第112話 新浜、バイト先でイジられる

 

 偶然に遭遇してしまった春華を前に、俺は硬直してしまっていた。

 

 いや、そりゃここは誰もが入れるカフェな訳であり、別に春華が来店しても何もおかしくはない。思わず『なんでここに!?』とか言ってしまったが、春華としてはお茶をしにきたからとしか言いようがないだろう。


 だがそれにしても……ピンポイントでニアミスするとか偶然にしても出来すぎだと声を大にして言いたい。


(お、落ち着け……俺のバイトがバレてしまったのは予想外だが、まあ秘密にしておきたかった理由なんて本当にごく小さな事だし問題ない)


 もうこうなっては仕方がない。

 バイトの目的はともかく、最近の俺が放課後にバタバタしていた理由は話すしかないだろう。


「ふぅ、大きな声を出して悪かったな春華。そっちも驚かせちゃったみたいだけど、見ての通りこのブックカフェでバイトをしているんだ」


「そ、そうだったんですか? あ、えと。それは確かに驚きの話なんですけど、あの、その、名前……」


「別に話しておいても良かったんだけど……うん? どうした……って、風見原さんと筆橋さん!? ふ、二人もいたのか!?」


 春華と遭遇してしまった衝撃で意識の範囲が狭まっていたのか、春華と同じテーブルには風見原と筆橋も着席していた事に俺はようやく気付く。

 しかも何故か……二人とも妙にニヤニヤしてないか?


「ええ、そりゃいましたとも。春華の存在が大きすぎて我々がそこに居る事すら気付かないなんて、友達としてガッカリです」


「そもそもさあ、新浜君が運んできたパフェって三人分でしょ? まさか春華が一人で食べるとでも思ってたの?」


 二人の存在に気付かなかったのは我ながらどう糾弾されても仕方ないくらい酷いが……二人は自分達がスルーされた事に文句を言いつつも、口元はさっきから邪悪な感じで緩みっぱなしだ。


 こ、これは……妹がよく浮かべている俺をオモチャとして扱う時の笑み!?


「さて、新浜君がこそこそバイトしていた理由はよくわかりませんが、そんな事どうでもいい程の爆弾をどうもです。で、いつから名前呼びになったんです?」


「あーもー! 言ってよそういう事は! 私達にまで黙ってるなんて水臭いじゃん! というかもう一回名前呼びを実演してよ! さあさあさあ!」


(え……!? あ、そ、そうか! さっきうっかり春華の名前を……!)


 し、しまった……! お互いの名前呼びは学校の奴らの前では控えておこうと提案したのは俺自身なのに、春華との予期せぬ遭遇につい名前で呼んでしまったよ畜生!


 これは……どうしよう?

 春華はどうすればいいかわからずに、困った子どもが親に頼るような目でこっちを見てるし……。


(まあ、仕方ないか……元々この二人と銀次くらいには言っても問題なかっただろうしな)


 俺は春華に視線を向け、軽く首を縦に振る。それは『この二人には白状するけどいいよな?』という無言のメッセージだったが、春華はその意を汲んで頷き返してくれた。


「あー……まあその、実は海から帰ってきた後に、そういう事になったんだ。黙っていたのは悪かったけど、学校でうっかり名前を呼ぶと大変な事になっちゃうからな」


「お……おおおおおおおおおおおおお! ついにイクとこイッちゃいましたか! これはもうパーティーとかするべきではっ!?」


「いやほっおおおおおおおおおおお! おめでたすぎるじゃん! いやぁ、本当に良かったよー! 新浜君の念願が叶ったんだね!」


 名前呼びを始めた事をやんわりと伝えると、風見原と筆橋はめっちゃキラキラした瞳で熱烈な反応を返してきた。


 ……うちの妹と全く同じ反応すぎて、事実誤認しているのが容易に想像つく。

 

「も、もう、大袈裟ですよ。お二人ともそうしているように、心一郞君とも友達として名前呼びを許して貰っただけですし」


「……ん?」

「……へ?」


 やや恥ずかしそうな表情を浮かべる春華がやんわりと紡いだ言葉に、風見原と筆橋はブチ上げだったテンションをトーンダウンさせて訝しげな顔になる。


「あの……新浜君? どういう事なんですこれ? まさか実はまだゴールしてないとか言いませんよね?」


「ないとは思うけど……もしかしてフレンドのまま据え置きだったり……?」


 さっきまでとは一転して痛ましそうな目で俺に視線を送る二人に、俺は無言で首を横に振って両手の人差し指を交差させて×マークを作る。


 そうなんだ……名前呼びに到達したのは快挙なんだが、まだ春華はお友達意識から前に進んでいないんだ……。


 二人が呆れ果てた顔で『ウッソだろお前』みたいな視線を向けてくるが、それを俺は沈痛な表情で受け止める。

 

 そして、当の春華は俺達の隠語めいたやりとりの意味がわからないようで、「?」と不思議そうにこの場の友達三人を眺めていた。


(まあ、妹もそうだったけど、普通は誰しも名前呼び始めたら付き合いだしたと思うよな……っと、いかん。三島さんがホールに出てきたか)


 さっきまで事務仕事に追われていたはずの店長代理の上司は、やや疲れた顔でホールを見渡していた。


 なんでも以前に大学生や高校生バイトでサボりがちだった奴が何人もいたらしく、たまに顔を出して目に余るスタッフがいないかチェックする習慣がついてしまったらしい。


 ううむ、これ以上友達と話しているのはマズいな……。


「すまん、ちょっと店長が見てるから真面目な店員に戻るな。――お待たせしましたお客様。本日はご来店ありがとうございます」


「え……」


 背筋をピシっと伸ばして、俺は和やかな営業スマイルを浮かべる。

 お客様が話しかけやすいフランクさを保ちつつ、決して大袈裟ではない最適な形の笑みのまま、テーブル上のトレイに乗ったままだったパフェをクラスメイトの少女達へと供していく。


 お客様の手と提供物が接触しないように、少女達から見て左側からスイーツを置くという基本も勿論忘れない。


「こちら期間限定の三色マカロンパフェとなります。それぞれ、抹茶、チョコ、ストロベリー味となっており、それに合わせてアイスクリームの部分もマカロンと同じ三種のフレーバーです。グラスはよく冷やしてありますので、ゆっくりとお召し上がりください」


 高級レストランでそうするように、スイーツの付加価値を高めるために軽い説明を加える。なお、別にこれは俺が勝手にやっている訳ではなく、季節限定メニューを提供する時のテンプレ口上である。

 

「では、失礼しま……と、三島さんは戻っていったか」


 店長代理の目はなくなったが、これ以上友達とダベっているのも職務上あまりよろしくないだろう。なので俺はそのまま引き上げようとしたのが――


「す、凄いです……! 今の心一郞君、まるで本物の店員さんみたいでしたよ!」


「いや、本当に店員だからなっ!?」


 本気で感心しているらしき春華の褒め言葉に、俺はつい反射的にツッコミを入れてしまった。


「いやー、でも同級生が急に大人になったみたいでちょっとびっくりしたよ! なんかこう、バイト始めたばかりの初々しさとかが全然なくて、ベテランっぽい!」


「五年くらい勤めているみたいにカフェ店員が板についてましたねー。というか、なんか新浜君って大人びすぎたところがあるので、高校生やっているより働いている姿の方が違和感が少ないと言うか」


「風見原さんと筆橋さんはそれ褒めてるのか……?」


 思いつくままに言葉を並べる少女達に、俺は呻くように言葉を返した。

 やっぱり俺って高校生らしいフレッシュさは全然ないんだなとちょっと自嘲してしまう。


「その、心一郞君……!」


「お、おう? どうした?」


 声に反応して振り返ると、春華がちょっと興奮した様子で熱烈な視線を俺に送っていた。何だか、とても感心してるっぽい。


「まさかアルバイトしていたなんて思いませんでしたけど、心一郞君のお仕事している姿は凄く堂々としていて、とってもカッコ良いと思います!」


「ぶ……!」


 おそらく春華は労働に従事している俺を純粋に褒めてくれているのだろうが、周囲から見ると彼女が彼氏のバイト先を覗きにきて、のぼせ上がっているかのような台詞だった。


 しかもそんな台詞を口にしているのが不世出級の美少女という事で、周囲のお客達も視線をも集めてしまっており、嬉しさと恥ずかしさで俺の頬が朱に染まる。


「あ、ありがとう……すまん、そろそろ本当にサボりになってしまうから俺は仕事に戻るぞ。この店は若手バイトの手が足らないらしくて、その辺ちょっと店長も厳しいんだ」


「はい! それじゃ、お仕事頑張ってくださいね心一郞君!」


「あ、ああ。春華もゆっくりしていってくれ」


 俺達がまたも名前で呼び合っている様を見たせいか、風見原と筆橋はまたもニヤニヤとした顔で、

「ふふ、聞きましたか? もう開き直って公衆の面前で名前呼びですよ。なんかもうこっちがむず痒いんですが」

「はたから見たらもう完全にバカップルなのに実態はそうじゃないんだからなんかもう詐欺だよねー」

 などと好き勝手な事を言っていた。

 

 その二人の邪悪な笑みについて物申したい事はあったが、これ以上仕事を中断する訳にもいかず、俺は足早にその場を離れた。

 

 うぐぐ……やっぱりバイト先に知り合いが来るとどうにも恥ずかしい……。

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