第95話 親子丼がご所望

「ふぅ……」


 間接照明で照らされた薄暗い空間。

 そんな中を、紫煙がゆっくりと立ち昇って行く。


 最近はあまり吸わない様にと気をつかってたんだけど。

 つい今しがたまで続いた、激しい営みを思い返すにつれ、どうしても手を伸ばさずにはいられなかったの。


「ふぅ……」


 私は深い溜息ためいきとともに、再び淡い紫色の煙を吐き出したわ。

 そして。

 タバコを持った手でそっと自分のひたいを押さえながら、こうつぶやいたの。


「十五点……」


 十五点よ、十五点。

 もちろん、百点満点でね。

 なんなのよ。これ?


 私のかたわらで、満足気な顔をさらしたまま、熟睡をブチかますこの男。


 で、よく寝られたものよね。


 お店を出る頃ぐらいまでは、結構良いセン行ってた気がする。

 多少話しの内容がいまどきの若者ヲタクっぽい感じもしたけど。

 まぁ、少年の心を忘れない大人……って言うって事なら、良くある話よ。


 それ以上に。


 彼の身に着けている一流品の数々。

 ときおり、じゃれ合う様に触れて確認した、彼の上腕二頭筋。

 メガネ越しにも分かる、切れ長の目の奥に隠された野獣の影。


 そんな外部情報の数々が、彼をと見誤らせた原因と言えるわね。


 BARを出た直後、突然無口になる彼。

 私だって大人の女よ。

 私のマンションに来る? なんて野暮やぼな事は言えないわ。

 でも、終始無言の彼はさも当然とばかりに私の止めたタクシーに乗り込むと、勝手に部屋まで付いて来たのよ。


 そんな態度取られたら、てっきりこの人、を踏んでるって思っても仕方ないじゃない?

 そうよね、だってそうなんだもの。


 そして、部屋の扉を開け、そっと彼を迎え入れ。

 玄関ドアがまだ閉まりかけている、そんな時だったわ。


 突然の静から動へ。


 彼ったら有無を言わさず、私を背後から強く抱きしめて来たの。

 それはまるで、初心うぶ若者高校生のように。


 その時、私思ったの。


 ヤルわね、この男。


 だってココまで大人の男で、若者キャラを作り込んでおくなんて、なかなか出来る事じゃないわ。

 否が応にも、期待が膨らむわよ。

 そうよ、夜は長いのよ。ここからタップリと楽しまなくっちゃっ!


 なんて思ったのも束の間。

 ふと枕元に置いてあった時計を見る。


 マンションに到着したのは確か……。


 うぇっ!!

 あれから三十分しかってないじゃないのっ!

 突っ込んで出したら、もう終わりっ!?

 そんな事ってある!?

 ねぇ、どう思う? ねぇどう思うって聞いてるのよ私はっ!

 

 なんなのよ、コイツ。

 よくあの程度で、満足気に眠れるわね。

 評価できるとしたら、筋肉質の体に十点。

 初々しさに五点。

 合計十五点のみ。


 赤点よ、赤点。

 ガチ目の赤点よ。

 補習すらする気が失せるわ。


「仕方ない、一発免停……って事で」


 私はくわえ煙草のまま、枕元に置いてあった携帯に手を伸ばす。


「えぇっと……す・ぐ・に・き・て。い・つ・も・の・で……送信っと」


 ――ピコン


 送ったのは、舎弟に向けてのショートメール。

 恐らくアイツは、今も私のアパートの前で待機しているはずだ。


 連れ込んだ男を気に入った金を巻き上げられると踏んだ場合は、舎弟に対して今日は家へ帰る様にと伝えるようにしてる。

 でも、そうじゃない場合。

 ここで舎弟アイツの出番よ。

 私がすぐ来る様にと連絡すれば、その足でこの部屋へと乗り込んでくる手筈てはずになってるの。

 舎弟とは言え、アイツだって暴力団の端くれよ。

 に手ぇだしやがって……と因縁つけて、無理やり示談書じだんしょ拇印ぼいんを押させるぐらい、容易たやすい事。


 まぁ、要するに美人局つつもたせって事よね。

 自分で言うのも何だけど。


 ――ガチャ


 あ、玄関ドアが開いた。

 こうなる事を想定して、男を連れ込む時はいつも玄関ドアのカギをかけない様にしているの。まぁ、今回ばかりは、そんな事考えてる間もなく、後ろから突っ込まれちゃった訳だけどね。


 あぁ、そうか。そうだな、そうだった。


 となると、玄関脇には、私のが脱ぎ散らかしたまんまだなぁ。


「ふぅ……」


 私はもういちど紫煙をくゆらせる事で、再び落ち着きを取り戻した。


 まぁ、今更見られたからって、どうって事ないわよね。

 ことさらほほを赤らめる歳でも無いし。


 でも、歳をとるのも考えものだわ。

 達観たっかんしていると言えば、聞こえは良いけど。

 色々な事がどうでも良くなって来るって言うのは、それはそれで、どうなんだろう? と思わないでもないわね。


 ――ダンダンダンダン、ガチャ


 騒々しい足音とともに、寝室のドアが勢い良く開かれた。


あねさん、大丈夫っスか! って言うか、コイツっスか、の男ってヤツぁ!」


 って言うな、今回って!

 私が毎回男を連れ込んでるみたいじゃないのよ。

 まぁ、実際そうなんだけど、ここで暴露ばくろする事じゃないでしょ。

 ホント、今時の舎弟若い男は使えないわ。

 はぁ、やっぱ車崎前の舎弟が良かったなぁ。


「オイ、コラッ! 起きろよぉ!」


 舎弟が私の隣で眠りこける先生を、乱暴に連れ出そうとする。


和樹かずき、さっさと落とし前付けて来てね、私はその間にシャワー浴びるから。それから、コレが終わったら今日はもう帰って良いわよ。あぁ、そうそう、示談は事務所か、表のファミレスでヤッてよね。アタシ、今日はもう疲れたから、アンタ達が居なくなったら直ぐに寝るし。あぁ、そうそう。明日は起こしに来なくて良いわよ」


 私はベッド横に置いてあったバッグの中から三万円を取り出すと、それを舎弟かずきの前へと放ってみせる。


「明日はしばらく遊んでなさい。用があったらまた呼ぶから」


「あざぁーっす。承知っす!」


 舎弟和樹が無造作に放り投げられた三万円を回収している間に、私は一糸まとわぬ姿のまま、ベッドを抜け出しバスルームへと向かったの。


 私のヒップラインに向けた和樹舎弟のねっとりとした視線に、多少のわずらわしさを覚えるものの。まぁ、若い子にはありがちな事と、割り切っておきましょうか。


 ――バタン……キュッ、シャァァァァ……


 シャワーの温度は少しぬるめ。

 別に今から何をする訳でもなし。

 どうせ、あとはふて寝するだけ。


 ――シャァァァァ……


 そう言えば。

 私、ぜんぜん満たされてないのよねぇ。


 本来は心地よい疲労感と、たくましい上腕二頭筋に包まれながら、明日の昼頃まで惰眠だみんむさぼる予定だったのに。


 あ、ヤバい。

 余計なこと考えてたら、ちょっとイライラして来た。


 こうなってくると、色々な想いが交錯こうさくして、なかなか寝付けなくなるのよねぇ。


 もう少し寝酒を?


 そう言う手もあるにはあるけど。

 そうすると、また人肌が恋しくなってしまうに違いない。

 これでは、出口のない無限ループだ。


「はぁ……抜いとくか。この歳にもなって、独りで抜く事になるとはねぇ」


 別に自慰行為マスターベーションにわだかまりがある訳でもなんでもないけど、アラフォーになってこれって……どうなんだろうとは思う。


 まぁ、ここは寝酒代わりとわりきって、一回おさめておくのが正解よね。


 私はシャワーヘッドを手に取ると、そっと自分の(自主規制ピー)へとあてがった。


 ――シャァァァァ……


 風呂場に立ち込める湯気とシャワーの音が、外界の喧騒ゴタゴタと私の気持ちを曖昧な形で遮断しゃだんしてくれる……やがて。


 ん? そっ、そろそろ……かな?


 ゆっくりと背筋を駆け登りはじめる快感に、ようやく身を委ねようとした、その瞬間。


 ――バァァン!


 突然、とてつもない勢いで、バスルームの扉が開け放たれた。


「ひぃっ! だっ、誰っ!」


「誰だも、へちまもねぇだろう? 手前てめェ飲み過ぎで、自分の情夫イロの顔も忘れたってか?」


 もちろん忘れはしない。

 いや、忘れる事など出来ようはずもない。


 目の前に立ちはだかるのは、自分の情夫イロであり、広域暴力団狭真会きょうしんかい若頭カシラの肩書を持つ男。


「アンタ、今日は来ない日じゃ……」


 依然バスルームの扉は全開にしたまま。

 まとわりつく様な目で、私の全身をくまなく視姦し続ける。

 この男、顔は笑ってるけど、目は……笑っちゃいない。


「へっ、ちょっと虫の知らせでなぁ」


「虫の知らせって……」


 そんな若頭の肩越しに、別の男の影が見えた。

 舎弟和樹じゃない。

 あれは……来栖くるす

 そう、確か来栖くるすだ。


 ついこのあいだ、若頭補佐になったと言う有望株の男だ。

 最近めきめきと頭角を現し、若頭カシラの右腕とも目されているらしい。

 ここのところ若頭カシラの羽振りが良いのは、この来栖くるすの売り上げが大きく貢献していると聞いた事がある。

 でも、なんでこんな所に。


 そんな来栖くるすのだらりと下げられた右腕。

 その先には何か黒いモノがつかまれていて。


「かっ和樹かずきっ……」


 思わず叫び出しそうになる言葉を、必死の想いでグッと飲み込む。


 そう、来栖くるすつかみ上げていたのは、血まみれとなった和樹かずきの頭と上半身だった。

 よほどひどい殴られ方をしたのだろう。

 和樹かずきの両腕はちから無く垂れさがり、ピクリとも動こうとしない。

 完全に気を失っているらしい。


「あっ、アンタ……こんな真夜中に何事なの。和樹かずきが何をしたのかは知らないけれど、揉め事は外でやっておくれよ」


 私だってヤクザ者の情婦イロだ。

 ここで取り乱してちゃ、女の格が落ちると言うものだ。

 私は全裸姿のまま、仁王立ちの状態で、大きく腕を組んでみせる。


「そうなんだよぉ、和樹かずきがまたヤッちまってよぉ」


「へっ、へぇ……この若造はいったい何をやらかしたのさ?」


「実はさぁ、俺ぁコイツにペットの世話を頼んでおいたんだが、それが全く出来てねぇって言うじゃねぇか。俺ぁ全然知らなくてよぉ。俺の言いつけ守らねぇでフラフラと遊んでやがる和樹の事を、たまたま……ホントたまたま達也たつやが、見かけたって言うからさぁ、俺ぁ、驚いて様子を見に来たって訳よ」


「へぇぇ。そうなの。それならそれで、もう話は付いたんでしょ? だったら早く和樹を連れて行っておくれよ。これ以上部屋を汚されたらたまったもんじゃないわ、後で部屋を掃除するコッチの身にもなってよ」


 目の前の若頭はさも分かった、分かったとでも言わんばかりに、大きくかぶりを振ってみせる。


「あぁ、驚かせちまって悪かったな。でもなぁ、俺ぁ、もう一つヤル事が残っててよぉ」


「もっ、もう一つって、なによ?」


 湯気の立ち込める風呂場に居るにもかかわらず、背筋に冷たい汗が流れ落ちる。


「そんなもん、決まってるじゃねぇか。お行儀の悪いペットにゃ、しつけが必要って事よ」


「ちょっ、ちょっと待ってよ、アンタ。私は別に好きこのんでた訳じゃ無いのよ。そう、あの男、あの男が悪いの。あの男が最初に声を掛けて来たんだからっ!」


 そうよ、間違いない。

 私が声を掛けた訳じゃ無い。

 悪いのはアノ男。

 悪いのは全部アノ男の所為なのよっ!


「でもなぁ、オスに言い寄られて、ホイホイまたぐら開いちまう様なペットにゃ、去勢が必要だよなぁ、なぁそうだろ? 達也たつや?」


 若頭カシラが後ろを振り返りながら、そこにたたずむ男へと声を掛ける。

 すると後ろの男は、怪しい笑みを浮かべながら、静かにうなずき返して来るではないか。


「そうですね若頭カシラ、言う事を聞かないペットにゃ、厳しいしつけが必要でしょうね」


「なに言ってんのよっ! この青二才がっ! 舐めるんじゃないわよっ! アタシを一体誰だと思ってんのっ!」


「さぁて、誰でしょうねぇ。良く言って、アラフォーこの歳にもなって、未だに股を開く場所すら覚えられねぇ、頭の悪いメス犬って所っスかね?」


「なっ、なんて事をっ!」


 激高のあまり思わずつかみかかろうとする私を、若頭カシラが片手で軽くいなしてくる。


「あははは、達也たつやよぉ、おェ、上手い事言うなぁ」


「あっ、アンタ! 何言ってんの?! 私、こんな若造にバカにされてんのよっ! サッサとこの男に痛い目見せてやってよっ!」


 私は憤懣ふんまんやるかたない想いを右手に乗せて、いまだニヤけた笑みを浮かべ続ける若頭カシラの顔へと振り下ろした。


 ――ガッ!


 しかし、私の渾身こんしんの一撃は若頭カシラの分厚い手のひらにはばまれ、なおもつかみ上げられて微動びどうだにしない。


「ちょっ! アンタ、放しなさいよっ!」


 暫くジタバタと暴れて見せるも、一向にらちがあかない。

 そして。


「オイコラァ、いい加減にしろよ。俺をあんまり怒らせるんじゃねぇ」


 先程までの笑みは完全に消え失せ、ソコに残されていたのは般若はんにゃとも見紛みまがうばかりの鬼の形相。


「ひっ、ヒィィ!!」


 突然の恐怖に縮み上がり、急に大人しくなった私を、若頭カシラは無造作にバスルームの床へと放り投げた。


「おい、達也たつや。さっきの男と一緒に、コイツも例の場所へと運んどけ」


「はい、わかりました。若頭カシラはどうされますか?」


「俺か? そうだなぁ。気分もわりぃし、真塚まづかたちでも連れて風呂ソープにでも行って来るかなぁ?」


「あははは、風呂ソープですか。でも真塚まづかたちはまだ未成年っスよ」


「なんだよぉ、未成年だと風呂ソープに行っちゃいけねぇって言うのか? いつ決まったんだ、そんなくだらねぇ法律」


「いや、結構前だと思いますよ。そんな事より若頭カシラ、一緒に行きませんか? 例の場所へ」


 来栖くるす小狡こずるそうな顔つきで語り掛ける。


「勘弁してくれよぉ、中年女の叫び声はもう聞き飽きた。俺ぁこれからは若い娘が良いんだよ。しかもコイツだってよぉ、娘と二人で親子丼食えるっつーから、いままで囲っておいてやったのにさぁ。娘はむすめで、借金こさえて飛びやがるしよぉ、ホント、この親子には踏んだり蹴ったりだぜ」


「そっすねぇ。でも若頭カシラ、耳よりな情報があるんスよ」


「なんだよ、その耳よりな情報っつーのはよ」


「いま、ウチのゴルフ場に、その娘が居るんスよ」


「え? マジか! どうやって捕まえた?」


「へへへ。そこはそれ、蛇の道はヘビってヤツで」


「マジかぁ。そしたら、もしかして」


「えぇ、そのもしかしてっス。若頭カシラ御待望の、親子丼。ご用意致しますよ」


「うぉぉ! マジかぁ、流石は達也たつやだな。俺ぁ、お前は出来るヤツだって思ってたが。よしっ、俺も行くわ。でも、コイツらと一緒の車ってのもなぁ」


「ご安心下さい。コイツらは事務所のワゴンで運びますんで、若頭カシラの車は私が運転しますから」


「よぉし、それじゃ、善は急げだ。すぐに行くぞ」


「はい、かしこまりました」


 と、ここで来栖くるすが私の方へと向き直る。


「それじゃああねさん、急いで準備いただけますか? 別にこのまま、シーツにくるんで持ち運んでも構わないんだが、流石にそれじゃあ、ご近所さんにも迷惑だ。それに……」


 更に来栖ヤツが私の耳元へとその汚らわしい顔を寄せて来た。


「オイ、コラッ。あんま手間ぁ掛けさせんなよな。キッチリ言う事聞かなきゃ、そのキレイな顔ズタズタに刻んだうえで、親子母娘で土ん中……って事になるぜっ。へへっ、へへへへ、ははは、あはっ、あははははっ!」


 狭いバスルームにこだまする、来栖ヤツの狂った様な笑い声。


「はぐっ……」


 狂人じみたその声を聞きながら、茫然ぼうぜんとその場にへたり込む私。


 ――チョロ……チョロロ……チョロロロロ……。


 そんな無力な私は、シャワーのお湯とは異なる別の温かみが徐々に足元へと広がって行くのを、どうしても止める事が出来なかったのよ。

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