第10話 終業式

日和ひより先生」

 職員室から見える窓の外では、はらはらと雪が舞っている。先生のデスクの上に置かれている花瓶にはキンセンカが生けられ、窓の外の純白のドレスのような色に映えて、キンセンカの輪郭が浮かび上がって見えた。


 私が職員室に来て先生に声をかけたのは、雪が積もったキンセンカが咲いている花壇で、ボールペンを見つけたからだ。花壇の近くに落ちていたから、もしかしてと思い、手に取ってみたら案の定先生が愛用しているボールペンだった。その時点で終業式での校長先生の話と校歌斉唱は滞りなく行われ、教室でのロングホームルームも終わった後。いちばん先生がいる可能性の高い職員室へ、ボールぺンを落とさぬようにしっかり握ってから向かった。


 職員室につき、扉を数回ノックして学年や名前を言い職員室に入ると、デスクの上を探している先生の後ろ姿がみえた。首に巻いていたマフラーを外しながら先生に近づくと美術の先生に、ボールペン届けに来てくれたの? と聞かれそうですと答え先生の方へ進む。何度か前にも先生の探し物を職員室に届けに来たことがある。その際にも、他の先生に似たようなことを聞かれたから、先生達も先生がよく物を失くしてしまうのを知っているんだろう。

 ボールペンを探す先生の後ろから声を掛けたら、肩を跳ねさせてゆっくり振り返った。


花ヶ前はながさきさん……あ! それ」

 右手に握っていたボールペンを先生に差し出した。

「いつもありがとうございます……。どこに落ちていましたか?」

 どういたしましてと言ってから、どこに落ちていたか伝えようとするが喉がつっかえて声が出なかった。

(こんなやり取りも冬休みが終わるまではないんだ……)


 花瓶に挿してあるキンセンカの鮮やかなオレンジ色とは反対に、雪の降りそうな雲がかかったような気分になる。

「キンセンカが咲いている花壇の近くに」

 数回小さく深呼吸してから、先生の顔を見つめて答える。喉のつっかえは無くならないけれど、幾分かは落ち着いた。


「やっぱり……」

 手を顔にあてて下を向いてしまう。

「本当にいつもすみません。花ヶ前さんに見つけてもらってばかりで」

 先生の顔は下を向いているから見えないけれど、きっと暗い表情をしている。どうにか先生に顔を上げてほしくて頭を捻って、何かいい話題がないか探す。何度も思ったけれど、暗い顔になってほしくて先生の探し物を渡しているわけじゃない。先生には蕾が花開いたような笑顔や、柔らかい綿菓子のような笑顔でいてほしい。

(なにか話題……)


 窓の外の雪を見て思いつき、急いで口を開く。

「先生は大晦日や元旦、どう過ごされますか?」

 下を向いていた先生が顔を上げてくれた。

「大晦日はお休みです。家で育てている花と一緒に年越しをしようと考えています」

 家のベランダや室内で、真っ白な雪を見ている花を想像したのだろう。少し先生の表情が明るくなった。


「お正月は実家に帰ります。親戚と一緒に集まってご飯を食べたり、どこか遊びに行ったり。毎年そんな感じで過ごしています」

 新しく先生に関する情報を得ながら、先生のご両親はどんな方だろうと想像してしまう。今まであまり先生のご両親について考えたことはなかったけれど、いつかはお会いしてみたいな。

(やっぱり先生みたいにふわふわしていて、優しいのかな? ご両親のどちらかは花が好きな方だろうな。ご実家はどんなお家だろう……なんとなく和風なお家を想像しちゃうな……軒先にお花が咲いていそうだ……)

「……さん、花ヶ前さん?」


 しまった、意識がどこかにいっていた。頭を数回横に振って、思考を切り替える。

(先生のご両親について考えていたとバレてしまったら警戒されてしまう)

「すみません、大丈夫です。……お休みは長いんですか?」

 ゴールデンウィークや夏休みはあるけれど、先生達の休みは短くてあまりないイメージだ。小学生の際に月明かりに照らされて薄っすらと空の色が分かる時間、学校近くを通ると職員室にまだ明かりがついていたのを覚えている。

「二十九日から三箇日までは学校自体が閉鎖なので、そこまでお休みです。そのあとも有給を取ってゆっくりしようと思っています」


 ボールペンを探すために引き出しから出した、定規や書類を片付けながら先生が教えてくれた。

 想像していたように学生の私とは違って休みは短いみたいだ。分かっていた年齢差や、職についている先生との違いの片鱗に触れて、思わずため息が出そうになる。

(私が成長して、成人すれば少しは近づけるかな)


 デスクの上を片付け終わり、ボールペンをペンケースにちゃんといれたのを確認すると、花ヶ前さんは大晦日、どうされるんですか? と聞かれ固まってしまう。いつもは私から先生に質問してばかりで、私について聞かれたのが初めてだったからだ。もしかしたら話の繋ぎで私のことを聞いただけかもしれない。でも今までとの違いに、戸惑いと期待が隠せそうにない。


「大晦日は両親と過ごします。一緒にテレビを見て年越し蕎麦を食べて、カウントダウンをして。お正月も両親と一緒ですかね。だいたい毎年一緒に初詣に行ってます。去年は中学の友達三人と一緒に受験の合格祈願に行って、お守りを買いました。絵馬も書いたんですけど、友達の一人がお菓子でお腹を膨らましたいって書いて、みんなで沢山笑ってとっても楽しかったです。それと三箇日は……あ、」

 先生に自分について聞かれたのが嬉しくて、つい沢山喋ってしまった。喋りすぎたなと思って先生の顔を見ると、花に水やりをしているときと同じような優しい笑顔で話を聞いてくれていた。


「うっ、」

 先生の優しい見守るような眼差しに、思わず声が出てしまう。鼓動が早くなって、先生の顔を見ていられなくて自然と視線が下へ向かった。

「花ヶ前さん?」

 なんでもないです、と鼓動の音に被せるように少し大きな声で答えた。声は少し震えてしまって、鼓動が早まったことに気づかれるかもしれない。


「喋りすぎちゃってごめんなさい、そろそろ帰ります」

 これ以上自分について話すと冬休みの間、卒業後を視野に入れて、先生の好きな和食を沢山作ることや古典について学ぶことと一緒に、先生への想いも全て伝えてしまいそうで。今すぐにでも伝えたいという気持ちはあるけれど。

「喋りすぎてませんよ。それに花ヶ前さんのお話……」

 何かを言いかけた先生が口を閉じて、言葉を呑み込んでしまった。


「日和先生?」

 何を言いかけたのか不思議に思い、聞こうとするが、私がさっき先生に言ったようになんでもないですと返されてしまった。教えてはもらえなさそうだ。今は駄目でも、いずれは教えてもらうつもりだ。


「気をつけて帰ってくださいね、雪が降ってますし」

 いつものように心配され、はいと答えた。このまま帰ろうと思ったけれど、住所を知らないから年賀状の一つも出せない。知ろうとして聞いても、私の気持ちを先生は既に知っているから警戒して教えてくれないだろう。連絡先も知らないから伝えたいことがあるのなら、先生と話せる今しかない。


「日和先生」

「はい?」

 帰ると先に言っていたため、まだ用事があることに少し驚いたみたいだ。椅子に座ろうとしていたときに声をかけたから、先生はゆっくり座ろうとしていたのに、勢いがついて座る音が少し大きくなってしまった。先生は私の顔を見ながら数回、目を瞬いて私が話すのを待っている。

(可愛いなぁ……)


 先生の可愛らしい表情を心に焼き付け、抱き着きたい衝動をマフラーを握って抑えた。

「来年もよろしくお願いします」

「……! よろしくお願いします」

 二人でかしこまって挨拶をしたことが少し面白くて、二人とも笑ってしまった。

 先生の表情はいつの間にか明るくなっていて、ほっと胸を撫で下ろす。先生の笑顔につられて、私の頬も緩んでいった。


「それでは、雪と車と怪我に気をつけて帰ります」

「ふふっ、はい。さようなら」

 目を閉じて、外で降っている雪みたいにふわふわした柔らかい笑顔。私にとっては少し早いクリスマスプレゼントだ。

「! さようなら」

 挨拶ができることがこんなに嬉しいなんて。会釈してから職員室を出て首にマフラーを巻き、もう一度花壇へ向かう。部活がないため校内に生徒は殆ど残っておらず、私の歩く足音が廊下に響く。昇降口に着き、ショートブーツをゆっくり履いて、外に出る。一歩一歩、ゆっくりと雪を踏みしめて花壇へと向かった。




 花壇のある校庭につくと、キンセンカの咲く花壇の隣で雪の中、大きく花びらを開いて咲くポインセチアが自然と目に留まる。ロングホームルームが終わった後、花壇に来た際にはポインセチアが目に入っていなかった。

(先生と話したからかな……?)


 雪はもう降っておらず、雲間からは光が差している。手がかじかみ、吐く息も白いけれど早く帰りたいとは思わなかった。首に巻いたマフラーを口元に寄せて、ポインセチアの近くで屈む。ポインセチアの鮮やかな赤色が、雪の柔らかい白色とお互いを引き立て合う。雲間が少しずつ広がり、ポインセチアの花びらに積もった雪が光を反射してキラキラと輝いていた。

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