135話 人魔境界その8

 出発数日前からは、激しい忙しさに襲われた。


 《人界》《魔界》の連絡は、どうやったって安定《経》しかない。つまりは人づてであり、異界からの来訪者であり、手続きに時間がかかる。《魔界》からの使節が不審な動きをしないか見張り、ある程度の階級にある兵が出て行って言伝内容を聞き、それを都市政庁と征討軍、そして神聖騎士の揃っている場で報告する。


 報告された者たちで内容について審議し、審議し、審議し……。


 ───俺、いなくてもいいんじゃないかな?


 だいたいそんなことを考えていた気がする。都市政庁はお飾りの代行おれを通さず意見をぶつけているし、征討軍と神聖騎士がそれに返す先も俺ではない。自分がそこにいる必要性を見いだせない時間は、俺を疲弊させた。


 何の会議をしているんだっけ、ああ、ええと、確か出発日時についての最終調整が何とか……。


 途中、幾度か寝たような気がする。


 魔族あちらが何時いつに来てくれ、と言ってきたことに対して、分かった、あるいはそれは難しいから何時いつにしてくれ、と返す。それだけの話のはずなのにどうして日の出から日暮れまで激論を交わす必要があるのか、これが分からない。


 行けばいいじゃん。


 行くことになった。


 やっと。や─────────っと。


 本来ならば魔族征伐に向かうということで、大々的に布告し騒々しく祝い仰々しく行軍するのだが、今回は世にも奇妙なことに名目上は使節団なので、恒例になっている『魔族を滅ぼすために行ってきます!』『行ってらっしゃい!』『えいえいおーっ!』みたいなことが(一応は)できない。


 聖究騎士ロジェス・ナルミエとその配下の神聖騎士のうち《人界》に留まる二名を除いた六名、そして征討軍連隊が約二千名。そして、俺。この人員を“俺たち”とひとくくりに括るのには抵抗があるが、まあ、俺たちでいいはずだ。


 俺たちは粛々と出発することになっている。見送りは安定《経》の黒い球体を監視する征討軍の残留師団のみと決定した。


 ディゴールへの告示はなし。パレードもなし。何ともうら寂しい出立であるが、一同の顔に残念がるものはない。兵も神聖騎士たちもみな、むしろ緊張に強ばっている方がよほど多いのだ。


 《魔界》に直に攻め入るなど、征討軍でも極めて稀な事態。そこに、という奇怪極まる裏事情もあれば、緊張もしようというもの。


 その気配が一向に見られないのはただ一人、ロジェス・ナルミエ。俺と同じに早く出立しないかなとウンザリしているように見える。


 ───きっと、たまらないのだ。


 ───


 昨夜、バスティと自室で話した時の会話が思い起こされる。最近は都市政庁での会議ばかりで、一室を用意してもらってそこで寝泊まりしているのだ───






「いいかいユーヴィー。誰より何より、ロジェス。彼に一番気を付けるんだよ」


「それはあれか? 大ハシェント像の下でのことを言ってるのか」


 明日は出立で早いからと、早々にベッドに入ったところでそんなことを言ってくるバスティ。俺はベッドに腰かけると壁際を見やった。


「心配しなくても油断はしないよ。あっちは俺以上の《信業遣い》、聖究騎士の一角だ。そのために魔剣アルルイヤも手に入れたんだし」


「違う違う、そうじゃない。彼は確かに強いのだろうけれど、本質的に恐れるべきはそこじゃないんだ。───彼はね、んだ」


「薄い……って、何が」


「神のだよ」


 その言葉が意味するところをしばらく理解できなくて、俺は何回か瞬いた。その後、


「それって───!」


「そう、一種、近しいのさ。異端者きみと」

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