サキュバス、黄鶴楼にて上司の恋路に之くを送りました14

「ところで課長、こういうところって食前酒が出てくるんじゃないの? いいのいきなり食事中用の酒飲んじゃって」


「その辺りはご心配ないかと。恐らく、獅子小戸さんかハイヤーの事務所が車内で飲酒する旨を先に伝えておいたんでしょう」


「ふぅん。でも、そういうのって一言あるべきじゃない? なんか試されてるの?」


「メニューに書いてなければ別料金となるので、気まずい空気にならないよう配慮していただいているのでしょう。失礼ながらピカ太さん、入った瞬間から浮ついていらっしゃったようですし」


「あ、分かるもんなのそういうの」


「相手は一流のプロですから……それに、酔いが先行して料理の味が分からなくなったり、呑まれて粗相をするなんていう失態を演じてしまってはせっかくの体験が台無しですからね。これも一流の対応です」


「ふぅん」



 何となく腑に落ちないが一流には一流のしきたりがあると納得するしかないか。これがもし小説であれば、「しもた。食前酒なんてのもあったんやった。でもま、無視したってもええやろ。かまへんかまへん」と、なかった事にしてストーリーが進む事であろう。いい加減なものである。




「失礼いたします。こちら、海に咲く真紅の薔薇でございます」



 お、早速料理が運ばれてきたか。どれ、お手並み拝け……



「……」


「? ピカ太さん?」





 シャイニング。そう、光輝。

 皿の上に乗る料理から発せられる眩いばかりのオーラ。なんと形容したらいいのか……ブリリアント。もはや料理であるかどうかすら分からない高貴なる輝きが目を眩ませる。これが、これが料理か。食べ物か。いったいどのような味なのか想像もつかないが、鼻腔をくすぐる芳しい香りに食指が動く。だが、おいそれとは手を伸ばせない。まるでナイフを入れる事を拒絶するように身体が硬直し動かないのだ。優れた芸術品を前にした時のように呆然と魅せられ、眺めるばかり。にも拘らず余りの後光に直視も叶わず、朧げな輪郭に心の中で平伏し祈るっているのだ! おぉ! なんという事だ! 庶民の俺はこの料理の全貌を把握する事もできないというのか! あぁ! もっと上質な生活をしていれば、或いはグルメのためなら金に糸目を付けぬような食道楽であったならばしっかりっとこの料理を両の眼で捉え、その姿形を目に焼き付けメモリーとして脳の一角に保存しておけたというのに! 憎い! 無頓着だった自分の軽薄さが憎い! 俺は誰かにこの料理について話す時、まともな感想すら述べる事ができないのだ! こんな恥辱があるだろうか!?



「あの、ピカ太さん」



 かくなる上は、目を閉じながらそっとナイフとフォークを持ち、何とかしてこの料理に傷を付け最新の注意を払って口に運ぶしかない! しかし俺にできるのか。モナリザやゲルニカに匹敵する美塊を傷物にし、あまつさせ糞の元にするなどという恐れ多い行いを!? できない……俺にはできない……! この美しき料理は美しいまま、ずっと俺の傍らにいてほしい! 味など知らなくてもいい! ただ側に、隣にいてくれるだけでいいんだ! その光で包み、アガぺの彫刻が如く慈愛に満ちた抱擁を与えてほしい! 俺はもはや、この料理に身も心も奪われてしまった! かつて女にときめかなかった俺が、この料理にだけは心が引かれ、鼓動が加速していく! これが、これが恋か! これが愛というのか! なんと! なんと素晴らしい感情! 芽生え! 躍動! 人の内に眠る根源的な情動を駆り立てる神秘性! 象徴! 結晶! 地上に舞い降りた偉大なる神の一部! 俺は今夜、神の片鱗に触れたのだ! おぉハレルヤ! 我らが主よありがとうございます! 私は今、救われました! 



「Amen《エイメン》!」



「ピカ太さん。どうなされたんですか? ピカ太さん」



「……は!」



「何があったんですか? 急にアンデルセン神父の真似なんかして」


「あ、あぁすまん。この見た事もない料理を前につい感動してしまって、これまで考えた事もない神の存在を確信してしまった」


「まぁ、分からないでもないですが、早く食べてしまわないと……」


「分かっている。分かってはいるがしかし、この神々しい存在を俺如きが崩してしまっていいのだろうかと迷っているのだ」


「……残したら残飯ですよ?」


「残ぱ……」




 ぐふぅ~~~~~~

 死。




「ピカ太さん。ピカ太さん? ちょ、ピカ太さん!」


「……は!」


「ちょっと、大丈夫ですか? 今度はどうなさったんです?」


「いや、すまん。無惨にポリバケツへ放り込まれるところを想像して、気を失ってしまった」


「……さすがに大袈裟過ぎでは」


「そうかもしれん。しかし、俺にとってはそれ程までのパワーを秘めた料理なのだこれは」


「けれど、食べない事には……」


「あぁ……食べるさ……食べるよ……」



 左手に剣。右手に盾。あ、違うわ。左手にナイフ。左手にフォーク。装備は問題なし。銀の質感は良好。馴染むなぁ本当に。これで目の前の料理を殺すのか……いや、料理されている時点で既に食材は死んでる。これは食べてもらうために作られた創作物だ。俺が口に運ばねば完成しない。そうだ……この料理の存在価値の有無は俺によって決定付けられるのだ。食べなければ……食さなければ全てが台無し……よし、食べるぞ……食べる……食べるぞ!



 スッ。スッ。サク。ヒョイ。パク。




 ……




「どうですか? お味は」


「うん。美味しい」


「そうですか。よかった」



 

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