34話:バレンタインデー(side:咲)

 二月に入った。


「加瀬くんって、お菓子作り得意?」


「えっ、何急に」


「いや、もうすぐバレンタインデーだから」


「あぁ……なるほど」


「料理はよくするって言ってたじゃん?」


「うん。お菓子もたまに作るよ」


「教えてください。先生」


「あはは……先生って。俺、バレンタインデーの前日に鈴木くんの家で一緒に作ることになってるんだ。だから、鈴木くんに聞いてみて」


「分かった」





 と、いうわけで。2月13日、バレンタインデーの前日。私は加瀬くんと共に鈴木くんの家にやってきた。初めて来たが、割と立派な二階建ての一軒家だ。


「お邪魔します」


「お邪魔します」


「おう。いらっしゃい」


 家に入ると、ソファで寝転がってスマホをいじっていた女の子がひょいと片手を上げた。姐さんだ。自分の家ですと言わんばかりにしれっと居る。


「うわ、びっくりした……」


「あれ?月島さんだ。靴無かったよね?」


 確かに、玄関には鈴木くんの靴しかなかった。


「あー…ベランダに置きっぱだわ。これ終わったら回収してくる」


「えっ、ベランダ?なんで?」


「……まさか、隣の家のベランダからこっちのベランダに飛び移った?」


 正解。とへらへら笑いながら両手で丸を作る鈴木くん。ベランダは二階だ。落ちて死ぬような高さではないとはいえ、親に止められたりしないのだろうか。


「……月島さん、やっぱめちゃくちゃだね」


「昔からこうだよ」


「……流石姐さんっす」


 てか、隣の家だから玄関から入れば良いのに。階段を降りるのすら面倒なのだろうか。


「あ、姐さん?」


「兄貴がそう呼んでる」


「えぇ…」


 苦笑いして姐さんを見る加瀬くん。


「向こうが勝手に呼んでんだよ。別に呼ばせてるわけじゃない。……あー……死んだ。靴取ってこよ」


 スマホを置いてソファから起き上がり、リビングから出て行った。自由すぎるその姿を見て「飼い猫みたい」と加瀬くんが苦笑いしながら呟く。


「姐さんは実さんにチョコ作らないのかな」


「渡していいかわかんないから貰ったらホワイトデーに返すって」


 渡していいかわからないということは二人の仲は未だ微妙なままなのだろう。以前よりかなり良くなっている気がするが。


「さて、チョコレート作ろうか」


「よろしくお願いします。先生」


「お願いします」


 二人で鈴木くんに頭を下げる。


「あはは。松原さんはともかく、泉くんはそれほど料理苦手じゃないんでしょ?」


「うん。まぁ……でも、家族以外にお菓子作るの初めてだから」


「てか鈴木くん、バレンタインとか絶対貰う側だったでしょ」


 作れるのが意外だ。まぁ、彼女ならなんでもそつなくこなしてしまいそうだけども。


「バイトしてる時もよく声かけられてるよね」


「あー……あはは……百合香によく睨まれるんだよね……」


 苦笑いしながら頭をかく鈴木くん。バイト先が同じなのかと聞くと「違うよ。たまに来るんだ」と首を振った。


「連絡先とか渡されたりするの?」


「たまにね。もちろん、ちゃんと全部断ってるよ」


 話しながらチョコレートを冷蔵庫から取り出し、刻み始めた。


「…包丁捌きがプロ」


 音からもう違う。とととと……と、軽快な音。うちのキッチンからはこんな軽快な音は聞こえたことがない。


「大袈裟だなぁ。はい、じゃあ松原さん、お湯を沸かしてくださーい」


「湯煎で溶かすんだよね」


「うん。50度から60度のお湯でゆっくり溶かして、あとは型に流してトッピングと一緒に固めるだけ」


「沸騰させちゃダメなの?」


「うん。熱すぎると分離しちゃうから、温度を一定に保ちながらゆっくり溶かしていくんだよ」


「意外と難しいんだな……」


 鍋に水を張り、沸かしてボウルを乗せ、調理用の温度計で温度を測り溶かしていく。その間に鈴木くんは加瀬くんにナッツを砕くようにと指示を出して型を用意し始めた。テキパキ働いてる。分かってはいたが、彼女は絶対仕事できるタイプだ。


「うみちゃーん、ボス倒せーん」


 リビングから姐さんの声が聞こえてきた。


「はいはい。これ終わったら手伝いにいくから待ってて」


「終わったら呼んでー。ちょっと寝る」


 ゴソゴソと物音が聞こえる。ちらっとリビングを覗くと、ソファの上でブランケットがこんもりと膨らんでいた。人の頭が見える。

 自由すぎる。


「……ほんと猫だね」


「……タチっぽいけどね」


「サラッと下ネタ入れてくるのやめてくれないかな」


「加瀬くん、意味分かるんだ。意外。もっとピュアだと思ってた」


「泉くんはむっつりだからなぁ」


「口より手を動かして。チョコ焦げたらまっつんのせいだから」


「うーっす」





 そして数時間後。チョコレートが完成した。


「よし、出来た」


「未来さん喜んでくれるかなー」


 ふと、加瀬くんがラッピングしたチョコレートをみて浮かない顔をしていることに気づく。


「どうしたの?」


「……いや、持って帰ったら家族に食われそうだなと思って」


「じゃあ、預かろうか?」


「うん。お願い。明日の放課後に取りにいくよ」


「うん。忘れずに取りに来てね」


「ありがとう。鈴木くん」


「うん。ふふ。彼氏さん、喜んでくれると良いね」


 少し照れくさそうに笑って頷く加瀬くん。恋してる顔だ。


「加瀬くんの彼氏ってどんな人?」


「……一言で言うなら癒し系かな。まっつんの彼女さんにちょっと雰囲気似てるかも」


「ほぅ。会ってみたいな」


「そのうちね」





 翌日。


「おはよう、未来さん」


「おはよう。……はい、これ」


「私からもちゃんとありますよ」


 駅前で合流して、お互いにチョコレートを渡し合う。未来さんは今日から自由登校だが、勉強するために午前中だけは学校にいるらしい。彼女から貰った取ってつきの紙袋の中には小さな箱が入っていた。取り出してみると、ずっしりと重い。


「中見て良い?」


「どうぞ」


 箱を開ける。中に入っていたのは長方形の小さなケーキ。


「うわっ、ケーキだ!」


「ふふ。ガトーショコラです」


「つまりチョコケーキだよね?」


「うん。そう。ケーキだよ」


「すげぇ。店で売ってるやつみたい」


「大袈裟だよぉ」


 と言いつつも嬉しそうだ。可愛い。


「学校着いたら食べますね」


「ふふ。うん」


 箱を紙袋に入れ、紙袋ごとカバンにしまい、電車に乗って学校へ。

 学校に着くと、ロッカー前で見慣れた後ろ姿を見つけた。北条さんと美麗さんだ。


「おはよう」


「あら、ごきげんよう。松原さん」


「おはようございます。……おや」


 ロッカーを開けて何かを見つけたような声を出す北条さん。振り返ると、その手には一通の手紙が。シンプルな白い封筒にハートのシールが貼られている。


「ラブレター?」


「……そのようです」


 ロッカーにはまだ数通の手紙が入っている。


「流石女たらし四天王の一人」


 と揶揄うが、私のロッカーからも数通の手紙が出てきた。一、二、三……計五通。

 

「おおう……」


「流石ですね」


 真顔で拍手をする北条さん。


「いや、私は女たらしじゃない」


 靴を履き替え終えて迎えに来てくれた未来さんと目が合ってしまい、とっさに手紙を後ろに隠す。


「隠さなくても良いのに」


「いやぁ……でもちょっと……あんまり見たくないでしょ。恋人がラブレター貰ってるところなんて」


「……それは……まぁ、うん。でも、大丈夫だよ。だって咲ちゃんは——」


 言いかけて、固まってしまう。その先が聞きたくて待っていると、目を逸らされた。


「咲ちゃんは?何?」


「……咲ちゃんは——でしょ」


 肝心なところが聞こえなくて聞き返す。


「わ、私のこと好きでしょう?って言ったの!」


「はははっ。大正解です」


「もー……自分で言うの恥ずかしいんだから……」


「あははっ」


「……」


「お嬢様?」


 美麗さんが一点見つめたまま固まっている。その視線の先には鈴木くんのロッカー。


「……開けたら雪崩が起きたりするのかしら」


「流石の鈴木くんでもそんな漫画みたいなことは起きないでしょ」


「なになに?どうしたの?」


 たまたま通りかかった鈴木くんが会話に参加してきた。


「ロッカー?私が来た時は何も入ってなかったけど……朝一だったからなぁ……一応開けてみようか」


 鈴木くんがロッカーに手をかける。一斉に距離を取る私達を見て、彼女は苦笑いする。


「いや、流石にそんなに大変なことには——あ、待って、やばい、嫌な予感する」


 ガコッ。バサバサバサバサ……。

 案の定、雪崩が起きた。ため息を吐きながら拾い集める鈴木くん。


「……なんの音かと思ったらお前かよ。すげぇな」


例年に比べて女の子が多いからねぇ」


 音に反応して見に来た空美さんと藤井先輩が苦笑いする。とか、ということは、毎年これに近い量のラブレターを貰っていたということだろうか。


「それ、全部鈴木くん宛て……?」


「……多分そうだね」


「……手紙だけってことは無いよね?」


「いや、手紙だけのはず。チョコレートはあらかじめ断ってるから」


 サラッと言うが、もらう前に断るなんて、モテてる自覚がないとできない。しっかりビニール袋まで用意してるし。


「うわっ、鈴木やばっ……」


「流石王子……」


 拾うのを手伝っていると、通りすがった同級生達が手紙の山を見て苦笑いしながら去っていく。


「ふぅ……ありがとね。みんな」


「モテる女は大変だねぇ……」


「ところで、うみちゃんは何しに来たの?」


 空美さんに問われ、鈴木くんは思い出したようにポケットから箱を取り出して藤井先輩に渡した。


「あ?んだよこれ」


「何って、チョコレートだけど」


「は?」


「はい、あーん」


 小箱を開け、有無を言わさずにチョコレートを藤井先輩の口に放り込む鈴木くん。カリッと音が鳴った瞬間、先輩の顔がサー……と青くなっていく。そして「クソにげぇ……」と泣きながらへたり込んでしまった。それを見て鈴木くんはニコニコと天使のような笑みを浮かべる。やってることは悪魔だけど。


「カカオ100%のチョコレート。コンビニで見つけたから君に食べさせてあげたくて」


「お前……俺が苦いの苦手だって知ってるくせに……」


「知ってるからわざわざ食べさせに来たんじゃん」


 要するに、わざわざ藤井先輩に嫌がらせしに来ただけらしい。


「仲良しだね」


 未来さんが苦笑いしながら言う。


「そうなんですよ。ちょっと妬いちゃうくらい」


「大丈夫だよみぃちゃん、まこちゃんは女だったとしても絶対無いから」


「こっちから願い下げだクソ王子!」


「ふふ。じゃ、私は教室戻るねー」


 手紙が大量に入った袋を持って去っていく鈴木くん。本当に嫌がらせのためだけに来たようだ。





「ふぅ……」


 未来さん達と別れて教室に入り、ようやく一息つきながらガトーショコラを頬張る。


「美味いな……」


 来年は私ももうちょっと凝ったものを作りたいなぁなんて思いながら教科書の用意をしていると、机の中で教科書が何かに当たった。中を見てみると、小箱が一つ。中身はもちろんチョコレート。手紙は五通あったが、チョコレートは一つだけのようだ。

 手紙を一通一通確認する。ただのファンレターが四通、ガチのラブレターが一通。ただ、直接会って話す勇気がないらしく、ここに連絡してくださいとLINKのIDが書いてあった。時間はまだある。打ち込むと、"クリームパン"というアカウントが出てきた。アイコンもパンの写真だ。よっぽどクリームパンが好きなのだろうか。

 打ち間違いがないか確認してから登録して『チョコレートありがとうございました』と送信する。すぐに既読が付き『こちらこそありがとうございます』と返ってきた。

 さて、どう切り出そうか。と悩んでいると、向こうから途切れ途切れに文章が送られてくる。


『手紙にも書いたけど』


『文化祭のパフォーマンスカッコ良かった』


『あの時に松原さんに一目惚れして』


『私、女子だけど女子が好きで』


『ずっとそのことを自分で否定していたけれど』


『鈴木くん達を見て、勇気を貰って』


『あなたに手紙を書くことを決めました』


『好きです』


『付き合ってる人が居るってことは知ってるから付き合ってとは言いません』


『これからも応援してます。頑張ってください』


 思わず泣きそうになってしまう。涙を堪えて、私もレズビアンであることと恋人は女性であることを打ち明ける。するとしばらく間を置いてこう返ってきた。


『私にもいつか素敵な彼女が出来るかなぁ』


 大丈夫だよ。きっと。だって


『女が好きな女だったり、恋愛に性別は関係無いって人、意外といるみたいだから。大丈夫だよ』


 あなたは決して独りぼっちじゃないよ。ただ、少数派なだけ。それだけだよ。

 そう返信を終えたところで、予鈴が鳴った。


 放課後、部活に向かう途中にすれ違いざまに見知らぬ同級生の女の子にお礼を言われた。

 ゆらゆらと機嫌よく揺れる購買の袋からはうっすらとクリームパンが透けて見えた。

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