103話 禁書捜索その7

 ウィーエとカストラスは眠りの国に行ってしまった。もう朝まで帰ってこないだろう。


 《掌握神域》のは早ければ早いほどいい。なので俺はのんびりしてもいられないのだ。


 さて、馬鹿をりに行くとしよう。




 ゴルデネスフォルムで最も大きく、最も賑やかで、傭兵や冒険者が多い酒場。


 “アルジェスの水煙草”亭。


 俺はあらかじめ、いくつか準備をしてきた。


 今の俺は、ぷんと酒臭く、視線は胡乱で、呂律は回らず千鳥足。一言でまとめれば、バッチリ出来上がった酔っ払いそのものに見える。特上の成果をあげて浮かれた愚か者に。


 俺はその夜、ばかばか酒を飲みながら《掌握神域》について自慢しまくった。どう使えばいいのか、何が出来るのか、どこで手に入れたかは───まあ大法螺だ。口から出まかせを吐いて、むしろ明かせない裏事情を匂わせる。これがあれば遊んで暮らせるだけの金が手に入るはずだと笑い、どうせどこぞから盗んできたんだろうならば奪っちまえとばかりに喧嘩を吹っかけてくる酔っ払いを手加減してぶっ飛ばし、この世で俺の思い通りにならないものは何一つないとばかりに酒をカッ食らう。


 もちろん酔っては話にならないので、俺は口に含むはしから《信業》で酒精をトばして、酔えもしないジュース同然の代物をガブ飲みしている。


 “アルジェスの水煙草”亭には酒場のお約束で、二階が安宿になっている。俺はいつも酒場とは別の宿をとって寝るようにしているが、それは安宿が騒音の観点からも、そして防犯の観点からも全く落ち着けないと知っているからだ。


 今日は宿の方がいい。


 俺は俺と《掌握神域》がゴルデネスフォルム中の噂になるくらい吹聴したあと、主人にいって二階の部屋を取らせた。階段を登るのも覚束ない足取りに、酒場の荒くれ者どもの目が光る。


 かくしてお膳立ては整った。値もつけられない高位《遺物》を持った男が、酔って“アルジェスの水煙草”亭の二階に泊っている。しかもその《遺物》は、ともすれば《幻魔怪盗》にとってこの上なく邪魔になり得る探知機と来ている。


 盗りに来い。噂の回るスピードから、今夜即来るとは思っていない。明日からは《掌握神域》を売りに出すフリをしつつ、バスティやカストラスにも見張りを代わってもらって釣れるまで待つ予定なのだ。これに引っかからなければ、あとは地道に情報収集をする魔術師二人だけが頼りになってしまう。


 俺は待つ。なぁに、魔剣を抱えてとはいえ昨日一晩じっくり寝ている。今更、多少の徹夜くらいはどうってことはない。だからいつ来てもいいぜ。


 そう思っていても。


 まさか当日に来るとは思わないじゃないか。




◇◇◇




 ───音は、しなかったように思う。


 足音も息遣いも聞こえない。まったく事前の気配なく、俺の取っている部屋のドアがノックされた。


 どれだけ聴覚を研ぎ澄ましても、そこに居ると確信が持てない。ノックした人物は本当に存在するのか、ノックの音がしただけとか、ノックの音それすらも幻聴で何も起きていないのではないかという疑念を持つのも、仕方ないことだろう。


 そもそも、ここまで気配を殺せるのにノックをする意図とは何だ?


 俺は沈黙を維持する。ドアの外の誰かの意図は読めないが、俺は酒を浴びるほど飲んで寝こけていることになっている。反応は厳禁だ。


 どう出るか待つ。


 鍵を開けて忍び込む。……これは、ノックをした時点で薄いセンに思える。起きているか確かめるためにノックをするというのはヘタな手だ。ノックによって起こしてしまうかも知れないし、他に眠りこけているか確かめる手段はあるからだ。


 俺に用があり、眠っていると判断して引き返す。……ありそうだが、そうなると俺にとって困ったことになる。なにせ向こう側の誰かの気配を、俺は掴めていない。引き返したかどうかわからないのだ。


 俺に用があり、刻一刻を争うので是が非でも起こす。……再度ノックしてきたら、俺も目が覚めたというテイで応答していいだろう。


 さて───


「失礼するわ」


 は?


 待てよ、鍵開けの音はしていないぞ。ドアノブはここからでも見えるけど、鍵はしっかり閉まってる。声の主が入室するにはいくら何でも───


 そう思ってドアを見ていたら、にゅうっと。


 扉を、白皙の女性が入室してくる。彼女は俺が起きていることに狼狽するが、俺の狼狽はそれ以上だ。


「あんたは───あんたが、《幻魔怪盗》か!?」


 《信業》でも探れぬほど薄い気配に、するりと壁抜けをできる存在。そりゃあ都市政庁から押収品くらい盗み取れるに決まってる。今だって、こうして相対して狼狽している彼女の気配が幽かでとらえどころがない。


 女性も俺がとして待ち構えているとは思っていなかった驚きから立ち直り、敵意がないことを示すように両手を広げる。手ぶらだ。


「急な来訪を許してね。私は《幻妖ファントム》、名をクァリミンと言う者。貴方に警告をしに来たの───」

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