107話 真奇攻落その1

「いやー、油断したな」


 俺の言葉に返してくれる人は誰もいない。


 現在位置、エリオン真奇坑。


 上下左右、縦横無尽に伸びる階段と回廊の中で、俺はひとりぽつんと立ち尽くしていた。




◇◇◇




 クァリミンと出会った夜が明けて、俺たちは《掌握神域》による釣り作戦をすっぱり諦めると買い出しに走った。


 エリオン真奇坑の探窟。必要な道具は山ほどあるので分担だけでも大変だった。


 前線都市ゴルデネスフォルムはそういう冒険者向けの道具屋というものに乏しい。近くに(といってもそこまですぐそばではないが)サンザリーエアの安定《経》があり、そこから出現する魔族によって冒険するには危険すぎるからだ。


 巨大な闇のドームといった外見の安定《経》は、地面に埋まった真っ黒な球状の形をしているらしい。地表と接している外周部分は征討軍によって監視され、魔王軍の侵攻があれば即座に対応できるようにはなっているが、有象無象の単独の魔族まで取りこぼしがなく見張れるかと言われればそれは無理筋だ。魔族の中には種族特性で空を飛べるもの、地を掘り進めるものも存在するというから、監視の難易度は跳ねあがる。


 必然、近郊は他の地域と比べて治安が悪くなる。


 ちなみにディゴールの安定《経》については、サンザリーエアのそれよりも一回りどころか二回り三回りほど小さいらしい。それでも複数人の移動は可能だが、監視は容易だ。


 そんなこんなで、何とか準備を整えて、ゴルデネスフォルムを出立し。


 道中で二泊してクァリミンの案内で着いたそこは、異様な光景だった。


「……聞いていても、見ると驚きますね……」


ウィーエと同感」


 丘の上から見た森のあちこちに、ぽっかりと大穴が開いている。……いくつも。


 ざっと数える限り、どうやら八個。そのどれもが、ディゴールの安定《経》くらいの大きさをしている。


 穴の中がどうなっているかは、湛えている霧……のようなモヤに隠されていて見えない。辛うじて見える縁から察するに、足場にしたり掴まって降りることはできなそうな、つるっとした壁面らしい。


 観光名所として金をとれば、大儲けできることだろう。この立地さえどうにかなれば。


 《魔界》との安定《経》による危険性を抜きにしても、とんでもなく不便なのだ。どう越えればいいか考えあぐねるような山を越え、谷を越え、俺たち(《信業遣いおれ》、魔術師二人ウィーエとカストラス魔術師特製義体バスティ、《幻妖クァリミン》からなる一行)でもなければ到底たどり着けない。そりゃあディゴールのような街ができないはずだ。───そもそも、クァリミンの言によればこの《冥窟》が出来たのはわりかし最近ということだが。


 馬車は途中で乗り捨てる羽目になると言われ、ゴルデネスフォルムの宿に置いてきてシナンシスに任せている。


「あの穴がエリオン真奇坑……」


「深さは分からないけれど、飛び降りても着地できるわ」


 そう言われても、不安は拭い去れない。魔術師カストラスも「ただ殺すためだけの落とし穴を掘ったって《冥窟》にはならない。入ってその中で殺すことで初めて価値があるんだ」と言っていたが……。


「まあ、迷っても仕方ない。まず俺が降りてみて安全そうなら呼ぶから」


 そう言って、霧の中に飛び込んでいく。


 《光背》は使わない。《冥窟》内が魔術師の領域というのなら、《信業》という切り札はまだ見せない方がいいという判断だ。


 真っすぐ落ちていく感覚はずっと続く。これが現実的な降下なら、おそらく聖都の信庁本殿、尖塔の最上部からであってもとっくの昔に地面についているくらいの時間が経っている。


 不意に霧が晴れて、俺は危なげなく着地した。足元はタイル張りで綺麗に整地されている。衝撃は想定より少なく、二階から飛び降りた程度のものだ。これなら確かに「着地できる」と言うのも頷けて、俺は上を見る。


「おおおおおおお───い!!!! 大丈夫だぞおおおおおおおっ!!!!」


 聖都、信庁本殿の最高高度から、聖都じゅうに届きそうな大声を張り上げる。思っていたより落ちたから、それくらいしないと聞こえないことを恐れたのだ。


 ……返事は、待てど暮らせど返ってこなかった。

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