第72話 雨ざあざあ
紫条院さんはこのごく短い時間の中で初対面の母さんや妹とあっさり打ち解けており、俺は改めて彼女の天真爛漫な魅力を思い知っていた。
女三人寄ればかしましいとの言葉どおり、今この居間はすっかりお喋りな女性たちのお茶会になっているのだ。
「それでですね、新浜君がトドメとばかりに教卓の上で試食用のタコ焼きを焼き始めたんです! もうみんなビックリして目を丸くしてました!」
「きょ、教室の中でタコ焼き!? あ、あの子がみんなの前でそんなことをしていたの!?」
紫条院さんが語る話題のほとんどは俺に関することなのだが、母さんはそれらを聞くたびに驚きを露わにしていた。
母さんからすれば、いくら息子が明るくなったとはいえ学校でそこまで活動的になっているとは想像していなかったのだろう。
「ほらママ、兄貴が急にタコ焼きパーティー始めた日があったじゃん? アレ実はその練習だったんだよ」
「あ、ああー! あの時の! で、でもそんなことをして学校から何か言われたりしなかったの?」
「あはは、教室中に漂うソースの匂いに先生がすぐに気付いたんですけど、新浜君ったら怒られる前に大声で『犯人は俺です! すいませんでしたあああああああ!』ってやりすぎなくらいに謝り始めて……その勢いに飲まれて先生も小言を言うくらいしかできなかったんです」
「いやまあ……ああいう時って下手に隠すより、先制攻撃でドン引きさせるくらい謝ると相手はそれ以上怒りづらくなるんだよ」
もちろんそれも社畜時代に覚えた謝罪方の一種だ。
性格が真っ当で怒りがさほどでもない相手にしか効果はないが、日本における『罪を自分から認めるのは美徳』という感性も相まって汎用性は高い。
「なんというか……ウチの子も知らない間にたくましくなったのね……」
以前の俺では考えられないふてぶてしさを聞いた母さんは、若干呆れるような声を出しながらも、口元は安堵が混じった笑みを浮かべていた。
「はい、新浜君は以前は寡黙な印象でしたけど……今はすごく活動的で、とっても頼りになります!」
語る紫条院さんも何故かとても上機嫌であり、外の雨なんて気にならないほどにこの場は和やかな空気が満ちていた。
(思えば……今ここには俺にとって大切な人が全員揃っているんだな……)
前世で俺のせいで早死にした母さん、そのことが原因で疎遠になった香奈子、同僚たちのくだらない嫉妬で心を壊された紫条院さん――俺が前世で取りこぼしてしまった全てがある。
(眩しいな……本当に)
その三人がこうして仲良くお喋りしている様を眺めていると、思わず目元が熱くなってしまう。
俺が守るべきだったもの、手を伸ばすことすらできなかったもの。
その尊さをまざまざと見せつけられて、何も救えなかった前世に対する激しい後悔と悲嘆が久しぶりに胸を締め付けた。
「あ……夢中で話していたらもうこんな時間ですね。そろそろお暇しないと」
居間の時計を見てもう夕方と言っていい時間になっていることに気付いた紫条院さんは、家に帰ろうと腰を浮かしかけるが――
「きゃっ!?」
窓の外で稲光が輝き、何秒か遅れて大気を震わせる雷鳴が響き渡る。
雨の勢いは以前衰えないばかりかむしろ激化しており、とても出歩けるような天気ではない。
「これは……ちょっと普通の降り方じゃないな。霞みたいなものまで出てるし……」
「春華ちゃん、これ歩いて帰るのはさすがに無理っぽくない……?」
「そ、そうですね……なら家に電話して迎えの車を出して貰うしかないんですけど……」
「うーん……私がさっき帰ってくるときでもかなり運転が怖い感じだったけど……ちょっとテレビで気象情報を見てみましょうか」
母さんが居間のテレビをつけると、ちょうどキャスターが天気情報を読み上げている最中であり、テロップには『突然の豪雨につき各所で渋滞』の文字が踊っていた。
『現在市内では猛烈な雨が降っており、落雷による踏切の故障が1件、車両による交通事故が4件発生しています。これにより各所で渋滞が発生しており、解消の見通しは立っておりません。また非常に視界が悪くなっているため、車の運転を含む外出は控えるよう注意を呼びかけています。なおバスや電車は全面的に運転を見合わせており――』
スタジオから現場にカメラが切り替わると、雨の勢いが強すぎて全体的に白っぽく霞んだ街中が映り、事故車両が道路を塞ぐ様やそれによって発生したギュウギュウの渋滞などが映されている。山間部や川のそばの区域には避難勧告も出ているようだ。
「「「「…………」」」」
想像より相当酷い有様に、その場の全員が言葉を失う。
確か今朝の予報では『強い雨』程度だったが、どうやら予想より遙かに大規模なレベルとなってしまったらしい。
「こ、ここまで酷くなっているなんて……さすがにビックリです」
「私が帰ってこれた時はギリギリセーフだったみたいね……。ここまで酷くなるとお迎えの車を出してもらっても渋滞でなかなか動きそうにない上に、視界がひどくてかなり危ないわね」
「ああ、ヤバイ時の雨は舐めちゃダメだもんな……」
母さんに同意しつつ、俺は前世のクソ会社が大雨の時でも『たかが雨だ! 台風じゃあるまいし休みになるわけないだろ!』と平気で出勤を命じていたことを思い出していた。
土砂降りの中、俺はなんとかズブ濡れになりながら会社に辿り着いたが、車で通勤している同僚は視界不良のせいで自損事故を起こし、哀れムチ打ちになってしまったのだ。
極端に強い雨はとにかく前が見えないため、暴風を伴わなくてもその危険度は決して軽視してはならないのである。
「ど、どうしましょう……本当に困りました……」
街の惨状を見て紫条院さんは困り果てていた。
紫条院さんの家は郊外にあるので、交通ルートがマヒしてはどうしようもない。危険を覚悟で迎えの車を出してもらうとしても、とんでもなく時間がかかりそうだ。
「なあ……母さん。紫条院さんを――」
「ええ、わかってるわ」
俺が提案を述べると、母さんは当然とばかりに頷く。
こんな状況になってしまったら、相手が紫条院さんじゃなくても人としてすべきことは決まっている。
本来なら男の俺がいる家で女の子にこういうお誘いをするのはどうかと思うが、今回は緊急避難措置だ。
「ねえ春華さん。これからご両親に電話で相談すると思うのだけど、その前にちょっとウチから提案があるの」
「え……?」
「道路の状況が回復するまでこのままウチにいない? それで、もし今日中にどうにもならなかったら泊まっていって欲しいの」
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