42話:愛しい恋人

 入学して三週間。大学生活にも、一人暮らしにも、少しずつ慣れてきたが、未だに友達は出来ない。食事は三食とも一人で食べることがほとんど。

 咲ちゃんと会うのは多くても週二回。学校の無い土日だけ。しかし、今週からはゴールデンウィークに入る。


「と、いうわけで。ゴールデンウィークの間、ここに泊まり込みます。親からも承諾をいただきました。課題も全部持って来ました」


 一週間分の着替えと学校の課題を持って彼女が家にやって来た。今日からゴールデンウィーク最終日まで泊まり込むらしい。


「あ、家事はちゃんとやりますのでご安心を。料理は……手伝うくらいしか出来ないけど……味噌汁くらいなら作れます!」


「ふふ。じゃあ、毎日お味噌作ってもらおうかな」


「……えっ。プロポーズですか?喜んで」


「もう……君はすぐそうやって……」


 結婚……か。

 咲ちゃんはドレスよりタキシードの方が似合いそうだなぁ。なんて妄想しかけて、慌てて掻き消すと、ぐいっと彼女の方に引き寄せられ、腕の中に仕舞われてしまった。見上げると「大好き」と彼女が微笑む。「私も」と返して彼女の背中に腕を回し、胸に頭を預ける。


「……学校、どう?上手くやれてる?ぼっちになってない?」


「う……」


「ぼっちなんだ」


「……ぼっちです」


「まぁ、友達なんてそのうち出来るよ。あ、浮気しちゃダメだからね」


「しないよ。君が好きだから」


「ふふ……知ってる」


「咲ちゃんこそ、浮気しちゃダメだよ」


「するように見えます?」


「見えない。君はわんちゃんだから」


「わんわん」


 頭を撫でてやる。すると、もっとと言わんばかりにぐりぐりと頭を押し付けてきた。


「ふふ。よしよーし。良い子だねぇ」


「くぅーん」


「ふふふ。可愛いねぇ」


「ご主人の方が可愛いわん」


「そんなことないわん」と返すと、彼女はぴたりと固まってしまった。


「……未来さんが語尾にわんつけるのは駄目ですよ。可愛すぎ罪で逮捕だ!」


「んなっ!冤罪だ!」


「現行犯だから言い逃れは出来ないぞ!」


「くそぉ……」


 などと冗談を言い合って笑い合う。付き合い始めた頃は彼女のこのノリについていけていなかった気がするけど、もうすぐ恋人になって一年になる。ただの先輩後輩だった時期を合わせると、付き合いは二年以上。もうだいぶ慣れた。こうやって抱き合うことにも慣れてしまって、前よりはドキドキしなくなってしまったけれど——


「……未来さん」


「なぁに?咲ちゃ——んっ」


「……ふふ。隙あり」


 不意打ちのキスには、未だに慣れない。


「……キスするときは予告してください」


「ごめんごめん。じゃ、もう一回しますねー」


「にゃっ……ちょっと……んっ……」


 抱き合うだけではドキドキしなくなったとはいえ、流石に、キスをしたり、触れられたりすればドキドキする。


「……ねぇ、未来さん。……いい?」


「ま、まだお昼だよ……」


「……駄目?」


「……咲ちゃんのえっち」


「未来さんが可愛すぎるせいです。責任とって」


「うー……」


「嫌?」


「……い、嫌じゃ……ない……」


「……いい?」


「うぅ……分かってるくせに……」


「ふふ。ごめん。恋人同士だけどさ、ちゃんと同意は取りたいんだよね。だから、確認」


「とか言って、私を恥ずかしがらせたいだけでしょ……」


「ふふ。ごめんね」


「……いいよ」


「うん……ありがと。よっと……」


 抱き上げられ、ベッドに下され、優しく抱かれる。「未来さん」という優しく、甘い声が私の名前を呼ぶたび、身体の芯から熱くなる。触れられるたび、心臓が、いつもの倍以上の速さで脈打つ。

 彼女は時折、悪戯っぽく笑って「可愛い」「大好き」と囁く。私も大好きと、言葉にならない嬌声混じりに返す。

 このドキドキも、今だけなのだろうか。付き合いが長くなって慣れてしまうと、このドキドキさえも無くなるのだろうか。触れあいたいという欲求も、弱くなっていくのだろうか。愛してるとか、可愛いと囁いてくれる回数も、減っていくのだろうか。


「どうしたの?なんか集中できないことあった?」


 ふと、彼女が手を止めて心配そうに問いかけてきた。


「愛してるって……いつまで言ってくれる……?」


「ええ?なんですか急に。例えあなたが聞き飽きたって言ったって、何度でも言いますよ。あなたが天に帰るその日まで」


 少し悪戯っぽく笑うその顔を見て、要らぬ心配だったとすぐに気づいた。


「私はずっと、あなたが好きだった。あなたに出会って、三年間あなたに恋焦がれ続けて、ようやく、手に入れた。心配しなくたって、簡単に手放したりしませんよ。愛してます。未来さん」


 そう笑う彼女は、キラキラと輝いていて、背景に真っ赤な薔薇を背負っている幻覚さえ見えた気がした。恥ずかしくて顔を逸らすと戻され、唇を奪われた。その流れで、再開する。

 その日だけで、一生分の『愛してる』を聞いたかもしれない。だけど彼女はまだ言い足りないようで、夜になると再び『愛してる』とキスの雨が降り注いだ。


「……一週間こんな生活してたら私、体力持たない」


「ごめんね。明日はしない」


「……ほんとかなぁ」


「あなたが嫌ならしません」


「……嫌じゃなかったらするってことだよね?」


「私はいつだって未来さんに触れたいよ」


「……咲ちゃんのえっち」


「えっちな咲ちゃんは嫌い?」


「……嫌いじゃない」


「ふふふ。ありがと。私もえっちな未来さんが大好きですよー」


 そう言って私に抱きついて胸に顔を埋める彼女。


「……私はえっちじゃないもん」


「えー?えっちじゃん」


「えっちじゃないもん。ぷいっ」


 寝返りを打ち、そっぽを向くが、背後から幸せそうな笑い声が聞こえて、思わず絆されて顔が綻んでしまった。

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