26話:文化祭二日目
翌日。文化祭二日目。今日の会場は学校ではなく、市内の少し大きめな劇場だ。夏休みに演劇部の大会があったのもこの劇場らしい。
午前7時過ぎ。会場は開いたばかりだというのに、もう既に人の声が聞こえてくる。一年一組がすでに練習を始めているようだ。その様子を横目に見ながら楽器を置くために会場に入ると、空美さん達とすれ違った。
「おはよう。松原さん」
「おはよー」
「……おはよう」
「おはようございます」
「おふぁお〜……」
くわーとあくびをしながら手を振る柚樹さん。眠たそうだ。
「おはようございます。眠そうですね」
「ちょっとね……夜更かししてたから……」
「……ゆずが夜更かしって言うと隠語にしか聞こえんな」
「隠語ですけど」
「言わんでいい」
「あはは……」
相変わらず遊び歩いていることを隠そうともしない。そういうところが女の敵と呼ばれている
「……よし」
楽器を楽屋に置いて、外にいるクラスメイトと合流して合唱の練習をしてから会場へ。
「……あー……姫花が羨ましい」
リーリエが一組の方を見て呟く。鈴木くんと小桜さん。鈴木くんが小桜さんの方に寄りかかっていて、小桜さんはそれを迷惑そうに押し返している。そんないちゃつくカップルの隣でリュックに顔を埋めていた生徒が顔を上げて、鈴木くんの頭をぽこんと叩いて再びリュックに頭を戻した。小桜さんに絡むのをやめてわしゃわしゃとその頭を撫で始める鈴木くん。再び殴られ、小桜さんに泣きついて振り出しに戻る。リュックに頭を埋めているのは多分姐さんだ。
「あぁ……なんで人間って男と女に別れてるんだろうね……女だけで良いのに」
「とか言う割には男と付き合ってんだよね?」
以前彼氏の話を相方にしていたのを聞いたことがある。
「今は付き合ってないよ。百合に対する解釈違いで喧嘩別れしたから」
「恋愛は百合じゃないって?」
「いや、混ざりたいって言いやがったの」
「それはタブーだな」
「でしょう!?本当最低なやつでさぁ!別れ話したら『お前のことは本気じゃなかった』とか言いだすし。クソダサくない?」
「それはダサい」
リーリエの元カレの愚痴に付き合っていると、アナウンスが流れた。文化祭二日目が始まる。今日は移動はなく、この劇場で合宿コンクールと各部活のパフォーマンスがあるだけ。私達も昨日とはセトリを変えて演奏する。今日は各グループ一曲ずつだ。私達が演奏するのは"あまなつ"のみ。
合唱コンクールが終わり、休憩を挟んで部活動の発表に移る。ダンス部、バトン部、合唱部——と続き、私達の番。
「ありがとうございました!」
舞台を出ると、衣装を着た演劇部とすれ違った。その中に一際目立つ髪の長い女性が。一瞬誰かと思ったが、よく見ると鈴木くんだ。
「……みんな、お疲れ様」
控えめに微笑んで手を振りながら去っていった。雰囲気が別人だった。もう既に役を下ろしていたのだろうか。
席に戻ると幕が上がり、ベッドで眠る女性とその彼女の手を握る男性が舞台上のライトに照らされる。
『…ナナ。…愛してるよ』
ベッドの側に座る彼が呟く。
「……王子はどの役?」
「まだ出てきてないみたい」
男性が出て行き、入れ替わりで女性が病室に入ってきた。あれが鈴木くんだとリーリエに教えてやると、近くにいたクラスメイトも「嘘でしょ」と驚きの声を上げた。
『…ごめんなさい。貴女は誰ですか?』
『私はユウキ。君の…』
『私の…?』
『……私は君の恋人だ』
鈴木くんが演じるユウキという女性の一言で会場がざわつく。
『私と君は付き合っていたんだよ』
ユウキは自分と、ベッドの上の少女ナナを指差して告げる。ナナは記憶喪失で、先ほど来ていたカナタという男性もユウキと同じことを言っていた。
『私と……貴女が……付き合っていたんですか?』
『そうだよ。信じ難いかもしれないけど、ナナと私は恋人同士だったんだ』
二人の恋人はお互いをナナのストーカーではないかとナナに話した。果たして本当の恋人はどちらなのか。ナナは見舞いに来る友人達に恋人のことを聞くが、誰も彼女の恋人のことは知らなかった。
『ユウキさんもカナタさんも優しそうだったけど…どちらかが嘘をついているんだよね…。…私はどっちを信じたら良いの…?』
暗転し、今度は街中を一人で歩くユウキのシーンに変わる。
『私達は周りに自分達の関係を話さなかった。言えば好奇の目で見られたり、色々聞かれたりして面倒だから。恋人という言葉で性別を誤魔化していた。こんなことになるなら、誰か一人にでも打ち明けておくべきだったな』
ぶつぶつと呟くユウキ。どうやら本当の恋人はユウキの方らしい。
『だけど誰が…恋人が記憶喪失になるとか…誰が想像すんだよ…クソ…っ…』
悔しそうに壁を蹴るユウキ。そこに人影が現れる。カナタだ。
『やあ、ストーカー』
ナナに話しかけていた時の優しい雰囲気は一切無く、敵意剥き出しの悪意を持った声でユウキに声をかけるカナタ。
『…ストーカーはそっちだろ』
ユウキが静かな苛立ちをカナタにぶつけると、カナタは『ははっ!』とユウキを嘲笑う。
『ナナも、ナナの周りも、誰もがナナの恋人は男性だと信じて疑わない。恋愛は男女でするのが当たり前なんだ。同性同士の恋愛なんて恋愛ごっこでしかない。だから僕が彼女の目を覚まさせてやるんだ。道を踏み外した彼女を正しい道に導いてやるんだ』
演技だとわかっていても、演出だとわかっていても腹立たしいセリフだ。
『神様はきっと、彼女にチャンスをくれたんだよ。間違えた人生をやり直すチャンスを。だから死ぬはずだった彼女の記憶だけを消して、生かしてくれたんだ』
『死ぬはずだった?お前が殺そうとしたんだろ。お前が彼女を階段から突き落としたんだろ』
『人聞きの悪いことを言わないでくれ。僕は彼女の背中を押しただけだ。荒療治ではあったが、それしかなかった。彼女に僕の言葉は届かなかったから。彼女が悪いんだ。僕は、彼女のためを思って、君と別れろと説得してあげていたのに。僕の方が彼女を愛しているのに。彼女はそれを分かってくれないから。だから、お仕置きしてあげたんだ。そうだ。彼女が悪いんだ』
狂気に満ちた声でカナタは語る。背筋に悪寒が走る。
「……演技……だよね」
リーリエが呟く。そう言いたくなる気持ちもわかる。凄い迫力だ。だけどユウキを演じている鈴木くんも一切怯まない。彼を睨みつけて静かに『狂ってんな』と呟いた。その言葉がカナタの怒りのスイッチを押す。
『狂っているのはどっちだ!ナナを惑わせた悪魔め!とっととナナの前から消えろ!』
怒号を飛ばされてもユウキは怯まず、むしろ、ふっと笑って一歩一歩距離を詰めた。不気味な行動に思わず後ずさるカナタ。
『なら、消せば良いだろう?お前の手で』
ユウキは低い声でそう言ってカッターナイフをカナタに握らせ、その手を操作して自身の胸の高さにカッターの先を合わせる。そして両手を広げて『刺せよ』と挑発した。
『殺せよ。殺してみろよ』
しかしカナタは刺さない。悔しそうに腕を下げてカッターナイフを落とした。ユウキはそれを蹴りとばし、再び彼を馬鹿にするように鼻で笑った。
『まぁ、出来ないだろうな。今私が殺されれば疑われるのはお前しかいないから。動機は十分過ぎる』
『つ、強気で居られるのは今のうちだ。どうせナナは僕を選ぶ。ナナを悩ませていたストーカーはお前になるんだよ。せいぜい強がってろ』
カナタがそう高笑いしながら去っていったところで、彼を睨んでいたユウキはポケットからスマホを出していじりながら『よく喋る奴だ』と苦笑いした。そして
『好きになった人が同性だっただけで、どうしてここまで罵られなきゃいけないんだ』
暗転するタイミングでぼそっと悲しげに呟かれた言葉が心に突き刺さる。今のは台本通りの台詞だろうか。違う気がする。鈴木くんの本音ではないだろうか。
暗転して公園のような背景に変わる。そこにナナ、ユウキ、カナタの三人が集まっていた。
『私、色々な人に話を聞いてまわりました。…みんな、口を揃えて恋人のことを彼氏と言っていました。彼女という人は居なかった』
ナナのそのセリフを聞いてカナタが勝ち誇ったように笑ってユウキを見下す。
『これでもう分かっただろう。ナナ、君の恋人は僕だ。ストーカーは彼女。そもそも、疑うまでもないだろう。だって、同性が恋人なんておかしな話だろ?』
しかし、ナナは首を横に振ってカナタの言葉を否定する。
『私はユウキさんを信じます』
それを答えを聞いて、今度はユウキがふっと笑い、カナタから笑みが消えた。
『は…?』
『私は、ユウキさんが、私の恋人だと思います』
『ちょ、ちょっと待てよ…なに?何言ってるの?』
『…これ、聞いたんです』
そう言ってナナが取り出したのはスマホ。少し操作すると
『ナナも、ナナの周りも、誰もがナナの恋人は男性だと信じて疑わない。恋愛は男女でするのが当たり前なんだ。同性同士の恋愛なんて恋愛ごっこでしかない。だから僕が彼女の目を覚まさせてやるんだ。道を踏み外した彼女を正しい道に導いてやるんだ。神様はきっと、彼女にチャンスをくれたんだよ。間違えた人生をやり直すチャンスを。だから死ぬはずだった彼女の記憶だけを消して、生かしてくれたんだ』
『死ぬはずだった?お前が殺そうとしたんだろ。お前が彼女を階段から突き落としたんだろ』
『人聞きの悪いことを言わないでくれ。僕は彼女の背中を押しただけだ。荒療治ではあったが、それしかなかった。彼女に僕の言葉は届かなかったから。彼女が悪いんだ。僕は、彼女のためを思って、君と別れろと説得してあげていたのに。僕の方が彼女を愛しているのに。彼女はそれを分かってくれないから。だから、お仕置きしてあげたんだ。そうだ。彼女が悪いんだ』
ユウキとカナタの会話が流れた。あの時スマホをいじって笑っていたのはこういうことだったらしい。弁解を求められ、カナタは『ふざけるな!』と怒鳴った。
『そんなものは捏造に決まっているだろう!ナナ!騙されるな!ストーカーはこいつだ!』
『いや、ストーカーはお前だ。自白しただろう?』
鼻で笑いながら言うユウキ。
『うるさい!うるさいうるさい!あんなもの!作ろうと思えば作れる!もっとちゃんとした証拠を出せ!』
『…あ、あの!』
言い争う二人をナナが止める。
『私、事故があった現場に行ってみたんです』
『一人で行ったのか!?』
心配するように叫ぶユウキ。爪を噛みながら『余計なことを……』と呟くカナタ。
『ご、ごめんなさい……何か……思い出せたら良いなと思って……』
『……それで?何か思い出せた?』
『無理に思い出さなくていいよ。ナナ』
カナタの声が震える。思い出したらカナタが犯人であることが明白になるからだろう。焦っている様子がよく伝わってくる。
『…現場に行ったのは嘘です』
『『は?』』
カナタとユウキの声が重なる。
『……二人の反応を見たくて。……犯人なら、私に記憶を取り戻してほしくないでしょうから。やっぱり、この音声は本物だと思います。……私は、ユウキさんを信じます』
カナタが俯き、わなわなと震える。近くにあったゴミ箱を蹴り上げて叫んだ。
『ふざけるな…ふざけるなよ!!僕がせっかく!道を正そうとしてあげたのに!』
逆上し、ポケットからナイフを取り出してナナに襲い掛かろうとするカナタ。
『きゃああああ!』
『ナナ!!』
咄嗟にユウキがナナの前に出て、腕を掴んでねじ伏せる。
『うぁっ!』
カランと音を立てて落ちたナイフをユウキが蹴り飛ばす。
『ナナ!警察呼んで!』
『は、はい!』
『くそッ!離せ!ナナを返せ!』
『黙れクズが。二度と彼女に近づくな。次彼女に危害を加えたらお前を殺す。社会的にな。自ら死を選びたくなるくらい精神的に追い込んでやる』
カナタの頭を掴み、怒りと苛立ちと殺意がこもった低い声で囁くユウキ。
どこからか誰かが「やばい。何かに目覚めそう」と呟くのが聞こえた。
暗転し、ナナにスポットライトが当たる。
『こうして、カナタさんとユウキさんの会話を録音した音声が証拠として認められ、カナタさんは逮捕されました。私の記憶はまだ戻りません。だけど……』
スポットライトも消える。パッと舞台全体の明かりがつくとナナとユウキが二人で並んで手を繋いで歩いている平和なシーンに変わっていた。
『……私を信じてくれてありがとう。ナナ』
ユウキがナナに言う。カナタに対して『社会的に殺す』とドスの効いた声で囁いていた人物と同一人物と思えないほど表情も声も優しい。
『最初は迷いました。でも、カナタさんは貴女をやたらと悪く言ったけど、貴女は私の心配しかしなかった。彼のことは眼中には無いって感じで……。……あ、この人私のことしか見てないなって感じがしたんです。だから、少し話せばどっちが私の恋人かなんてすぐにわかりましたよ』
少し震える声で言い、ぎこちなく笑うナナ。
『……同性だから違うかなとは思わなかった?』
『最初は思いました。……家族も周りもみんな彼氏って言うし……。でも……誰も私の恋人には会ってないって言うんですよね。顔も名前も知らないって。……だから……私が女だから、当たり前のように相手が男だと思って彼氏って言っちゃうのかなって思ったんです。中には恋人っていう子もいました。なんで彼氏って言わないのかって聞いたら『ナナが彼氏じゃなくて恋人だって言ってたからだよ』って言ったんです。誤魔化しながらも、地味に相手が男性ではないことを主張してたみたいですね。……それに気付いてくれていた人もいたみたいです』
『……そっか』
『……はい。……ねぇ、ユウキさん。記憶が戻ったら、貴女を両親に紹介したいです。私の恋人だって。同性だけど、恋人だって』
『……えっ、でも……』
『……大丈夫です。きっと受け入れてくれます。仮に受け入れてくれなかったとしても、私は貴女のそばに居たいです』
『……ナナ……』
ナナの名前を呼ぶユウキの声が震える。
『…まだ何も思い出せないけど…ユウキさんが私の恋人だってことはもうわかります。頑張って、思い出します。だから…』
ナナはユウキの両手を取り『記憶を失う前の私達の話、たくさん聞かせてください』と微笑む。ユウキは何も言わずにナナを抱きしめた。彼女の肩に頭を埋めて彼女の名前を呼びながら嗚咽を漏らす。
『ナナ……ナナ……』
そのまま静かに幕が降りていく。
数秒の間を空けて、ざわめきと拍手が巻き起こった。
「……すげぇな。王子」
「……プロじゃん」
「……脚本書いたの誰?素晴らしすぎて一億円渡したい」
「リーリエは百合ならなんでも良いんでしょ」
「TSとNTR以外ならなんでも。てかTSは百合じゃないんですけど。あ、主要人物が女しかいないNTRはオッケーです。女が女を男から寝取るタイプは物による。男に寝取られるタイプのやつは根絶やしにしろ」
早口で語るリーリエ。
「……まっちゃん、白井の言ってること理解出来る?」
「出来る」
「マジか……」
戻ってきた鈴木くんは何食わぬ顔で小桜さんの隣に座り、彼女をじっと見つめた。彼女も朝のように邪険にすることなく、鈴木くん頭をよしよしと撫でた。抱きついても突き放さずにそのまま。それを見たリーリエはぼそっと「NTRじゃん……」と呟いた。
「戻ってこーい。劇はもう終わってんぞ」
「……なぁ、NTRってなんだ?」
「自分で調べてくれ」
こうして、文化祭二日目も無事に終わった。あっという間だった。
「……咲ちゃん」
「はい」
「……私が記憶喪失になったらどうする?」
「なんですか急に。劇見て不安になっちゃった?」
「……ちょっとだけ」
「……忘れたって、私が全部覚えてますから。心配ないですよ。あなたとの思い出は私にとって何一つ捨てられない宝物なんですから」
「……そっか」
「まぁ、本当に忘れられちゃったら多分、ショックで寝込みますけど」
「……——も私は——」
「ん?何?」
聞き取れなくて未来さんに耳を寄せる。
「忘れても……私は多分……また君に……恋をすると思い……ます……」
「……」
「……あの……聞いてた?」
「……」
「も、もしもーし」
「……あまりの可愛さに意識飛んでた……未来さん駄目ですよ軽率にそういうこと言っちゃ。死人が出ますよ。死にますよ私」
「えっ、えっと……よく分からないけど……咲ちゃんが死んじゃったら悲しい……」
なんだこの人可愛すぎだろ。天使か?
「……天使ミラエル——じゃなかった。未来さん」
「は、はい。……ミラエル?」
「……今日、泊まりに来れます?」
「えっと……それはその……」
「そういう意味です」
「……お、親に連絡してみます」
「……あ、ごめん。私も親に許可取らなきゃ。また……連絡しますね……」
「う、うん……」
帰宅し、親に彼女を泊めていいか許可を取る。あっさり許可してくれた。相手が男性だったら許可してくれただろうか。多分降りなかっただろう。未来さんの方もあっさりと許可が出たようで、こういう時だけは女同士で良かったと少しだけ思ってしまった。
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