040話 都市擾乱その4

「───ジグ?」


 テルレイレンとジグレードらの交戦が始まった瞬間を、バスティは離れたそこで正確に感知していた。音ではない、彼女の義体が高性能であっても、たとえ《森妖》をしのぐ聴覚を備えていたとしてもこの距離を聞き分けることは難しい。彼女が感じ取れたのは、神故に。


 ジグレードは信徒でなくとも、自分バスティえにしを結んだ相手。この世界の存在は、あまねく神に愛されて、神のを宿している。縁を辿って、それと共感を作れれば、強い感情は音よりも遠くまで響く信号と成し得るのだ。


 昨夜、少女二人が魔獣に襲われた危機を覚知したのも、その後ジグレードが駆けつけられたのも、彼女の双方向性の共鳴によるもの。


 ……むろん、共鳴コレは距離無制限とはいかない。死の恐怖や、命懸けの戦闘に臨む興奮など、強い感情であればディゴールのどこにいても受信できるだろう。それに及ばないような感情は、もっと近づかなければ分からないし、そもそもバスティは受信を切っている。閾値以下の情報など、いちいち受け取っていたら煩わしいことこの上ないから。


 そして縁を結べていない───言い換えれば、互いに何らかの印象も抱いていないような関係───であれば、もとより共鳴する相手を同定できない。知らないものには周波数を合わせられないのだ。


 本来ならば、それだけ。


 この《九界》で通用しない相手はいない技術のはずだ。


 だというのに、バスティはユヴォーシュと共鳴できずにいる。共鳴さえしていれば、位置情報も取得できるというのに、こうして探し回って走っているのはそれが原因だ。


「ええい、もう……!」


 宿には戻ってきていない。


 何人も何人も、役に立たない通行人モブどもに聞いては駆けて、を繰り返すうち、ふと彼が行っていそうな場所に心当たりが浮かんだ。


 彼が予想通りそこにいたのを見て、しかし彼女はまず呆れて溜息をついた。


「───んお、バスティじゃねえかー」


「何を、しているんだい。こんなところで」


 酒場“ハシェントの日時計”亭。まだ日も沈んでいないこんな時間、まばらな客の中にすっかり出来上がった探し人ユヴォーシュがいた。悪い酔い方をしたらしく、彼のついている卓にはいくつものグラスが並んでいる。バスティを見ても、片手はしっかり満杯の酒杯を握ったままだ。


らにって休んでんのさ、歩き回ってのろが渇いて、飲んでんの」


「それがキミのしたいことなのかい?」


 バスティは激することはない。淡々と問う彼女に、ユヴォーシュはまだ頭の芯まで酔い切れていないのか、言葉に詰まって、


「……なんよ。アレしろコレしろって、説教しに来たんなら帰れよ。ここは酒を飲むところだぜ」


「そんなつもりはない。訊いているだけさ、ボクは」


「───分かってるよ。こんなんじゃいけない、こんな風になるために俺は《信業遣い》になったんじゃない、そんなことは分かってるけど分かんないんだよ。じゃあどうすりゃいいんだ? どうすべきだと思う? ロジェスは俺を敵視してるし、魔獣はどこから来てどこにいるのか知ったこっちゃないし、挙句の果てに──────異端聖堂ときた──────クソッ。やってられっか。頭の中ゴチャゴチャで、どれから片付けりゃいいか分かんないんだよ。飲むしかないんだろ、こうなったら。それとも賢い賢いバスティ様なら、全部どうすればいいか答えを出せるってのか」


 思いの丈をぶちまけて、頭を冷やそうというのかグラスを呷る。喉を転がり落ちる液体の音。


 だん、とテーブルに杯が叩きつけられる。


 その勢いでテーブルに並んでいた使用済みのグラスががちゃんと音を立てて、数少ない客がちらちらとこちらに視線をやり始めた。これ以上ヒートアップするようなら、空いているし他の席に移りたいのだ。


 バスティはユヴォーシュが全部吐き出すまでじっと黙って聞いて、ぶちまけ終わったと見て、そっと小さな手を彼のグラスを握る手に添える。


 無表情がすべり落ちるように綻んで、


「……ユーヴィー。キミはつくづく莫迦だな」


「ああ?」


「ボクが一度でもキミに命じたことがあったかい。キミを縛っているのはキミ自身だよ、ユーヴィー」


 語りながら彼の強ばった指をほどいてやる。いっぽんいっぽん、順番に。


「好きにやればいいのさ。あの日、ディレヒトに行ったじゃないか。ボクは傍らで聞いていたんだからな、『俺は自由に生きてやる』って言ったのを」


 それは、ここと同じ酒場───ただしディゴールのではなく、聖都の酒場“テグメリアの花冠”亭での会談のこと。


 ユヴォーシュは異端認定と《信業》を盾に、神聖騎士ディレヒト・グラフベルを脅した。その時、そんなことを言ったような気もするが、は無我夢中だったからよく覚えていない。


 いつの間にか俺の手からったグラスを両手で持ちながら、バスティは仮面をしていても分かる微笑みを浮かべた。


「いいじゃない。どうせこの世の神様カミサマはキミのためにあるんじゃないんだ、ズレてるなりに生きちゃえばいい。きっと、それがいちばん収まりがいいはずさ」


 ぐっ、と。


 杯が呷られ、少女の口腔に麦酒が流れ込んでいく。

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