第25話 猫は好きか



 つまりは、こういうことだった。

 俺が雑草を引っこ抜いたタイミングで、ランドゥン様が建物の角から現れた。

 葉の長い雑草を空に向かって大きく持ち上げたことにより、根っこにこびりついていた土が通りかかったランドゥン様に当たる。

 そしてランドゥン様の高そうな衣服は土で汚れた。以上。


「……」

「……」


 先ほどから無言を貫き表情すら変えないランドゥン様と、硬直して口が動かない俺。

 頭が真っ白になり、もう魂すら抜けそうだった。

 だが、俺の体は本能で頭を下げていた。


「申し訳ございません!!」


 侯爵家の家令に、少量とはいえ土を撒き散らすというとんでもない事案。

 下手な弁解はいらない。

 ただ、謝罪を言い募ることだけが、使用人の行動としては最善だった。


 というか、偉いと分かっている人に土をかけるとか、使用人じゃなくても問題だ。

 どうしてもっと周りを確認しなかったのかという後悔が押し寄せる。


 なにか拭けるものをと懐をまさぐるが、何も出てこない。

 ああ、そうだった!

 さっきローズィアンにハンカチを渡してそのままだったんだ!


「本当に、本当に、申し訳ございません。俺……あ、わた、わたくしの不注意でこにょ……このような無礼を」


 噛み噛みになりながら頭を下げ続ける。

 初日で屋敷の上司にあたる人に土をぶっかけるなんて、最悪だ。


「落ち着け」


 長く口を閉ざしていたランドゥン様の声が、頭上から降ってくる。

 落ち着いた声音は怒りを孕んでいるようには聞こえない。

 だが、感情が一切読み取れずビクビクする。


「そんなことよりも。君、猫は好きか」

「……はいっ?」


 顔をあげると、再び目が合う。


「猫は好きか」


 俺が聞き取れなかったと思ったのか、ランドゥン様は再度、答えを求めてきた。

 

 猫は好きか?

 その質問の意図はなんなんだ。

 それによって俺の処遇が決まってしまうのだろうか。

 猫は好きかと聞かれても、この世界で触れ合った記憶なんてないわけだし。猫を見かけたら真っ先に愛でたい衝動に駆られるほど熱狂的な感情があるのかと問われているのなら、ないけど。


「……猫は、嫌いか?」


 さらなる問いに、顔が引き攣っていく。

 ふと、クリスティーナお嬢様の笑顔を思い出した。


 初日でさっそく大変なことになってしまっている。

 クリアから十分に気をつけろと言われていたというのに。

 クリスティーナお嬢様の次は、クリアの冷ややかな形相が思い出される。


 なんだこれ、走馬灯か……。

 いいや、そんなわけがあるか。


「あの、猫は……ふつう、です」

 

 やっとの思いで声を絞り出す。その言葉通り、本当に絞りカスのように弱々しい声だった。


「そうか」


 ランドゥン様は、ひとつ頷いた。



 ***



「ニャ〜」

「あの猫だ」

「猫ですね」


 木の上で震えている猫の姿をぼんやりと確認する。


「先ほどからあの場所で縮こまっているようだ」

「……なるほど」


 使用人宿舎からそれほど離れていない場所。

 騎士団の訓練用の森の木の枝に、白い毛並みの猫が丸まって鳴き声をあげ続けていた。

 何の説明なしに俺をここに連れて来たランドゥン様は、この猫を助けて欲しかったらしい。


「生憎、僕は今魔法の杖ロッドを所持していないのだ。魔法で救ってやることも不可能……君の力を貸してくれないか」

「自分でよければ……」


 とはいえ、俺の身長では太い枝に手が届かない。

 高身長であるランドゥン様だったら、俺がいなくてもギリギリ猫に触れそうなのだが。


「シャーッ!」

「……」


 どういうわけか、白猫はランドゥン様が近づこうとすると激しく威嚇していた。


「僕が無理に手を伸ばせば、猫は気が動転し落ちてしまうだろう。その瞬間を掴むことも出来なくはないが、安全策とはいえない。君の協力を願いたい」


 饒舌に語るランドゥン様に驚きを隠せないが、とりあえず猫を助けるために俺をここに連れて来たのなら、やれることはやろう。


「ふんっ」


 木によじ登れるか試してみるが、表面に凹凸おうとつが少ないため無理そうだった。

 

「失礼する」

「!?」


 見かねたランドゥン様が、俺の両脇に手を差し込んで体を高く持ち上げた。高い高い状態だ。


「ランドゥン様!?」

「早く。猫が怯えるだろう」


 急かされてしまった。ランドゥン様は一刻も早く猫を助けたいようだ。

 ここは無になれ、無になれ……俺。


 使用人という立場で、ランドゥン様に持ち上げられている事実はかなり衝撃だ。

 だけど、そのおかげで一気に視界が高くなり、枝の隅に縮こまる白猫との距離も近くなった。


「ほら、こっちだ。おい、おいでー」


 驚かせないように、ゆっくりと手を近づける。

 辛抱強く待っていれば、白猫は俺の指先をクンクンと嗅ぐ仕草を見せた。


「ニャア〜」


 猫は猫で不安だったのだろう。

 俺が危害を加えない人間だとわかると、素直に手に擦り寄ってきた。

 何度か首を撫でてやり、警戒が緩まったところで、白猫の腹に手を滑り込ませる。


「ランドゥン様! 猫、捕獲しました!」

「そうか」


 ずっと腕を上げてくれていたランドゥン様に告げると、俺の体はゆっくり地面に下ろされていった。

 白猫を胸のあたりで抱っこしながら、ランドゥン様に向き直る。


「どうぞ」

「いや、いい」


 白猫を差し出せば、ランドゥン様はすかさず拒否した。

 てっきり猫が好きなのかと思ったが、そういうわけではないのか……あれ?


「……」


 俺の腕の中にいる白猫を、ランドゥン様は食い入るように見つめていた。

 相変わらず表情は乏しいものの、大の大人がソワソワしているのは何となく伝わってくる。


「ランドゥン様……本当は猫、お触りになりたいのでは?」

「……なにを、言う。そんなこと、決して」


 ランドゥン様は機械人形のようにギギギと首を横にする。

 いや、すごい触りたそうじゃん……。


「ニャ〜」

「……」


 白猫の愛らしい鳴き声に、ランドゥン様の視線は分かりやすく俺の腕の中に戻った。


 普通とは言ったものの、こうして触れ合うと猫って可愛いな。

 毛は細かくてふわふわだし、体は柔らかい。お腹なんてもっちりしている。気持ちがいい。


 触りたいのなら触ればいいのに、と思ったが、こうも頑なに触ろうとしないということは、アレルギーなどがあるのかもしれない。

 そうとなれば無理には勧められないけど。


「ランドゥン様は、猫を触ると痒くなったり、体に異常が出てしまう体質なのですか?」

「……? いいや、そういったことはないが。なぜそう思ったんだ」

「いえ……猫に触れるのを躊躇われていたようなので、そうなのではと思ったのですが。違ったようですね、失礼しました」

「……」


 ギュッと、ランドゥン様の眉間が狭まった。

 顔が何かを訴えようとしている。


「……僕が触れないのではない。彼らが、僕を嫌っているんだ」

「彼ら……あ、猫ですか」

「ああ、そうだ」

「そうなんですか……」


 おそらくランドゥン様のほうは猫が好きなのだろう。しかし猫側はランドゥン様を嫌っていると。

 いるいる、そういう人。

 こっちは撫で回したいほど好きで溢れんばかりの愛情があるのに、動物に嫌われてしまう人。


 うわぁ、なんだか切ないな、それ。

 早朝の挨拶のときは微動だにしなかったランドゥン様が、猫を前にして残念そうに空気を萎ませているなんて。


「ニャ〜」


 また、白猫が鳴き声をあげる。

 そろそろ下ろして欲しいのかと様子を確認すると、ピンク色の肉球がついた前足をランドゥン様に向かって伸ばしていた。


「……。ランドゥン様、猫がそちらに行きたいと言っています」

「君は猫の言葉が分かるのか」


 真面目な顔をして目を見開いたランドゥン様。この人ってこういう人だったのか。


「申し訳ございません。確実に何を話しているのかは分かりかねます……」


 しかし、やはり白猫はランドゥン様のほうに行きたそうだ。今も手を一生懸命に伸ばしている。


「おそらく大丈夫です。この猫はランドゥン様を嫌ってはいないようです。どうぞ」

「なにを……っ」


 埒が明かないので、俺はランドゥン様に白猫を引き渡すことにした。

 これだけ羨ましげなオーラを放っているのだ。こうしても怒られることはないだろう。

 衣服に土をつけても知らん顔をしていたくらいだ。


「ニャ〜」

「……」


 白猫はすっぽりと、ランドゥン様の手に収まっている。

 怖々とした危なっかしい手つきではあるが、白猫は触られたことが嬉しかったのか満足そうに目を細めていた。


「ま、さか……こんなことが」


 天地がひっくり返ったような仰天っぷりをしている。そんなに猫に嫌われていた人生なのか。

 ランドゥン様はしばらくの間、無我夢中で白猫と触れ合っていた。

 邪魔するのも悪いので、俺は気配を殺して待っていよう。


 白猫とのふれあいが終わる頃、初対面で感じていたランドゥン様の近寄り難い印象は、俺の中で綺麗に払拭されていたのだった。

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