第26話 初日終了



「……面倒をかけた」


 我に返った様子のランドゥン様は、懐柔した白猫を抱えてそう言った。

 この白猫については、ランドゥン様が責任をもって対処するとのことだ。


「何か礼が必要だな……」

「いえ、そもそも私はランドゥン様に土をかけてしまって――」

「すまないが、持ち合わせはこれだけだ」


 俺の話を聞いちゃいない。

 その調子のままゴソゴソと衣服を探ったランドゥン様は、俺の前に手を広げた。

 ころん、と手のひらに丸いものが転がっている。

 包み紙にくるまれたこれは、もしかしなくても飴玉?


「……」


 持ち合わせと言うもんだから、てっきり金銭かとドキドキしたが。

 ランドゥン様の手には可愛らしい色合いの飴玉がコロコロと並んでいる。


 これを俺にくれるって?

 まるでお手伝いをしたあとの子どもに渡す可愛いお駄賃だ。

 いや、そもそも俺は礼を受ける立場じゃないし。

 ランドゥン様のお召し物を汚しているんだぞ。


「私はランドゥン様の衣服を台無しにしてしまいました。ばつはお与えになられないのでしょうか」


 ランドゥン様はエムロイディーテ侯爵家の家令という立場にあり、加えて爵位持ちの方だと聞いている。

 だというのに、なんのお咎めもなしに済むことなんてありえるのだろうか。


 奴隷として売られていたときも、道端で他の屋敷の使用人と思われる少年が何かをやらかしたとかで背中を叩かれているのを見たことがある。

 待遇の悪い屋敷では、そのように痛みによる罰を与えるところも少なくはないのだ。


 クリスティーナお嬢様に仕える従者という立場は、この屋敷内においても特別な立ち位置にある。

 また主人であるクリスティーナお嬢様も優しい性格で、体罰なんて起こりようがない。

 だが、エムロイディーテ侯爵家としては、使用人が失敗をしてしまった場合、どうなるのだろう。


「……罰?」

 

 ランドゥン様の低めな声に、体がビクリと震えた。

 自分で言っておいてなんだが、俺は罰が嫌いだ。

 罰と聞くだけで、奴隷時代の鞭打ちが勝手に頭をよぎる。

 これは相応の罰だと笑いながら鞭を振るう奴隷商人の顔まで思い出してしまう。

 俺にとっては不快以外の何ものでもない。


 だけど、飴を貰ってサヨナラで終わらせてしまうほうが後々を考えると怖かった。


「……使用人の統括、管理は執事長の責務だ。もし君が罰を望むなら、それを与えるのは執事長であり僕の役目ではない」

「……」


 つまり、バートル様に報告して罰を受けるということかな。


「だが、僕は執事長に君のことを告げるつもりはない。彼を救ってくれた君を、わざわざ執事長に詳細を説明し罰を受けさせる労力は僕にはない……そもそも面倒だ」


 最後にこぼれたのは、ランドゥン様の本音なのだろうか。

 淡々とした口調と、クリア以上の無表情さ。また恐縮してしまいそうな顔つきをしているため、びくびくと構えていたが。

 ランドゥン様は思ったよりも、怖い人ではないのかもしれない。 


「これを受け取り、君は持ち場に戻りなさい」

「……ありがとうございます」


 色とりどりの包み紙にくるまった飴が、俺の手元にやって来る。


「では、彼は僕が安全な場所まで連れていく。よく見ると小生意気な顔をしているから、野生に放っても強く生きていけるはずだ」

「ランドゥン様」

「……? どうした」

「言おうか言わないか迷っていたのですが、その猫は女の子です」

「……な、に」

「ニャ〜」


 ああ、やはり勘違いをしていたみたいだ。

 しかしランドゥン様が寛容な方だったおかげで俺は救われた。


 ***


 侯爵家の家令から、飴玉を貰ってしまった。

 全部で五つ。ズボンのポケットに入れたので、傍から見ると俺の右脚はボコボコと不自然な形をしている。


「おい、元奴隷! こんなところで何してるんだよ!」

「げっ」


 歩いていれば結構な声量で呼び止められた。

 さきほど俺に草むしりを押し付けていった従僕たちが勢ぞろいしている。

 ランドゥン様と別れてから何となく本邸目掛けて歩いていたけど、そういえば俺って草むしりをしてたんだ。

 しかも呼び名は元奴隷って。


「草むしりはどうしたんだよ! まだ終わるほど時間も経ってないだろ!」

「そうだそうだ!」

「あれぐらいの仕事もこなせないのかよ!」


 こいつらは仕事中に集団行動をしろと決められているのだろうか。

 どうしてこうも勢ぞろいしているんだろう。


「とっとと戻れよ、元奴隷!」

「お断りします。私は敷地内の見学に戻ります」


 今度は囲まれないように注意をする。

 最初は「こんなことある?」と呆気にとられて終わったが、もうそうはならない。


 だいたい、何が原因でランドゥン様の服を汚したと思ってるんだ!

 いや、汚したのは確認を怠った俺の責任だけど、元を辿れば従僕たちが仕事を押し付けてきたのがそもそもの始まり。許さん。


「こいつ、卑しい身分のくせに生意気だぞ!」


 一人の従僕に、胸を強く押された。

 それだけで体はよろけ、地面に手をついてしまう。


 痛いわ。今の俺はあんたらより格段にひ弱だっていうのに!

 咳き込みそうになるところを堪える。

 俺は立ち上がって、さすがにやり過ぎだろうと睨みつけた。


「……」

「な、なんだよっ」

「ふん、噛み付こうってのか?」


 一瞬怯んだ様子を見せた従僕たち。

 ……問題を起こしてはいけない。起こしたり、知られてしまっては「クリスティーナお嬢様の従者」として耳に入ることになる。


 できれば穏便に終わらせたい。

 俺はふっと息を吐いて、大袈裟に肩を落としてみせた。


「……ああ、困りました。私は早朝に、バートル様から敷地内を見学する許可をいただいたというのに。それが無駄になってしまうんですね。……ああー! バートル様からのー! せっかくの許可がー! 無駄にー!! なるんだなぁーー!!」


 執事長の名前を出されたことにより、従僕たちの顔色は分かりやすく変化し始める。

 使用人トップのお名前は効果抜群のようだ。


「な、なんだこいついきなり」

「お、おいうるさいぞ! だまれよ!」

「そうだぞ、そんな声を出したら――」

「お前たち! そこで何をしているんだ!」


 身振り手振りは大切だと、両手を軽くあげてガッカリポーズをしていれば、後ろから声がした。

 従僕たちは焦った様子で俺が立つ先に目を向けている。


「宿舎の雑草処理を自分たちから願い出たかと思えば、こんなところで一体何を騒いでいたんだ」


 振り返ると、黒いお仕着せの男性がこちらにやって来ていた。

 早朝に挨拶を済ませたばかりの……執事のズィーベン様だ。


「様子を見に宿舎に行ってみれば、やりかけのまま放置して……聞いて呆れるぞ」


 おーい。振られた仕事どころか、自分たちからやると言ったにも関わらず俺に押し付けてただと。

 ちゃっかりポイント稼ぎして手柄にしようとしているなんて、なかなかに悪知恵の付いた頭だ。


「も、申し訳ございません……ズィーベン様」

「今から続きをやろうと思って」

「ちょっと休憩に水を厨房から貰っていて」


 従僕たちは口々に言葉をもらす。

 誰一人として真実を話そうとする者がいないのには呆れた。


「はぁ……まったく。それで、君はなぜ彼らと一緒にいるんだ」


 ズィーベン様の視線が俺に向けられた。

 同時に、従僕たちからも鋭い眼光が飛んでくる。

 大方、チクるなと訴えているのだろう。


「……私は敷地内の見学をしていました。ここにはたまたま通りかかっただけです」

「なに、ここには大して見学するようなものはないと思うが?」

「ですよね。少し地図の見方を間違ってしまいました。もう大丈夫そうなので、私はこれで失礼します」


 いい口実ができた。

 このまま去ってしまえば、面倒な事態になることもない。

 執事のズィーベン様にも見られたわけだし、従僕たちも少しは態度を改めるだろう。

 まあ、ズィーベン様には報告しなくても、直属の先輩従者ってことでクリアには言うけどな!

 

 その後、騎士団の訓練場入口を散策していた俺をクリアが迎えに来た。

 すべてを見て回ったわけではなかったが、別邸内の説明もあるからと散策は一旦終了となる。


 クリアには、ローズィアンに会ったこと、従僕たちのこと、ランドゥン様のことを報告した。


「この数時間を、それは色濃く過ごしたようだな」

「不可抗力で……へへ」

「笑いごとじゃない」

「すみませんでした」

「……はぁ。まあ、報告は分かった。だが、ローズィアン様のことはクリスティーナお嬢様の耳に入れるな。ご家族の話題は、お嬢様を悲しませる」

「ハイ……」


 本邸の使用人への挨拶、敷地内の把握、そして別邸に戻ると新たに説明を受ける。

 その直後ということもあり、俺の意識は色々な事柄に散乱していた。


「他は何かあったか」

「いや、今話したことで全部だと」


 胸ポケットに入れていたローズィアンのリボンのことも、不思議なことにすっぽり頭から抜けていたのだ。


 初日なので部屋に戻される時間はかなり早かった。

 気疲れもあったのか、俺はベッドに入ってすぐに眠りに落ちる。


 リボンの存在を思い出すのと、そのリボンが胸ポケットから無くなっていることに気づいたのは、次の日の朝、俺が上着を羽織ったときのことだった。

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