第30話 エドリックと執事長室にて2



「ニア、侮辱を受けても真っ先に頭を出してはいけません。たとえあなたに悪意がなくとも、その行いによってあなた自身の立場を危うくすることに繋がります」

「……はい」

「報告を怠ったというのも褒められたものではありません」

「はい……」

「また明らかに不自然な雑務を押し付けられた場合は、私または執事の誰かに伝えてください」

「はい」

「ズィーベンから聞きましたよ。宿舎裏の草むしり……半分以上も終わっていたそうではないですか」

「……そうみたいです」


 エドリックの次は、俺の番である。

 使用人同士の乱闘はご法度だと、バートル様は何度も俺に言い聞かせ諭した。

 エドリックは従僕たちが俺に草むしりを押し付けていたこと自体まったく知らなかったようで、隣で目を丸くしていた。


 俺が草むしりを押し付けられ、中途半端にやっていたことはズィーベン様やバートル様には筒抜けだったらしい。

 というのも昨日ズィーベン様と鉢合わせたとき、立ち去る俺の靴裏をズィーベン様はチェックしていたそうだ。

 靴裏に付いていた土や、宿舎裏の地面にあった足跡から、俺がやらされていたと勘づいたのだという。

 そしてそれらの状況はすぐにバートル様の耳に入っていた。

 ローズィアンのリボンに関しても、クリアがバートル様の元に訪れていたおかげで早く確認を取ることができていた。

 クリアが俺と一緒に別邸を出ていったのは、そのためだったんだろう。


「すみませんでした」


 バートル様に見守られながら、俺もエドリックに謝罪をする。エドリックは今もなお険しい顔をしていた。

 悪意を持って頭突きしたわけではないが、エドリックの発言が許せなかったのは今でも変わらない。

 それでもここで過ごしていく以上は、使用人としてルールを守らなければならないのだ。

 乱闘ご法度のルールを破ったのだから、それについては謝った。


「では、お話はこの辺りで終わりにしましょう。お二人の処罰については後ほどお伝えします。ニアくん、別邸に戻って構いませんよ。クリアくんが外で待っているでしょうから」


 話し合いが終わると、バートル様は元の優しい顔つきに戻っていた。

 名前も「くん」付けに直っている。

 なるほど、こういったとき限定なのか。


 処罰は……それぞれの理由を考慮して今回だけは軽くしてくれるらしい。

 従僕たちがどうなるのかまでは教えてくれなかった。

 

 緊張が和らいだところで椅子から降りる。隣にいるエドリックはまだ座っていた。


「……」


 なんだかショックを受けたような顔をしている。今さらながら騒ぎになっていたのが堪えたのかな。

 そういえばエドリックは猫を被りながら従者見習いになったんだっけ。

 問題を起こしバートル様にお説教されて落ち込んでいるようだが、俺が退室するまで動く気がないのだろうか。


「……エドリック。これだけは言っておくけど、俺は奴隷だったけど、犯罪奴隷じゃなかったよ」

「……!」

「俺が奴隷だったのは、単に役立たずだったからだ」


 抜け殻になっていたエドリックが、俺の説明に反応を示した。


「……なに?」

「実の両親が死んで、俺は義理の父母に引き取られた。だけど俺は、義父母が思っていた以上に出来が悪かったらしい。何も役に立てなかったから、多少のお金に代わる奴隷として売られたんだ」


 奴隷になる前の数少ない自分の記憶。本当にわずかなものだが、それでも覚えていてよかった。

 こんなことをエドリックに言ったところでどうにもならないが、これ以上誤解を強めて欲しくない。


「クリスティーナお嬢様は、そんな俺を見つけてくれた人なんだよ。奴隷だった俺を厭わないでくれる優しい人なんだ」


 もうあんな言い草してくれるな、という意味合いも込めて笑う。

 エドリックは何も言わなかったが、反論を浴びせてくることもなかった。


「……ニアくん」

「あっ、長く居座ってしまって申し訳ございません、バートル様。それでは私は失礼いたします」


 うわー、バートル様にも聞かれていた。

 そりゃエドリックに話せば、近くに立っているバートル様にも丸聞こえだ。

 聞かれちゃまずい内容でもないが、話したあとの静まり具合が居心地悪い。

 

 早く出ていこうとドアノブに手を伸ばす。

 ちょうど廊下側からも人が来ていたようで、俺が開ける前に扉は開いた。


「……?」

「あ、ランドゥン様」


 束の書類を抱えたランドゥン様が、俺を見下ろすように立っている。

 俺は慌てて横へと逸れた。


「失礼いたしました。どうぞ」

「……先に出なさい」


 そう言ってランドゥン様は扉を押さえていた。

 嘘だろこの人、貴族なのに使用人を先に通すなんて嘘だろ。

 だが、ランドゥン様にドアノブを持たれてはポジションを奪うこともできず、俺は縮こまって廊下に出る。


「お気遣いありがとうございます」

「……構わない。礼だ」


 一瞬なんのことだと頭に疑問符がくっ付いたが、分かりずらい表情の中にも浮き彫りになっている晴れ晴れとした様子にすぐ合点がいった。


 猫のお礼はもういいですって! 飴玉五つも貰ったんだからさぁ!!

 あれぐらいで恩を感じられても。


 と、言いたくても言えず、俺は先に執事長室を後にした。

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