第81話 蛇足話:紫条院パパのお迎え②


「うん? そうだが君は……?」


「あ、どうも初めまして! お兄ちゃんの妹の新浜香奈子です!」


 普段の中学生らしからぬ小悪魔でしたたかな顔を隠し、完全に外行きモードの香奈子が礼儀正しく頭を下げて挨拶する。


(しかし『お兄ちゃん』って……こいつ完全に猫被ってるな……)


「その、春華ちゃんのお父さんに謝っておきたくて……昨日春華ちゃんがお家に帰れなかったのは私のせいなんです……」


「ふむ……?」


 清純少女を装った香奈子は昨日あったことをかいつまんで時宗さんに説明する。雨の中で財布を届けてもらったこと、ズブ濡れの紫条院さんを見かねて家に連れて行ったことなど、諸々の事情を。


「そういうわけで、春華ちゃんの家族に心配させてしまったことをとても申し訳なく思っていたんです……本当にごめんなさい」


「ああ、いや、そんなことは気にしなくていい。君は純粋に雨に濡れた春華を心配して家に上げてくれたのだろう。その後の大雨による交通の麻痺は天気予報でも予想できていなかったことで、単に運が悪かっただけだ」


 時宗さんはやはり俺以外(というか娘に近づく男以外)には非常に温厚のようで、香奈子にも気さくに対応していた。


「ああ、そう言って貰えて少し気が楽になります! 私は一晩で春華ちゃんとすごく仲良くなれてとても楽しかったんですけど……春華ちゃんのお母さんやお父さんはとてもハラハラしただろうなって反省してたんです……」


「ははは、大丈夫だよ。私も妻も大人だからね。連絡はとれていたしそんなに取り乱したりしないさ」


 いや、時宗さんあんた……紫条院さんのお泊まりが決まった時、電話の向こうで発狂したみたいに叫んでなかったか……?


「それにしても……ウチの娘と一晩でそんなに仲良くなったのかね?」


「はい! とにかく綺麗で可愛くて、優しくて、温かくて……言葉が足りないほど素敵です! こんなお姉ちゃんがいたらいいなって何度も思っちゃいました!」


「うんうん、そうだろうそうだろう。春華は世界一可愛いんだ」


 全力でべた褒め(おそらく全部本音だとは思うが)する香奈子に時宗さんは実に嬉しそうに頷く。なんかもう俺のことを忘れてすごく上機嫌になってるな……。


「も、もう香奈子ちゃん……私なんかを過剰に褒め過ぎです。お父様も恥ずかしいからやめてください……」


 年下の友達と父親から褒め殺しをくらった紫条院さんが、顔を赤らめてもの申す。

 うん、これは俺でも恥ずかしいわ……。


「えー、だって本当のことじゃん! 昨日は春華ちゃんとずーっと一緒にいてあれこれしてたけど本当に楽しかったんだもん!」


「む……君と春華は昨日ずっと一緒にいたのかね?」


「はい、そうです! お兄ちゃんをハブって女の子二人でお風呂に入ったり、お布団の上でお喋りしていたりしました! もう楽しくて四六時中一緒でしたよ!」


 え……?

 香奈子お前……なんでいきなり時宗さんに話しかけているんだと思ったが……これってまさか、俺への助け船……?


「ふむ、そうか……ううむ、そこまで一緒だったのなら確かに新浜少年との接触の機会はないな。さすがに神経過敏すぎたか……?」


 お、おお……!?

 俺の不埒な行為疑惑が晴れた……!?

 (一見)ピュアで礼儀正しい女子中学生の証言だと、さすがの時宗さんも疑いなく全面的に信じたか! 女の演技力ってこええな!

 

 ふと香奈子がチラッと俺に視線を向け、『貸し1どころか貸し100ね♪』とでも言いたげにニヤリと笑った。いや、確かにマジで助かった……!


「納得して貰えましたか時宗さん? そもそも俺は災害みたいな雨にかこつけて色々やるほどゲスじゃないですよ」


「む……私としては君が能動的に何かしなくても、結果的に何か不埒な状況が発生していないかを聞いたつもりだったが……まあ今回は信じよう。私も君の妹さんの前で少々大人げなかったよ」


 相変わらず鋭いところを突いてきて冷や汗が出たが……なんとか乗り切ったようだ。でも大人げなさは全然少々じゃなかったっスよ社長。


「もう、お父様! さっきから何をボソボソと新浜君に絡んでいるんですか! 今回はとてつもなくお世話になったのに、まさかまた失礼なことを言っているんじゃないでしょうね!」


「い、いや、その、お前が人様の家に泊まっていた時の様子を聞いただけで……よ、よし、じゃあそろそろおいとまするか!」


 強気でたしなめてくる娘から逃れるように、時宗さんはそそくさと車に乗り込む。本当に奥さんや娘には抵抗力がないなこの人……。


「ふう、すいません父がまた……でも確かにそろそろ行ったほうがいいですね」


「ああ、名残惜しいけど……それじゃまたな」


「春華ちゃんまた来てねー!」


「ええ、二人とも本当にお世話になりました。美佳さんにもお礼を言っておいてください」


 ぺこりと頭を下げて、紫条院さんは車の後部座席に乗り込む。

 いよいよこのお泊まりも完全に終わるのかと思うと、やはりもの悲しい。


 とはいえ、紫条院さんとも色々思い出を作れた上に時宗さんの親馬鹿火山大噴火も回避できたし、これがゲームのイベントなら完全勝利できたと言えるだろう。


「新浜君!」


 ふと見れば、紫条院さんが後部座席の窓ガラスから顔を出していた。


「今回はどこからお礼を言ったらいいかわからないくらいに色々ありがとうございました! でも、本当に良い時間を過ごせました! 特に――」


 夏の日差しの下で、少女は満面の笑顔で俺と香奈子へと手を振る。

 そして、楽しかったという想いを伝えるために大きく声を張り上げて――



「昨夜は新浜君と一晩中一緒にいられて楽しかったです!」



 瞬間――時が止まった。


 俺と香奈子は見送りの笑顔のまま凍りつき、発進途中だった車もまた突然のエンストを起こしたようにピタリと止まる。


 そして――


「な、な、なあああああああああああああ!? は、春華! 今なんて言ったああああああああああああああ!?」


 数秒遅れて、時宗さんの絶叫が助手席から響き渡る。

 ははは、俺たち兄妹が必死に誤魔化したのが一瞬でバレちゃったぜ。

 

 そして当の紫条院さんと言えば、そんな周囲の激烈な反応に「え? え?」と困惑している。そうだった……この事態は予想できてたのに、朝の同衾のショックで天然少女に色々と口止めするのをすっかり忘れてた……。


(やべえ……地獄の窯の蓋が開いたぞこれ。絶体絶命ってレベルじゃない……)


「こ、こ、小僧ぉぉ! 貴様やはり……!? お、おい夏季崎!? 車を出すな!」


「はは、なかなか衝撃的な話でしたが、今はお嬢様の元気な顔を早く奥様に見せねばなりませんな」


 お、おお……!?

 夏季崎さん……!


「待てええええ! あの小僧に事の次第を問い正すことが山ほど……!」


 ブチキレた時宗さんを乗せて車が再発進し、夏季崎さんが運転席からサムズアップした指を突き出しているのが見えた。


 あ、ありがとう夏季崎さん……!

 なんか秋子さんの意向を受けている感もあるが、とにかく助かった!


「あ、兄貴見て見て。春華ちゃん手を振ってるよ」


 妹の声に反応して視線を向けると、紫条院さんが荒ぶった父親を不思議そうに見ながらも、後部座席のリアガラスから俺たちへぶんぶんと力いっぱい手を振っているのが見えた。


 そうして、俺たちも手を振ってそれに応える。

 まるでとても仲が良い親戚や久しぶりに会った親友にそうするように、別れが惜しいのだという気持ちが通じ合う。


 前世では想像だにしなかった――最高の一夜だった。


 ……うん、それはいいのだが……。


「ねえ兄貴……めっちゃ浸ってるとこ悪いんだけどさ」


「おう」


「とりあえず春華ちゃんのパパにこっちから弁明の電話かけといたほうがいいんじゃない……?」


「死ぬほど億劫だけど……そうする……」


 大雨が通り過ぎたかと思えば今度は台風を鎮めるというミッションが降りかかってきたことを認識し、俺は気の重さが滲み出た声で呟いた。



 なお――その後紫条院家に電話し、あくまでダブル寝落ちの結果の事故であることを納得してもらうために、俺は怒れる時宗さんと裁判のような答弁を繰り広げるハメになったのである。


 ……めっちゃ疲れた……。

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