第73話

「……空を飛べるなんて、すげえ脚だな」


 俺とメリッサはウルスに抱えられたまま神殿のある北の浮島まで来ていた。龍神族のような翼も持たないのに、しかもこの巨体でウルスは空を駆けるようにひとっ飛びしてみせたのだ。


 その速度たるや、龍神族でも敵わないかもしれないという勢いで……。


「はっ、いいもんだろ。空を飛べる奴は飛ぶべきだ。地面を這いずる蛆虫を見ながら束縛のない空を歩くのはいいもんだぜ」

「……それが、お前の力か」

「おうよ。『天駆ける脚』……俺の持つ『災害』の力だ。テメエのとは大分違うだろ」


 ヒーローは『災害』の力を持っているのは話を聞いて見当が付いていた。だけど、こうもあっさり口にしてくれるとは思わなかった。


 そんな俺を見て、ウルスはまた鼻で笑う。


「隠す意味なんざありゃしねえ。文句を言う奴は潰しちまえばいいだけよ。有無を言わせず知っていても対処できねえ脅威……それが『災害』だろ? 全く、痛快な力だぜ」


 そして、そのまま神殿の中まで通される。教会のような内装で天井はガラス。この樹海内で最も高い場所だという話は本当らしい。


「ま、座れよ。じっくり要求は聞こうじゃねえの」

「ああ、悪いな」


 俺は素直に用意された椅子に座る。メリッサはその背後で立ったままだった。すると、ウルスはまた嬉しそうに笑った。


「警戒しねえんだな。敵の本陣まで来て、用意された席に座って……何か仕掛けられてるとは思わなかったのか?」

「別に。意味ねえだろ。お前らがこの場で俺を殺すメリットなんかねえ。セシリアにはまだ俺の仲間が付いてるんだ。人質を取られてんのに強攻策に出たら民衆からの信頼を損なう。それに、セシリアが死んじまったらこの戦争は終わらねえ」


 セシリアはいわば囚人だ。この戦争は彼女の有罪無罪を決めるもの。なのに、肝心のセシリアが殺されてしまえば真実は闇の中……セシリアを信じない反乱軍が矛を収めることはないし、セシリアを信じている国王軍が迎撃の手を緩めることはない。


 だが、ウルスはつまらなさそうにその話を聞いていた。


「そんな小賢しい事考えなくてもよぅ……言っちまえばいいじゃねえか。どんな小細工があろうが、自分の力でどうにかできるってよ。それが強者ってもんだ。なあ、もっと自由に生きようぜ。本当は聖女なんてどうでもいいんだろ。『災害』の力さえありゃ、どの国でも英雄ヒーローになれるぜ?」


 ウルスは大きく腕を広げて高らかに言う。


「随分と力に酔ってるみたいだな……それで、何だ? 俺に仲間になれとでも言うつもりか?」

「そんなもったいねえ事するわけねえだろ。俺が求めてるのは闘争だ。本気になったテメエとどちらかが死ぬまでの殺し合いがしてえのさ。美味い話だと思うんだがなあ。テメエはこの国で起きてる下らねえ戦争を止めてえんだろ? なら、その元凶である俺をぶっ殺せばいい」


 一瞬考え込んだが……それではダメだ。確かにそれで話は動くかもしれない。だが、ただそうした所で「偽聖女が国のヒーローを殺しやがった!」と今度は本当に国民全てのヘイトが俺達に向く。


 そうなれば、後は泥沼の殺し合いだ。話はこれ以上無い程にこじれる。


「お前が偽聖女の全てを洗いざらい喋った後でってんなら、喜んで仕合ってやるぜ」

「それができねえんだよなぁ。俺に課せられた楔は、『聖ノ国の平穏を守る事』だ。条件付きの力なわけよ。じゃなきゃ俺ぁとっくにこの国をぶっ壊して旅に出てらぁ」


 ん、そんな制約があるのか……つまり、ヒーローはこの国を攻撃できないって事か? だから偽聖女が必要だった……この情報は貴重だな。


 さて、このせっかくの機会をどう活かしたものか……。


「ウルス、お前は聖女には興味ないんだよな?」

「ああ。これっぽっちもな。神なんてもんに縋るのは弱者だけだ。俺の中では俺が唯一神よ。最初はこの戦争を上から見えたらそれでいいと思ってたが……最高に面白そうな奴が現れたじゃねえか。それを逃すほど俺ぁ馬鹿じゃねえよ」


 あくまでウルスは俺との殺し合いを求めている。もちろん負けるつもりはない。しかし、勝った所で旨味がないのも確かだ……いや、待てよ。


 今の偽聖女の奇跡はウルスの『災害』を利用したものだ。なら、そのウルスが居なくなればメッキが剥がれる……か?


「……まあ、あれこれ考えても仕方ねえな。だってお前、俺をここから逃がすつもりなんざねえだろ?」

「そうだなぁ。俺の脚無しじゃこの浮島からは動けねえぞ。架け橋は封じちまってるからな。そんで、そんな仕方なくなんて体で戦われても興ざめだ。もっと面白え事を教えてやろう。テメエが手ぇ出そうとしてたあのヤサイの毒はそろそろ発動する。神殿が管理している……するってぇとその下にいる国王軍が管理しているヤサイがな。そうなれば南の暢気な連中も反乱軍に回る。『災害』の毒は聖女にも癒やせねえ……分かるか? 今この瞬間から……戦争開始だ」


 歪に笑うその様に、俺は戦慄した。あの毒は『災害』のブーストがかかっていたのか! なら、本当に一刻の猶予もない。すぐに治さないと……。


 ウルスはつかつかと神殿の奥……神の代弁者を騙るように壇上に上がった。


「さあ、やろうぜ。話はシンプルだ。どちらかの軍が殺し尽くされるまでに俺を殺して帰ればテメエの勝ち。まだ打つ手はあるかもなぁ。だが、ここで一番強そうなテメエを殺せれば俺の勝ち……な、それだけだ」

「そう上手くいけばいいな。向こうには俺の仲間がまだ二人残ってるんだぜ?」

「ああ、そうだそうだ。これも言わなきゃなぁ――俺の手駒をそのお仲間に向けてある。色々と小細工を弄してたみてえだが……結局は力が全てってわけよ。手始めに、国王軍に潜ませてある一人に反乱軍の勢力を撃ち殺すよう命じたら……どうなるかな?」

「お前っ……!」


 ウルスの言う光景を想像して、俺もつい立ち上がってしまった。そんな事をしたら、俺が第三勢力として暗躍してきた全てが無駄になる。


「そう勝手に話を進めるでない。お主に死んでもらっては妾が困るのじゃ」


 その瞬間、くらりと頭が揺れた。何だ、これは……催眠魔法か?


 だが、俺とて『災害』の力を持っている。こんなもの、簡単に振り払える。そこに立っていたのは、紫色の長髪をした少女だった。


「お前が、偽聖女か……」

「おやおや、滅多な事を言うでない。もはや、妾こそが真の聖女なのじゃ。その詰めを誤るわけにはいかんからのう……」


 ――ウ、リーフが……敵……?


 そんな声が背後から聞こえ、振り返る間もなく首元に大剣が添えられた。


「お主には効かずとも、同士討ちを狙えれば十分じゃろう?」

「おい、余計な事すんじゃねえよ……ああ、もうすっかりキマっちまってるじゃねえか。せっかくの一対一の機会をよぅ……」


 目だけを動かして背後を見ると、そこにはぼう、とした様子のメリッサが『剣神』の構えで立っていた。


「メリッサ……?」

「殺す――セシリアのために――あたしのために――」


 もうその目に、俺は映っていなかった。

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