第29話 エドリックと執事長室にて1



 やって来たバートル様は、侯爵様とライオットへ一礼をした。

 同じくズィーベン様とクリアが頭を下げる。

 その様子をぼうっと見ていれば、顔をあげたクリアと目が合った。氷の眼光に俺の心持ちはどん底だ。


「バートル。この少年はいつから屋敷にいる。私の記憶にはない顔だと思うが」

「彼は昨日より……クリスティーナ様の従者を勤めております。名をニアといいます」

「なんだと?」


 侯爵様の眉間に皺が寄り、その目が射抜く勢いで俺に向けられた。


「あの子の」


 厳しい表情をしているが、どうやら怒っているわけではなく、その言葉は心底驚いた様子だった。


「……。そうか」


 返答と共に侯爵様は瞼を伏せ、赤い瞳が半分ほど隠れる。


「私は通りかかっただけだ。じきに王城へ向かわなければならない。この場の対処はバートル、お前に一任する」

「かしこまりました」


 今の表情になぜか引っ掛かりのようなものを覚えたが、侯爵様はバートル様が来るやいなや踵を返して立ち去ってしまった。


「……くくっ」


 侯爵様の隣にいたライオットがちらりと俺の顔を見て、小さく笑っていたような気がした。


 侯爵様は辺境に赴いていることが多く、俺がクリスティーナお嬢様の別邸にやって来てから今日まで、要塞の一つに滞在していたと聞く。

 そして息子のライオットも鍛錬のため侯爵様について辺境を回ることが多い。

 バートル様はそれほどでもなかったけど、他の本邸の使用人たちは侯爵様やライオットが現れド肝を抜かれていた。帰還を知らされていなかったのかもしれない。

 

 いや、それにしても……登場が突然すぎてほとんど声も出せなかった。

 それまで喚いていた従僕たちもバツが悪そうに黙って動けなくなっていたし、まさか侯爵様が来るとは誰もが予想していなかっただろう。


「……皆、ただちに持ち場へ戻るように。エドリック、ニアは私について来なさい」


 バートル様の声で野次馬化していた使用人たちが機敏に動き始める。

 昨日はにこやかに微笑んでいたバートル様だが、指示を出すその横顔に一切の表情はない。


「うぅ……」


 地面に転がっていたエドリックはふらふらと体を起こした。

 気力で無理やり立ち上がったため足元はおぼつかなく、見ているこっちがヒヤヒヤする。


「まったく……どれほどの石頭だったのでしょうね。ニア、あなたが起こしたことです。責任を持ってエドリックを支えなさい」

「え」


 まあたしかにエドリックは立っているのもやっとなんだ。一人で歩かせたらどこに行くかわからない。

 ぐずぐずしていられるような空気ではないので、俺はバートル様に従った。


「じゃあ、ちょっと失礼」


 エドリックの腕を取り、自分の肩に回す。よかった。重いっちゃ重いけど支えられそうだ。

 俺に体を預けたエドリックはこの世の終わりとでも言いたげな顔をしていた。

 歩けなくした相手に支えられ、そしてそいつは自分が嫌っている元奴隷なのだ。心中をお察しする。


 だがしかし、ここではバートル様の言葉に従うことが最優先。俺にだって思うところはあるが四の五の言わずに動くしかない。


「あ」


 エドリックの足を引きずりながらバートル様の後をついて歩けば、途中でクリアとすれ違った。

 クリアは何も言わなかったが、口元だけは音もなくパクパクと動いている。

 

 ―― あ ほ う が 。


 読み取れた言葉のあとも早口でがみがみと何か言っているようだったけど、長すぎる言葉は無理。

 俺は鬼の面を被ったクリアの横をいそいそと通過するのだった。



 ***



「――事情は大方、把握しました」


 従僕数人はズィーベン様に連れて行かれ、俺とエドリックは本邸の執事長室にある椅子に座らされた。

 事のあらましを聞いたバートル様は、憂いげに目頭を押さえた。


「まず、誤解をなくしましょう。エドリック、あなたが手にしていたこちらのリボンは、間違いなくローズィアン様の私物です。誰から受け取ったものですか?」


 バートル様の手には、問題となったリボンがあった。


「……ベンです」


 ようやく話せるようになったエドリックは、従僕の名をひとりあげる。


「ベンは、それをどこで手にしたと?」

「……コイツの胸ポケットから落ちて、それを拾ったと言っていました」


 エドリックがこちらを鋭く睨んだ。

 つづいてバートル様は俺に質問を投げかけた。


「ニア、エドリックの言葉の通り、リボンはあなたが落としたのですか?」

「はい、そうです」

「では、どちらでこれを?」

「1番の花園です……昨日、敷地内を散策中に間違えて入ってしまいました。そこで拾ったものです」


 バートル様は静かに話を聞いてくれた。

 言葉がつっかえそうになれば相づちを打って待ってくれて、俺が話し終えるのをただひたすらに待っていた。


 エドリックや従僕は、元奴隷の俺に耳を傾けてはくれなかった。盗んだのだと決めつけ疑わなかった。

 話を聞いてくれるということは、こんなにもありがたいことなんだと改めて思う。

 そう再確認したら不思議と鼻がツンと痛くなったが、手に力を込めて意識を逸らした。


「はい……ありがとうございます。エドリック、ニアが言っていた通りこのリボンは初め花園で落ちていたものです。花園を出るまではしっかり付けていたと、ローズィアン様も仰っていましたから」


 え、ローズィアンが?

 一体いつの間にそんな証言を取ったんだろう。


「そこまで状況が見えてくれば、わかりますね?」

「……っ」 


 ふと隣を見れば、エドリックが青ざめた顔をしていた。


「ニアは盗みを犯してなどいません。そもそもそのようなことは、冷静になって物事を整理すればあなたもわかったはず」

「……そ、れは」

「エドリック。あなたは、ニアがローズィアン様のリボンを落としたと伝え聞いた段階で、従僕たち彼らの意見に便乗し盗んだと判断したのですか?」

 

 物腰は変わらず丁寧であるが、バートル様が言い連ねるたびに肌がチクチクと針で刺されるような感覚があった。


「……そう、です」


 エドリックは弱々しい声で、それを認めた。


「それはあなたがリボンを受け取ったときにおこなう、最善の判断でしょうか」

「ちがい、ます」

「そうですね。それによって最小限に抑えられた事態がエムロイディーテ侯爵家の方々の目にすら入り、大事になりました。理解していますか?」

「……は、い」


 エドリックの鼻声混じりに、俺まで釣られそうになった。

 バートル様はただ怒っているのではなく、真摯に向き合って正してくれている。

 そうだと分かるからこそ、ぐうの音も出ない。

 軽率に頭を出してしまったことも申し訳ない気持ちになった。


「エドリック、ここはあなただけの仕事場ではありません。大勢の人がいます。そしてニアもその一人。同じ家名の元にいる彼を侮辱することは、自分の首をも絞める行為。ましてや仕える家の人間に対する軽はずみな言動は、最悪の場合……命を持って償わなければなりません。今後は十分に注意し改めなさい」

「は……い」


 そうしてエドリックは俺に体ごと向けると、深く頭を下げた。


「すみません、でした」


 エドリックの手は、今にも血が出そうなほど強く握られている。

 バートル様はその様子を、どこか痛ましそうにしながら見つめていた。

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