第113話 出会って5秒で即採用
私こと紫条院春華は、働いている心一郞君の姿をぼんやりと眺めていた。
店員としてのエプロン姿になっている彼は実に忙しそうだけれども、だからこそその活躍ぶりがわかりやすくて、つい目で追ってしまう。
「はい、こちらのワッフルは熱くなっているのでお気を付けください!」
「レジ用紙ですか? カウンターの右下にまとめて置いてありましたよ!」
「先輩、ちょっとこの場を頼みます! どうも商品の取り違いがあったみたいで!」
心一郞君は職場でも頼りにされているようで、レジカウンターやホールで発生する様々な問題に対応しては問題を解決していく。
その様はとてもスマートで、部外者の私が見ても多種多様な事に対してバリバリとこなしているように見える。
「凄いですね……」
思わず、感嘆の言葉が口から漏れた。
けれど、今の私の感想は正にその一言に尽きた。
(今までもとても大人っぽいと思っていましたけど……心一郞君はもう本当に〝大人〟をこなす事ができるんですね……)
大学生や大人の店員さん達に混じっても、心一郞君の立ち振る舞いは何ら拙さを感じさせない堂々としたものだった。
その様は……将来のビジョンを決めきれずに自分の〝子ども〟を強く自覚している私には、殊更に眩しく映る。
「あのー……春華? いくらなんでもガン見しすぎでは?」
美月さんの声に、私はふと我に返る。
心一郞君だってクラスメイトに見られ続けたらやりづらいだろうに、ついつい無遠慮に見入ってしまっていた。
「す、すみません。つい……」
「もう、新浜君が気になるのもわかるけど、私達の事も忘れないでよ春華ー。もうさっきから十分近くも飽きずに眺めてたよ?」
「そ、そんなにじっと見てましたか私!?」
「ふふ、そりゃもう。まさに熱視線って感じでしたね」
ふと気付けば、熱々だったコーヒーはすっかり冷めており、いつの間に食べたのかパフェは半分以上も減っている。
まるで好きなライトノベルを読んでいる時のように、すっかり時間を忘れていたらしい。
そして、そんなお茶会に集中できていない私に対して、美月さんも舞さんも何故かニヤニヤとした表情でこちらを眺めており、「いやー、熱いですねぇ」「いやホント、夏がまだ終わってない感じだよねー」とエアコンが効いた店内で不思議な事を言っていた。
「ま、友達が働いている姿って確かに面白いから私達も見てましたけどね。新浜君も教室にいる時とは完全に別の顔になっていると言いますか」
「ええ、本当に……そうなんです」
私はぬるくなったコーヒーを一口啜って美月さんに同意した。
店員をやっている心一郞君は、普段とは明らかに違う。
義務と責任が伴う場所で仕事をするその姿はとても懸命で、その表情には大人に任された信頼に対しての重みが感じられる。
先生や保護者から守られる教室にいる時と違うのはきっと当たり前で……だからこそ、その姿が新鮮に映る。
(直感ですけど……きっと心一郞君は、今すぐ社会に出てもやっていけるだけの力がああるんでしょうね……)
自分達と変わらない学年のはずなのに、どうやってそんな力が養われたのかはわからないけど……。
(とっても羨ましいです……。私みたいな家の人間こそ、実家のお金に甘えてしまわないように自立して、きちんと一人前の人間として生きていかないといけないのに)
実を言えば、あんな風にスマートに社会での仕事をこなしている心一郞君こそ自分の理想だった。
私もああなりたい。自分の力で学校の外の世界を泳いでいけるようになって、ちゃんとした大人への道を歩んでいきたい。
「それにしても新浜君えらく動き回ってますね……。高校生バイトなのにやたらと酷使されているというか」
「うん、なんかさっきからずーっとドタバタと色んな事してるよね。まあ、人手不足なんじゃない? なんかバイトしてる部活の友達から、飲食店っていつも人手が足りないって聞いたことあるし」
美月さんと舞さんのやりとりを聞いていると、私は店内の壁に貼り出された求人広告を見つけた。そこには『未経験歓迎! 勤務時間応相談! 面接はいつでも受け付けています!』と何だかやや必死な印象の文面が躍っていた。
なるほど、やっぱりこの店は本当に人手不足らしい。
けど、これは――
「……いいかもしれませんっ!」
「へ?」
「はい?」
「あ、いえ、実は今唐突に思いついた事がありまして――」
怪訝な表情になっている美月さんと舞さんに、私はたった今決めた事の説明を始める。
思いついたそのアイデアはとても緊張するし、正直ちょっと怖い事だった。
けれど、『怖い』や『知らないしわからないから』で停滞するのが良くない事を、私はすでに心一郞君から教わっていた。
こんなにもあっさりと新しい事へのチャレンジを決めた自分に少々驚きつつも、私は得られるかもしれない未知の知見に少なからず期待を抱いていた。
ブックカフェ楽日を預かる店長代理――私こと三島結子は今日も自分に与えられた責任に呻いていた。
「うーん……最悪じゃないけどやっぱり売上げが上がらないわねぇ……」
店長室で帳簿とにらめっこしながら、お店の売上げにため息を吐く。
特に問題なのは、企画力と広報力だった。
最初は目新しくても、色んなお店は次々と出来るものだしお客様は常に移り気だ。
だからこそ、定期的な新メニューやキャンペーンなどを打ち出してユーザーを飽きさせないのが当たり前なのだけど……。
(カフェ業のコンサルタントとして招いた店長が入院して、そういう企画が全部止まっちゃったもんねー……。私達出向組のスタッフだって書店会社の社員でしかないからカフェ業にはまだ未熟だし、マニュアルをなぞるだけで精一杯なのよね)
新しいコンサルタントを連れてくるなり大規模な宣伝を打つなり、千秋楽書店本社が本腰を入れてくれれば解決しそうなものだけど、あっちはあっちで専門外の商売に手を出す事に熱烈に反対する勢力(主に高年齢層)に苦慮しているらしい。
(まあ私もいきなりカフェの店員をやれと言われた時にはビビったけど……愚直に書店業だけをやってればいいっていう『専業派』の意見はやっぱどうかと思うわ)
インターネットのサービスがどんどん加速していくこの時代、新しい本屋の形態を定着させないと会社が傾くという社長の言葉に、若手は殆ど賛同している。だけど、いつの世も新しい事には反対が付きものだ。
(そういう意味でもこのお店の成功がひょっとしたら今後の我が社を左右するかも……ううう、やっぱり責任重大ね)
キリキリと痛む胃を抱えて、私は椅子にもたれかかった。
ああ、お酒が飲みたい。
牛すじ煮込みを熱燗でキメたい。
ガーリックシュリンプをバリボリしてビールで流し込みたい。
エビマヨとハイボールの組み合わせもよだれが出る。
けど、もうちょっとこの店がちゃんとしない限り、心から気持ち良くお酒を飲む事も出来なさそうだ。
(あーあ、元手も手間もかからない集客力アップの方法とかないものかしら。例えばアイドル級の美少女に接客やってもらうとか……はは、そんなのギャラにいくらかかるのって話よね……)
ぼんやりと益体もない事を考えていた私は、デスク上の電話が鳴る音に意識を現実に戻され、緩慢な動きで受話器を手に取った。
『あ、三島さん。今日面接の子が来たのでそっち通しますね』
「あー、うん。もうそんな時間だったわね」
これからバイト希望の高校生を面接しないといけない事は別に忘れていない。
どうやら女の子らしいけど、人材は多ければ多いほどいい。
ここしばらく高校生はすぐ辞める子が多くて、私はその年代に対して少なからず色眼鏡をつけていた。けど、あの有用すぎるトンデモ高校生である新浜君が加入してからそ、の偏見も少しは薄れつつある。
……まあ、あれは何か非常に特殊な子だから一般的な高校生の参考にはならないけど……。
『しかしなんかそのバイト希望の子……会った瞬間びっくりしちゃいましたね。何というか、レベルが高すぎでした』
「へ? 何よそれ。肌を焼きまくったヤマンバギャルだったりした?」
『いや、そういう訳じゃ……まあ、会えばわかりますよ』
そんな言葉を残し、私より年下の女性スタッフは薄く笑いながら電話を切った。
何だか知らないけど、やたらと気になる。
「なんなのよ……?」
訝しんでいると、トントンと店長室のドアがノックされた。
私は「あ、どうぞお入りください」と声をかけて部屋の外にいる人物に入室を促す。
そして――その子は入ってきた。
さっきの電話で言われた通り、驚くべき容姿のその少女は私に向かって恭しく一礼する。
その当たり前の動作に、同性である私が完全に目を奪われていた。
「ほ、本日は面接に時間を割いて頂きありがとうございます! 私は――」
先日のまるで子どもっぽくなかった新浜君とは違い、その少女は緊張した面持ちで挨拶をしている。
だけど、私の耳にはその内容の半分も入ってこなかった。
その女子高生があまりにも美しすぎて、頭があまり働いていないのだ。
絹糸のようにサラサラとした長く美しい髪。
その辺のアイドルなんて歯牙にもかけない程の輝く美貌。
和美人らしいしなかやかで細い腰に、胸に実ったあまりに豊満な果実。
私の人生の中でも最高級の美少女との邂逅に、意識に空白が生じていた。
「と、という訳で、私もその、こちらで働いてみたいと――」
「……採用」
「えっ!?」
面接官である私の第一声に、美少女は驚きの声を上げる。
確かにその反応は当たり前だろうけど、こっちはこんなにも素晴らしい人材が転がり込んできた幸運に、かなり興奮していた。
「採用に決まってるでしょこんなのっ!! いやー、よく来てくれたわ貴女! 全力で歓迎するから早速シフト組もっか! ね!」
「ええええええっ!?」
ますます困惑する少女に構わず、私は逸材を囲みにかかった。
こんなに超絶級の美少女がホイホイと面接に来て、逃がす店長なんている訳がないのである。
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