第35話 浮かぶ島と従のクラス



 街の馬車置き場から出た俺たちは、まず初めに肉屋へと向かう。

 ハナさんとは、馬車置き場の前で分かれた。

 ローズィアンの侍女見習いだという彼女の存在がなんとなく気にはなったものの、急いでいるようだったのでまた今度機会を見て話すとしよう。


「これが王都かー」


 奴隷としてこの国にやって来たとき、ルートは違えど少しぐらいは街並みも目にしたはずだった。

 だけどまったく覚えていない。奴隷市場の景色しか記憶になかった。


「……ん? あれ……建物が浮いてる!?」


 シモヌーを先導にまるで田舎者のように周囲に目を配る俺を、隣にいたエドリックが横目に「はぐれても探さねぇ」と言ったときだった。

 遠くの空にぽっかりと浮かんでいた島に、たまらず声をあげてしまう。


「急に叫ぶなよ、うるせぇな!」


 と言っているエドリックもどっこいどっこいの声量だが、それよりも俺は島が気になった。


「え、あれも魔法? あんなデカい島が浮いて……ていうか、あの島ってあれじゃ!? もしかしなくても――」

「だはは! なんだ坊主!"学院島"を見てそのはしゃぎようとは、よその国から来たのか」


 脳裏である絵が思い起こされそうになったとき、通りで屋台を開いていた中年男に声をかけられる。

 恰幅が良く無精髭を生やした屋台の店主だ。


「学院、島?」


 そうだ、聞いたことがある。

 当たり前だ。

 学院島といえば、それはつまり――


「学院島を知らないのか!? 学院島っていえば大陸一の名門"グレートクインズアカデミー"があるところだぞ!」

「えええ! やっぱりいい!?」


 知っているに決まっている。

 グレートクインズアカデミーとはすなわち『マジカル・ハーツ』の舞台になる学校のことだ。

 魔法によって島を浮かせ、そこに大規模な施設を建設したというぶっ飛んだ話も小説で解説があった。


 島に入るにはアカデミー行きの魔法転送塔を利用するか、自力で島まで飛んでいく方法が取られるが、後者の方法をとる者は少ない。

 それは島全体を覆うようにして防護魔法が施されているからで、防護魔法を通過して島に入るには、魔力が込められた特別許可証が必須なのである。


 そうそう、たしか『マジカル・ハーツ』のヒロインも、似たような説明を最初に受けていたんだ。


「うわー、本物だ。本物のグレートクインズアカデミー……」


 なんか感動だ。だって島が丸々浮いてるんだぞ。

 小説の裏表紙にも学院島の全貌とかで詳しく描かれていたが、生で見ると迫力が違う。

 遠目から見てもこの興奮……浮かぶ島ってだけで色々と心がくすぐられた。


「な、なんなんだよお前は……」


 ここまで意気揚々とはしゃいだ俺を見たのが初めてだったからだろうか。

 目を輝かせた俺の横で、エドリックが若干引いていた。


「……あ、見つけた。ニア、エドリック」


 ぽ〜っと島を眺めていれば、シモヌーが不思議そうに首をかしげて現れる。


「後ろ振り向いたら二人ともいないから……どうしたのかと思った……ここでなにしてるの?」

「あっ、ごめんシモヌー」

「こいつ、学院島を見ただけで騒がしくなったんだよ。あんなの珍しくもなんともない」

「へえ……そうなんだ。まあ、街まで来ればだいたい見えるしね……」


 物々しさすら感じられる学院島だが、王都の人間にとっては日常の景色の一部に過ぎないようだ。慣れとは凄まじい。


「魔法ってすげー」

「ニアはアカデミーに……興味あるの?」

「え?」

「魔法……使えるかもしれないんだよね。ならさ……アカデミーに入学できる可能性だってあるよ」


 ここだけシモヌーはこそっと耳打ちして言った。


「俺がアカデミーに?」


 そんなの考えたことなかった。

 そりゃあ魔法は憧れるし使えたらいいとは思うけど、俺の第一優先事項はクリスティーナお嬢様の闇堕ち回避だ。


 ……うん?

 だけどどっちにしろ、時が経てばお嬢様はアカデミーに入学することになる。

 つまりお嬢様のそばにいるためには、俺もアカデミーに入らないといけなくなるってことじゃないか。


「もしお嬢様がアカデミーに入学するなら、俺も行きたいかな。それがどんな形であれ」

「――君、アカデミーに入りたいのか?」


 ふと、俺たち三人に大きな影が差す。

 影の出どころを見上げると、そこには一人の青年が立っており、俺たちを微笑ましそうに見下ろしていた。


 ……どちら様?



 ***



「なんだパウリ! 街に戻ってたのか!」


 屋台のおっちゃんが嬉しそうに、パウリと呼ばれる青年に近寄った。

 俺たちに声をかけてきたこの人は、どうやらおっちゃんと知り合いらしい。


「といっても、すぐに帰らないといけないんだ。お嬢様からのご命令で、街の屋台で売ってる焼き鳥が食べたいって」

「それでうちに来たってか! いや、しかしよう……ハーツバレットの生徒はそんなことまでしなきゃいけないのか。大変だなぁ」

「ハーツ関係を結んでるから、これぐらいのマスターのわがままは可愛いもんだよ。というわけで、僕はこの屋台の焼き鳥が王都で一番だと思ってるんだ。十本ぐらい焼いてくれないか?」

「おう、まかせろ! 少し待ってろよ!」


 張り切った様子で屋台の中に入っていくおっさん。そして再び、青年はこちらに目を向けた。


「ああ、僕が話しかけたのに途中だったな。それで君は、アカデミーに入りたいのか?」

「入りたいといえば入りたいですけど」


 先ほどの屋台のおっちゃんとの会話で、この青年がグレートクインズアカデミーの生徒であることはわかった。

 そして青年が身にまとっている、制服と思わしき漆黒に近い灰色の燕尾服と、胸のクロスタイ。

 これはアカデミー生の中でも、ある特別クラスに籍を置いている者だけが着られる特製の制服だ。


「君が着ている服……使用人用の服だな。ということか、どこかの屋敷に勤めているのか」

「そうです」

「だとすると、アカデミーに入るとしたらハーツバレットクラスを志望かい?」

「それは……」


 ハーツバレットクラス。

 小説『マジカル・ハーツ』の特色のひとつ。

 それは魔法全般を学ぶ魔法士養成クラスとは別の、主に仕える側の人間の教育に特化したクラスの名だ。

 必須カリキュラムは40を超え、従のあるべき姿、従の心得をのすべてを最高峰の教育環境の元で学べるクラスである。

 

 この世界は、執事や従者といった職種の人間が多くいる。

 王族や貴族と限らず、魔法士にもほぼ必ず一人は付いているのが習わしとさえされているからだ。


 主と従は、一対の存在。

 心から身を任せ、心から忠誠を捧ぐ。

 それは主従関係の最もあるべき形だといわれていた。


 従の出来は、主のステータスにも関わる問題だとされており、だからこそハーツバレットクラスを卒業した生徒は、仕え先が引く手あまただという。


 ……なぜこうも、仕える人間の側にあるハーツバレットクラスが『マジカル・ハーツ』にて注視されているのか。

 そもそもなぜ、ハーツバレットクラスというものが存在しているのか。

 それは『マジカル・ハーツ』の主人公であり、ヒロインであるセーラと結ばれる相手が、ハーツバレットクラスの人間だからだった。



 

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