25.翌朝、食堂で

 翌朝、私は何となく田村様と顔を合わせ辛く、こそこそと食堂内を動き回っていた。

 大人としてもコンシェルジュとしても、堂々と振舞えない自分が情けない。


(こんな弱気じゃ、田村様に片桐さんをフランスへ連れて行かれてしまう……)


 深呼吸をしてから姿勢を正すと、少しだけ気分が落ち着く。

 御入居者の方が朝食を取りにこられるのを待っていると、ドアが開き、長谷川様が姿を見せた。


「長谷川様、おはようございます」


「おはよう」


 心なしか長谷川様の表情が沈んで見える。


(昨日はあんなに楽しそうだったのに……田村様がフランスに戻られる日が近づいているからかな。そういえば、田村様はフランスに恋人がいると言っていたっけ。長谷川様、きっとまだ知らないんだろうな……)


 これから昨日の私と同じような気分を長谷川様も味わうのかと思うと、胸が痛んだ。

 私は田村様に急に告げられた「片桐さんには、ずっと大切に思っている人がいる」という事実を受け止められずにいた。

 どんな言葉をかければいいのか分からず、彼がテーブルに着く後ろ姿をただ見守っていた。


 少し遅れて、今度は石川様が食堂に現れた。


「環ちゃん、おはよう」


「おはようございます」


「さっき悠馬君と二階ですれ違ったんだけど、大分顔色が良くなったみたいね」


「はい、今日は悠馬さんも仕事に復帰しますので……お気遣い頂いてありがとうございます。石川様は、今日はこれからお出かけですか?」


「そうなの、美来みく達にクリスマスプレゼントを買いにね」


 石川様は、あれから美里さんとも頻繁に連絡を取り合うようになっていた。

 クリスマスと年末年始を息子さん御家族と過ごされる予定だそうだ。


「そうですか、プレゼントを選ぶのって楽しいですよね」


 石川様が一段と嬉しそうな笑顔で頷く。


 昨年までクリスマスは自分が如何に楽しめるかが最重要課題だった。


 けれど今の私は――


(皆に何ごとも無く、穏やかに過ごせたら……)


 それだけでいいと思った。


 御入居者が食堂を利用できる朝食時間は過ぎてしまい、結局、田村様は私の前に姿を現さなかった。


 昨日、叔母さんと打ち合わせた予定通りに、私は今日もカフェのヘルプに入ることになった。


「環ちゃん、今日は、お手伝いよろしくお願いします」


 悠馬さんが律儀に頭を下げる。


「そんなそんな……こちらこそ迷惑をかけてしまうこともあると思うけど、よろしくお願いします」


 昨日は私と叔母さんでどうにか混雑のピークを乗り超えたけれど、正直、心身共に限界に近い状態での接客で、全てのお客様に満足して頂けるような対応ができたとは言い難かった。

 今日は昨日の経験も少しは活かせるだろうし、ホール業務に長けた悠馬さんが傍にいてくれるので心強い。

 掌をぎゅっと握り締め、自分に言い聞かせる。


(今は仕事に集中……)


 店内の清掃を終えて、悠馬さんと厨房に向かう。

 片桐さんはいつも通り黙々と、カフェで提供するスイーツの下拵えをしていた。


「片桐さん、今日もよろしくお願いします」


「こちらこそ、お二人ともよろしくお願いします」


 片桐さんは作業の手を一瞬止めて笑顔で答えると、またすぐに調理台の上のスイーツに目を落とした。


 私と悠馬さんは、店内で販売するラッピング済みのスイーツが入った段ボールを手に食堂へ戻った。


「ねぇ、環ちゃん。片桐さんてさ、何かで取り乱したりしたことあるのかな?」


 悠馬さんがスイーツを棚に並べながら、私に訊く。

 ふと昨日の田村様の言葉を思い出す。


(片桐さんには、ずっと大切に思っている女性がいる……)


「……全く動揺しない人なんていないんじゃないかな。片桐さんてプロ意識が高い人だから、きっと平常心を保てるように努力を重ねてきたんだと思う」


 一面的な見方で、その人を理解していると思い込むことは早計だ。

 一人の女性を長年思い続けるということは、冷静に見える彼の中にも密やかでありながら熱い、青い炎のような感情を胸に宿しているのだろう。


「そっかぁ……環ちゃんは片桐さんのこと、理解してるんだね」


 悠馬さんは何時になくしみじみとした口調で、そう言った。


「ううん、全然……全然、理解してないよ」


 そう簡単に昨日の出来事を割り切ることはできなかった。

 片桐さんに大切に思っている女性がいると判明したことは、勿論ショックだった。

 けれど、それ以上にショックだったのは、片桐さんが最近、自分に心を開いてくれていると思っていたのに、田村様に引き抜きの話を持ちかけられていることを話してくれなかったことだ。


「ん? 環ちゃん、どうした?」


 悠馬さんが私の顔を心配そうに覗きこんだ。


「ごめん、何でもないよ……」


「環ちゃんもオーナーの姪っ子だからって、あんまり一人で背負わないでね。片桐さんのことで何か悩んでるんなら、俺で良ければ話、聞くからさ」


「ありがとう。ちょっとオーナーと相談しないといけないことだから……話せる時がきたら悠馬さんにも話すね」


「……分かった。じゃあ悩むのは、一旦終了。今日も頑張っていこう!」


 悠馬さんらしい気遣いが嬉しかった。


 今はオーナーと二人で、この件を乗り越えなければならないと感じていた。

 私はあくまでも管理人で、従業員のことはオーナーに任せておけばいいのかもしれない。

 けれどオーナーはルミエールに常駐している訳ではないから、私の方がどうしても諸々の事情に詳しくなる。

 それ故に、見て見ぬふりはできなかった。



































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