210話 聖都帰郷その6

 聖都は《人界》各地から押し寄せた観光客でごった返しており、宿をとるのにも一苦労どころか二苦労か三苦労くらい必要だった。何軒も回り、どうにか隣り合った二部屋を確保した俺たちはどっと疲れていたため、墓参りは明日にしようということで満場一致となった。


「そういえばさ、ニーオの家とかないの?」


「あいつは神聖騎士だから信庁本殿に部屋を持ってるはずだ。あんなとこ近寄れるか」


「同感です」


 旅の埃を浴場で洗い流し、さっぱりした身で食堂に集まる。ここまでそれなりに警戒していたが、同じ宿の客に気配の者は見当たらない。人混みがいい目くらましになったようで、俺が帰郷したことは信庁ならびに神聖騎士たちには悟られていないと見ていいだろう。俺は陰ながら胸を撫でおろし、そして少しばかり油断した。


 


 俺が湯冷ましがてら街の様子を見物に行っている間に、彼女はすっかりいた。俺たちの宿───“アルジェスの酔夢”亭の食堂に陣取って、すっかり酔っ払ったヒウィラが、


「あー、ユヴォーシュ! おっかえりなさい、どこ行ってたのー!?」


 と言い放ったとき、俺の両肩ががっくりと落ちたのを感じた。


 魔術師カストラス謹製のピアス───偽装《遺物》は優秀で、酔っ払ったなら人族として酔っ払ったように見える───つまり真っ赤に染まる。その目は焦点があっておらず、首も赤子のように据わりがない。こんなになるまでどうして放っておいたんだ、そう抗議の視線を向けた先でバスティが俯く。


「いや、まさか、ここまでとは……。麦酒を一杯だけだったんだよ、本当」


「何だって?」


「あははははは、これぇ、初めて飲みましたけどおいしーですねぇ。ほろ苦くてー、不思議な味ですぅー」


「ヒウィラ、初めてって言ったか。酒が初めてなのか!?」


「馬鹿にしないでもらえますかぁ、私だってお酒くらい飲んだことありますー」


 ならば麦酒だけにこんなに弱いのか。クソ、ここにきて《魔界》の食文化を全く知らないことが仇になるとは。というか幾ら弱くてもこんなにベロベロになるなら気付いてセーブできるだろ!


 酔っ払ったヒウィラがピアスを外したり《信業》を使ったりしてないだけマシと見るべきだろうが、しかし別件で困ったことが発生しているのは事実。───ヒウィラは、疑いようもなくだ。


 人族と魔族の間には隔たりが存在し、たとえどれほど整った容姿であろうとも、人魔の垣根を越えて愛が芽生えることはないとされている。人族の絶世の美女は、魔族にとってはもっとも醜い魔族よりも更に悍ましく醜悪な容貌として写る。だがそれは、互いを正しく認識できていればの話。こうして容姿を置換して人族のガワをおっ被せてしまえば、ヒウィラは普通の人族にとっても尋常じゃなく綺麗に見えることだろうさ。


 その彼女が真っ赤になるまで酔っ払って、食堂の入り口から一番奥にまで届きそうな声で大騒ぎして、要するに死ぬほど目立っている。客の中には良からぬ目を向けている男も散見されるし、そんな渦中の彼女に親しげに呼びかけられている俺にも必然視線が突き刺さって痛いくらいだ。


 人込みに紛れて気づかれないうちに用事を済ませようとしたのが、第一歩で大きく躓いた。


「おい。ヒウィラ、続きは部屋で飲め。酔って階段が昇れなくなる前に」


「えー、わらしぃ、酔ってないですよぉ! あははははは!」


 クソッ、頭痛くなってきた。いっそ《光背》で酒精吹き飛ばしてやろうかとまで考えるが、いかんいかん、自重だ。我慢しろユヴォーシュ、お姫様に背中をバシバシ叩かれるくらいなんだ。かわいいもんじゃないか───えーいこの野郎!


「おとなしくしてりゃ付け上がりやがってこのアマ、とっとと部屋に戻りやがれ!」


「ぎゃああっ、何するんですかユヴォーシュの変態!」


 担ぎ上げたヒウィラの絶叫と共に、俺の鼻っ柱に綺麗なエルボーが突き刺さる。酔っ払っているはずなのにどうしてこういう動きばかり機敏なのか、いっそ惚れ惚れする正確さだった。

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