ホタルに願いを込めて…… ⑥


****


 ――そして翌日。少し曇っているけれど、それほど暑くなく、釣りにはもってこいのお天気になった。


 愛美は純也さんと一緒に、車で千藤農園から少し離れた渓流まで、約束通りルアーフィッシングに来た。

 多少濡れてもいいように、二人ともフィッシングウェアに身を包み、ゴム長靴を履いての完全防備。……ただし、夏場にこの格好はちょっと蒸し暑い。


「――愛美ちゃん、かかってるよ! ゆっくりリールを巻きながら、タックルをちょっとずつ引き上げて」


「はいっ! ……こうですか?」


「そうそう。ゆっくりね。慌てたら逃げられるから、落ち着いて」


「はい」


 ルアーフィッシングというのは、コツをつかむまでが難しい。ルアーを本物のエサのように動かさないと、魚がかかってくれない。

 生きたエサを使う代わりに、こういう技術が必要になるのだ。


「――あっ、釣れた! 釣れましたぁ! やった!」


 それでも、愛美はそのコツをつかむのがわりと早かった。釣りを始めて一時間で、早々にイワナを一匹ゲットしたのだ。


「おお、スゴいな愛美ちゃん! こりゃ結構大きいぞ」


 まさに〝ビギナーズラック〟。愛美自身も、まさかいきなりこんな大物がかかるなんて思ってもみなかった。

 愛美は釣れたばかりのイワナを、水を張ったバケツにそっと放した。


「――あ、愛美ちゃん、こっちもかかった。……うわぁ、二匹も! サイズはちょっと小さいけど」


 純也さんは、さすが上級者だ。一度の仕掛けで同時に二匹釣るという荒業あらわざをやってのけた。


「純也さん、スゴ~い! ――あ、わたしのもまたかかった!」


 今日は釣りの吉日なのか、二人とも入れ食い状態でジャンジャン釣れる。

 あまりにも小さいサイズの魚はすぐに川に放し、あとのイワナは昼食として美味しく頂くことにした。


「調理は僕に任せてよ。アウトドアは好きだし、家でも自炊してるからね」


 純也さんは手早く火をおこし、魚焼き用の網を用意してくれた。


「ここはやっぱり、シンプルに塩焼きかな」


 純也さんはそう言うと、リュックから取り出した小さなタッパーに入れてきた塩を一つまみ、網に並べた魚に振りかける。


「――あ、そうだ。お弁当作ってきたんですよ。おにぎりと玉子焼きと、夏野菜のピクルス」


 愛美も、提げてきた保温バッグから二人分のお弁当箱を取り出した。何だかちょっとしたピクニックみたいだ。


「おっ、うまそうだね! イワナもそろそろいい感じに焼けてきたよ」


 純也さんが焼けたイワナをお弁当箱に乗せてくれて、二人は豪華なランチタイム。


「焼きたてでまだ熱いから、ヤケドに気をつけてね」


「はい、いただきます☆ ……あっ、ふっ!」


「ほら見ろ。だから言ったのに」


 案の定、熱々の焼き魚を頬張ってハフハフ言っている愛美を見て、純也さんは楽しそうに笑った。


「じゃあ、僕も頂こうかな。……ん! 美味い!」


 釣りたてのイワナは、純也さんがキチンとハラワタの処理をしてから焼いてくれた。魚のハラワタの苦みが苦手な愛美も、そのおかげで美味しく食べることができた。

 初めて食べたイワナの塩焼きは身にほどよく脂が乗っていて、焼くとふっくらして美味しい。純也さんが言った通り、シンプルな味付けが一番素材の味を引き立たせている。


「この玉子焼きも美味しいね。多恵さんの味だ」


「……それ作ったの、わたしです」


「ええっ!? ……いや、多恵さんの味そのまんまだよ。驚いたな」


 純也さんは愛美の料理の腕――というか再現度の高さに舌を巻いた。


「そんなに驚かなくても……。でも何より、こんなに空気の美味しい場所で食べられることが、一番のごちそうですよねー」


 昼食を平らげた愛美は、その場で伸びをした。

 

「うん、そうかもしれないな。何年ぶりだろう、こんなにのんびりできたの」


 純也さんはしみじみと言う。

 彼は普段、東京という大都会で時間に追われた生活を送っている。経営者には経営者なりの忙しさというものがあるんだろう。


「――あ、そういえば。去年の夏、わたし屋根裏部屋で、純也さんが子供の頃に好きだった本を見つけたんです」


 四月に寮に遊びに来てくれた時にも、五月に原宿へ行った時にも、純也さんに屋根裏部屋の話はしていなかったと、愛美は思い出した。


「えっ、屋根裏部屋? ――あそこ、まだあったんだ。もうとっくに物置と化してると思ってたよ」


「いえ、多恵さんがそのまんまにして下さってますよ。でね、その本をわたしも気に入っちゃって。そしたら多恵さんが、『愛美ちゃんにあげる』って。……ジャ~ン♪」


 愛美は自分のリュックの中からその冒険小説の本を取り出して、例の書き込みがある見開きを純也さんに見せた。


「うわ……。愛美ちゃん、見せなくていいって! なんか恥ずかしいから!」


「そうですかぁ? でもわたしにとっては、コレも純也さんの大事な成長の記録です。純也さんにもこんな時代があったんだなーって思ったら、楽しくて」


 黒歴史を暴露されたようで、慌てふためく純也さん。でも、愛美が楽しそうに話すので、彼女の笑顔を見るといとおしそうに目を細める。


「……まぁいいっか。――その本、面白いだろ? 愛美ちゃんも気に入ってくれてよかった。僕が同署好きになった原点だからね」


「はい。何回読んでも飽きないです。わたしもこんな小説が書けるようになりたいな。……あ」


「……ん?」


「わたし、文芸誌の公募に挑戦することにしたんです。で、短編を四作書いたんですけど、どれを応募しようか迷ってて……。純也さん、読んで感想を聞かせて下さいませんか? それを参考にして、応募作品を決めたいんで」


「いいけど、僕はけっこう辛口だよ?」


 ――なるほど、珠莉の言っていたことは正しいようだ。やっぱり純也さんの批評は厳しいようである。


「……分かってます。でも、できる限りお手柔らかにお願いしたいな……と」


「了解。できる限り……ね」


 純也さんはニッコリ笑った。けれど、ちょっと怖い。


(どうか全滅だけはまぬがれますように……!)


 一応、自分の文才は信じている愛美だけれど、ここは祈るしかなかった。書き手が「面白い」と思う作品と、読み手が「面白い」と感じる作品が必ずしも同じとは限らないのだ。


「――あ、そうだ。ホタルはいつ見に行く?」


「えっ、ホタル? わたし、純也さんにそんな話しましたっけ?」


 愛美は戸惑った。彼との電話でもメッセージのやり取りでも、一度もその話題には触れたことがなかったのに。

 〝あしながおじさん〟への手紙には、確かに「純也さんとホタルが見たい」と書いたことがあったけれど。どうしてそのことを、彼が知っているんだろう……?


「あー……、えっと。……田中さん! そうだ、田中さんから聞いたんだよ! 愛美ちゃんがホタルを見たがってるってね」


「ああ、おじさまから聞いたんですね。なるほど。ホタルは見たいです。純也さんと二人で」


「じゃあ見に行こう。えーっと、今夜の天気は……」


 純也さんがスマホで天気予報を検索し始めたので、愛美もそれにならった。


「――そのスマホカバー、使ってくれてるんだね」


 純也さんは愛美のスマホを見て、嬉しそうに言った。


「はい。あの日からずっと使ってます。だってコレは、純也さんが初めてわたしにプレゼントしてくれたものだから」


「そっか。大事に使ってくれてて嬉しいよ。――あ、今夜は曇りか。明日の夜は……」


 再び天気予報をチェックし始めた純也さんに、愛美が答える。


「明日の夜は晴れるみたいですね」


「よし! じゃあ明日の夜、ホタルを見に行こうか」


「はいっ! 楽しみです!」


 ――明日の夜、ついに念願が叶う! 愛美は心が躍り、そして――決意した。


(決めた! わたし、明日の夜、純也さんに告白する! ホタルの力を借りて……)


 今まで一年以上、ずっと彼に伝えられなかった想い。でも、ホタルに背中を押してもらえたなら、言えそうな気がした。


****


 ――翌日。この日は朝からよく晴れていて、暗くなってからもそのいいお天気は続いていた。


「わあ! キレイな星空……。ここから手を伸ばしたらつかめそう」


 ホタルが見られるという川辺まで歩いていく途中、愛美は満天の星空に歓声をあげた。

 一年前にもこの土地で同じように星空を眺めたけれど、今年の夏は好きな人と一緒。だからキレイな星もより光り輝いて見える。


「ホントだね。僕もこんなにキレイな星空、久しぶりに見たな」


 純也さんも頷く。

 東京ではこんなにキレイな星空は見えないだろうし、仕事に忙殺されていたら星空を見上げる心のゆとりもないのかもしれない。


 ――そして、愛美はこの時、ちょっとしたオシャレをしていた。


(純也さん、気づいてくれるかな……?)


 原宿の古着店を回って買った、ブルーのギンガムチェックのマキシ丈ワンピースに白い薄手のカーディガン。――愛美は小柄なので、サイズが合うものがなかなか見つからなくて苦労したのだ。

 足元はこれまた古着店で見つけた、ブルーのサンダル。少しヒールが高いので、若干歩きにくい。でも身長が高い純也さんに釣り合うように、どうしても履きたかった。


「――あれ? 愛美ちゃん、その服って原宿で買ってたヤツだよね?」


(やった! 純也さん、気づいてくれた!)


 愛美は天にも昇るような気持ちになったけれど、それをあえて顔には出さずにはにかんで頷く。


「はい。気づいてました? ……どうですか?」


「可愛いよ。よく似合ってる。愛美ちゃんは自分に似合う服がよく分かってるんだな。いつ見てもセンスいいよね」


「え……。そんなことないと思いますけど」


 愛美は謙遜した。「センスがいい」なんて言われたのは初めてだ。

 ただ自分の好きな色や、この低い身長に合う服を選んだら、たまたま似合うだけなのだ。


「そういう控えめなところも可愛いんだよなぁ、愛美ちゃんは」


「…………」


 愛美はリアクションに困った。純也さんは時々、真顔でこんなキザなことを言ってのけるのだ。しかも、それが全然イヤミにならないのだ。


「…………。もうそろそろ着くかな」


「……そうですね」


 なんとなく純也さんの方が気まずくなったと感じたのか、彼は取ってつけたようにごまかした。


 それから一分くらい歩くと、街灯ひとつない暗い川辺に人だかりができている。


「わぁ、スゴい人……」


「うん。愛美ちゃん、はぐれないように手を繋いでおこうか」


「……はい」


 愛美はそっと頷き、彼が差し伸べてくれた手を取った。その手の大きさ、温もりがすごく力強く感じる。


「キレイ……! 純也さん、ホタルってこんなにキレイなんですね……」


 あちらこちらで、黄色くて淡い光がすぅーっと飛び交っていて、明かりのないこのエリアをはかなげに照らしている。


「知ってる? ホタルって、亡くなった人のたましいが生まれ変わったものだって言われてるんだ」


「はい。何かの本で読んだことがある気がします」


 だからホタルの寿命は短くて、その命は儚いのかもしれない。


「もしかしたらこの中に、君の亡くなった両親もいるかもしれないね」


「純也さん……。うん、そうかもしれませんね」


 今からここで好きな人純也さんに想いを伝えようとしている我が子の背中を押すために、彼らはここにいるはずだ。


(……告白するなら今だ! 今なら言えるかもしれない)


 そして、彼の優しさに心動かされた愛美は、繋いだ手に少し力を込めた。


「……? 愛美ちゃん?」


「――純也さん、わたし……。あなたのことが好きです。出会った時から、初めて話をしたあの時からずっと」


 途中で一度ためらって、それでも最後まで言葉をつむいだ。

 初めての告白だし、ちゃんと伝えられたかどうかは分からない。ちゃんとした告白になっているかどうかも分からない。でも、今の彼女に言える精一杯の気持ちを言葉にした。

 

「純也さん……?」


 彼の顔を直視できずに(というか、ヒールを履いているとはいえ四十センチもある身長差のせいで見えないのだ)告白したけれど、彼からの返事が早く聞きたくて、愛美はもう一度呼びかけてみる。


「僕も好きだよ、愛美ちゃん」


「…………えっ?」


 彼の表情が見えない。聞き間違いかと思い、愛美は訊き返す。


「好きなんだ。君と初めて言葉を交わしたあの時から……多分ね」


 すると純也さんは、今度は愛美の目をまっすぐ見てはっきり言った。「好きだ」と。


「ホントに?」


「ホントだよ。僕がこんなことでウソつける男かどうか、愛美ちゃんも知ってるだろ?」


「それは……知ってますけど。だってわたし、十三歳も年下で、まだ未成年ですよ? それに、姪の珠莉ちゃんの友達で――」


「それでもいい。好きなんだ。だから、僕と付き合ってほしい」


 愛美はまだ信じられなくて、純也さんが断りそうな理屈を引っぱり出してみたけれど、それでも彼は引かなくて。

 でも、愛美に断る理由なんてひとつもない。彼が自分の想いを受け止めてくれたんだから、今度は愛美の番だ。


「はい……! こちらこそ、よろしくお願いします!」


 恋が実った喜びで胸がいっぱいになって、愛美は泣き笑いの表情で返事をしたのだった。


「よろしく。――じゃあ、そろそろ帰ろうか」


「はいっ!」


 こうして晴れて恋人同士になれた愛美と純也さんは、来た時と同じように手を繋いで千藤家への道を引き返していった。


「帰ったらさっそく、小説読ませてもらおうかな」


「……は~い。あんまり厳しいこと言わないで下さいね? わたしヘコんじゃうから」


「はいはい、分かってますよー」


 という楽し気な会話をしながら、愛美は心の中で天国の両親に語りかけた。


(お父さん、お母さん、見てる? わたし今、好きな人とお付き合いできることになったんだよ!)


 きっと見てくれていただろう。あの場所で飛び交うホタルに生まれ変わって――。

 

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