第21話 遭遇注意!



 それから、バートル様の許可を得て本邸の使用人たちに挨拶回りをすることになった。


「次は洗濯場だ」


 屋敷内にいる使用人からはじまり、外で洗濯作業に勤しむ従僕たちのところへ向かう。

 挨拶回りはいいけど、人が多すぎて覚えられる気がしないんだが。


「クリア……」

「なんだ」

「まさか屋敷にいる全員の名前とか、覚えてたりする?」

「同然だろう」


 何を当たり前のことを、といった目を向けられる。


「言っておくが、エムロイディーテ侯爵邸内には使用人だけではなく、百を超える騎士団の人間がいるんだ。そちらも全員覚えろとはいわないが、中には貴族の出の者もいる。十分気をつけろ」


 エムロイディーテ侯爵家現当主……クリスティーナお嬢様の父親は、ハンバルト王国の国防を担うエムロイディーテ第三騎士団団長である。

 近年、アデランド大陸内で国際間の紛争などはないものの、魔物と呼ばれる邪悪な生物の誕生により死傷者が後を絶たないのが現状だった。

 魔物は国内、国外と神出鬼没であり、その出現率が高いとされているのが、国境付近である。

 そのため、第三騎士団は常に国境にある要塞に駐在し、魔物の進行を阻止する役目を負っていた。


「だから、あまり騎士団の訓練所には近づかないように。貴重な魔法転送塔も建てられているんだからな」

「……覚えることが、たくさんだ……」


 そんな国を守る第三騎士団の猛者たちの訓練所本拠も、このエムロイディーテ侯爵邸敷地内にある。


 王都にあるエムロイディーテ侯爵邸から、それぞれの要塞を構える国境までは途方もない距離があるが、その距離を解決する『魔法転送塔』というものが、敷地内にはあった。


 簡単にいえば、侯爵邸から各要塞地へ一瞬に移動できるという便利なものである。

 もちろん色々と条件があるわけだが、魔法転送塔のおかげで第三騎士団は要塞からすぐにエムロイディーテ侯爵邸に戻ることができ、日頃の訓練も侯爵邸内で行うことが多かった。


「挨拶周りが済み次第、敷地内の地図を渡す。主に本邸、別邸、第三騎士団訓練所と三箇所に区切られているが……お前、失踪だけはしてくれるな。そんなことになったら恥だ」

「失踪て」


 ──どんだけ広いんだ、エムロイディーテ家!



 ***



 洗濯場にいた従僕たちへの挨拶も無事に終わった。

 従僕の中には親が同じく使用人として働いているという子どももいるようで、年齢は俺とあまり変わらない顔ぶれだった。


「次は──」

「おい、そこのおまえ! 新しく入った奴隷って、お前のことだろ?」


 クリアの声が、別の誰かの声と被さるように遮られる。

 白シャツと灰色のズボンとサスペンダーに、同じく灰色の短いタイを結んだ少年が、俺に声をかけてきたからだ。


「……チッ。あいつは最近、本邸の従僕から従者見習いになったエドリックだ。面倒なやつだから後回しにしていたというのに」


 俺だけに聞こえる声量でクリアが少年の名を吐き捨てた。

 その言い方からして、クリアには苦手な部類の人種らしい。

 舌打ちしたところなんて初めて見たけど、一体どうした。


「おい、おまえ! 名前は?」

「はじめまして。本日からクリスティーナ・エムロイディーテお嬢様の従者としてお世話になります、ニアと申します」


 見るからに厄介そうな少年だが、ほかの人たちにしたように挨拶を済ませる。

 エドリックは、じろじろと俺を品定めするように見つめたあと、わかりやすく鼻で笑った。


「ぷ、奴隷にはぴったりの仕え先じゃん。なあ、おまえら!」


 エドリックは自分を取り巻く数人の少年たちに同意を求めるよう、顎をしゃくった。

 明らかな嘲笑を浴びた俺は、内心「なんだコイツ?」と不審な目を向ける。


「エドリック……ニアは今、クリスティーナお嬢様の従者のひとりだ。過去の身分を持ち出すな」

「ふん、そうは言っても……元奴隷なのは変わらないじゃないか。おまえ、一体何をやって奴隷になったんだよ? もの好きな主人に拾われて従者になれるなんて運がよかったよなぁ。まあ、従者といっても主人が主人だけど」

「はあ……」


 エドリックの言葉に俺は驚いてばかりだった。

 自信満々な態度に加え、鼻につく言い方。初対面の俺でもつい、じわじわイラッ……とくる感じ。


「オレは本邸の従者見習いだから? そもそもおまえとは格が違うけど」


 なぜこうも早口でマウント発言を連発しているのか。いやそれよりも、クリスティーナお嬢様に対してその言い草……こいつは何様なんだろう。

 俺の隣にクリアがいることも忘れているのか?


「……」


 俺はちらっとクリアを横目に見る。

 前髪で隠れた眉間には、それはそれは深く皺が刻み込まれていた。


 エドリックとか言うやつ、今すぐクリアに言い伏せられるだろうな。

 いつも俺に向けるような寒々しい氷のような目付きとオーラに凍てつかなきゃいいけど。


「……悪いが、私たちはこれで失礼する」


 しかし、俺が予想していた行動に反して、クリアは落ち着いた声音を響かせた。

 あろうことか、挨拶は済んだのだからとさっさとその場を退散しようとしている。


「ふんっ、そんな口の利き方ができるのも今のうちだぞ。そのうちオレも正式な従者になって――」


 俺たちが立ち去る間際、後ろから勝ち誇った声音のエドリックが発した。

 典型的に嫌なやつ。

 エドリックに対する第一印象は、それに尽きる。


 奴隷だった者への対応に関して、エドリックのような物言いは珍しくもなんともない。

 ただ、エドリックは俺が元奴隷とか関係なしに、あの偉そうな態度を振るっていたように思える。


 後ろにいた従僕たちの取り巻きが何よりの証だ。

 新入りの俺がいうのもなんだけど、取り巻かせたり取り巻いたりしていないで仕事しろってんだ。

 早朝なんだからやることもたくさんあるだろうよ。


「クリア、歩くの早い!」


 そして、何よりも驚いたのは、クリアの反応である。

 クリスティーナお嬢様の名前を持ち出されたにも関わらず、クリアが逃げるようにエドリックの元を去るなんて。


「……エドリックは、本邸の使用人だ。俺や取り巻きにはあんな態度だが、上手いこと猫を被って従者見習いにまでこぎつけた」


 早歩きで道を進みながら口を開くクリアの後ろを、俺はなんとかついて行く。

 体力的にまだキツいが、弱音なんか吐いていられない。


「エドリック……いや、あいつに限ったことじゃない。本邸の人間とは、絶対に問題を起こすな。何を言われても躱せ。ここでのお前の行動は、すべて"クリスティーナお嬢様の従者"としての評価になるんだ」


 念を押すように、クリアは「たとえあの腹立たしい顔に拳を振るいたくなってもな」と、付け加えた。


 ……やっぱりクリアも相当イラついていたんじゃないか。

 だけど、ここではそれを我慢しなくてはならない。

 お嬢様はエムロイディーテ侯爵家の人間だが、やはり浮いた存在なのだから。


 にしても、あのエドリックとかいうやつ……なるべく関わり合いたくないなぁ。


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