旅人の人たちの目的地の話なんかは大して気にしていなかったから、たとえ聞いていても覚えていない。アルシファードはやれやれと首を振ってフォークを置くと僕の方に向き直った。


「ダイアストは鉱石加工で有名な町よ。人口約三万人、ここからの距離はそうね……あなたを連れて行ったら片道一週間くらいかしら」


 その言葉にムッとしたけれどやはり口にはしない。この人を相手にしているときには余計なことは言わないのがいい。


「移動は徒歩ね。あなたに期待する役割は荷物持ちと魔術の素材集めの手伝い。報酬はもちろん取り決め通りの前払いよ」


「……いちおう聞きたいんですけど、なんで僕を選んだんですか?」


 彼女の言葉はわかりやすく正確で無駄がなかった。こちらの聞きたいことなど言い切られていたが、何も言い返せないのが悔しくて、しばらく考えてから聞いた。彼女はキョトンとした顔をした後、突然笑い出す。


「ふふ、あははは!選んだ、なんて。そんなわけ無いでしょ?この町で従者やってる人があなただけだったから。それだけよ?選ばれたなんて思わないで頂戴な」


 顔を赤くして憤りの声を抑える。それは考えてみれば当然のことだったけれど、わざわざそんな言い方をしなくてもいいだろうと思う。


「で、契約はどうするのかしら。次の雇い主が現れてくれるといいけど……」


「ッ、やりますよ!契約します!」


「そう?ふふ、じゃあよろしくね?坊や」


 こうして、全て目論見通りという顔をする魔術師の前で僕は契約書へペンを走らせた。


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