第45話44 辺境騎士と妻 1
エルランドは帰路を急いでいる。
しかし、気持ちは城へと急いても、現実の彼には守るものがあった。
十騎程度の騎馬隊に挟まれるように、二頭立ての大きな箱馬車がある。商人の馬車だ。
「このままで行くと昼飯は城で食えそうですよ」
昼にはまだかなり間があるのに、もう腹を空かせたセローがエルランドに話しかけた。
「……だな」
「今年は大きな争い事は起きませんでしたねぇ。小競り合いが四件だけとは、今までで一番の成果ですよ」
領主の留守は公には秘密にされているが、街道や集落の要所に配置した二十人隊の制度がよく機能しており、東の辺境の治安はかなり改善されていた。
「昨日の事件もあっけなかったし、俺としてはちょっと暴れ足りないですね」
「私たちは感謝をしておりますよ。セロー様」
箱馬車を御している若い男が言った。
「ご領主様達が通りかかってくださらなかったら、本当に危ないところでした」
昨日、エルランド達は、南西の街道を外れたところで、旅の商人夫婦が三人組の男に脅されているところに、偶然通りかかった。あっという間に三人を捕縛し、近くの隊に引き渡すと、一行は商人夫婦を保護したのだ。
彼らは南からやってきた商隊の一員なのだが、妻の具合が悪くなり、本隊から遅れてしまったところを襲われたのだと言う。
その二人は今、エルランド一行と一緒に移動している。目的地が一緒だからだ。
「ウィルターさん、奥さんの具合はどうですか?」
セローが気さくに尋ねた。
「おかげさまでパーセラはだいぶ良くなっております。イストラーダは初めてなので、家内も私もとても楽しみです」
「イストラーダが初めてなら城に滞在するがいい。まだ馴染みの宿もないだろう?」
エルランドが言った。
「それはありがたいです! ですが構いませんか?」
「ああ」
「思ったよりも街道筋にたくさんの集落があったので驚きました。もっと寂れた場所だと思っていたのですが」
「それはご領主のおかげです。警備兵たちは皆、エルランド様にねぎらってもらえて喜んでいましたね。兵士と村人達の関係も良さげでしたし、以前のような警戒感は感じませんでした」
ザンサスが思慮深そうに言った。
「……だといいが」
「なんですか、上の空ですね。ははぁ〜、早くリザ様にお会いになりたいんですな」
「……」
「え?」
黙り込んだ主人を見て、セローは軽く言ったつもりの冗談が、冗談でなかったことを悟った。
「俺たちを置いて行ってもいいんですよ。城はもうすぐそこです。二時間も飛ばせば着くでしょう」
そう言ったのはランディーだ。近くにいるザンサスとカタナも頷いている。荷物を積んだ商人の馬車を護衛しているために、それほど早くは進めないのだ。
「護衛なら俺たちだけで十分です。残りの者には俺たちが適当に言っておきます」
「そうか……すまん!」
そう言うと、エルランドは馬に拍車をくれて、風のように駆け去ってしまった。
「あの分では半刻もかからないかもしれないな」
ザンサスが笑う。
「もしかしてエルランド様は新婚なのですか? リザ様と言うのは、もしかして奥方様?」
ウィルターが遠慮しながら尋ねた。
「まぁ、そんなようなものです」
「……しかし、あの方があんなに
ザンサスが真面目に応る横でランディーが呟く。三人は後方の兵士と先頭をかわり、馬車の後方に移動した。話を聞かれないためだ。
「それはリザ様が王女様だからでしょう?」
「それもあるだろうが……セロー、それだけじゃない気がする」
この中では一番付き合いの長いザンサスが言った。
「リザ様を
「それは、あれだけ忙しく働いていれば……それに俺たちに知られずに誰かと付きあったり、娼館に行くことくらい
「さぁ、それはそうだが……こう言うことは、なんとなくわかるんだよ」
自信ありげにザンサスはうなずいている。
「へえぇ〜」
「だがセロー、妙な顔をしていないで、お前もお館様を追いかけろ。お前でもいないよりマシだろう」
「は、はい? 今から?」
エルランドの姿はとっくに見えない。
「いいから行け!」
「だが、邪魔するんじゃないぞ」
「見守るんだぞ!」
「はいっ!」
後の二人にもけしかけられて、セローはエルランドの後を追いかけた。
エルランドは森を抜けて荒野を
収穫期だと言うのに、王都への往復で十日以上も領地を留守にしてしまい、城壁や、点在する集落に片付けなくてはいけない仕事が溜まっていたのだ。
五年前彼がこの地に来てから、まず始めたのが東の街道の整備である。
主要な道のあちこちに、兵士の詰所と馬の駅を置いて旅人を支援したり、無頼の者の通行を監視した。
街道をすり抜ける悪人もいるので、定期的な森や谷を巡視する二十人隊をいくつも編成し、訓練を行っている。傭兵だった頃の名声を慕って集まる若者も多かったから、兵士はどんどん増えていく。人間が増えると必要な物も多くなり、商人の往来が増える。
最初は、新参者のエルランドの兵士と、元からこの地に住んでいる者とは、それほど信頼関係はなかった。辺境の民は、自分の身や家族は自分で守ると言うのが人々に根付いた意識だったからだ。
しかし良質の燃料となる高価な鉄樹が発見されると、噂を聞きつけた無頼のものが増え、イストラーダの治安は一時期非常に悪くなった。
領主エルランドは数年間、休む暇もなくこの地の治安のために働いたのだ。兵士を鍛え、隊を編成し、街道を整備して、民を守った。そんな中で
イストラーダは少しずつ豊かになっていったが、その結果リザは置き去りにされた訳だった。
やっと迎えに行けたと思ったら、またしても一人にしてしまった。
リザは今度こそ俺を見限ってしまったかもしれない。
リザは見かけは従順に見える。
しかし、彼女の心は諦めることに慣れきっている。むしろ、人に心を許すことの方が少ないのだ。
表面上は大人しく、親しく話してくれるように見えても、心の中ではとっくにエルランドを締め出しているかもしれない。
「もう少しだ! 後少しだぞ!」
エルランドは愛馬アスワドに向かって叫んだ。
その目はようやく見え始めたイストラーダ城を見つめていた。
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