純也の来訪、再び。 ③

「でも、純也さんの考え方って立派だと思います。わたしもそういう人たちのおかげで、今日まで生きてこられたようなもんですから」


 まさに今この瞬間も、その恩恵おんけいにあずかっているのは愛美自身なのだ。


「そうだね。世の中には、国とか僕が参加してるNPO法人にたいなところの援助がないと生活できない人がまだまだいる。愛美ちゃんみたいにご両親のいない子供たちとか、生活保護を受給してる人たちもそうだね。僕たちは恵まれてることを、当たり前だと思っちゃいけないんだ。世の中に〝当たり前〟のことなんてないんだから」


 純也さんの言っていることの意味が、愛美には一番よく分かるかもしれない。

 この学校に入ってから、他の子たちが「当たり前だ」と思っていること一つ一つに、愛美はいつも感謝している。

 高校で勉強できること、三食きっちり美味しいゴハンが食べられること、お小遣いをもらって欲しいものが買えること――。


 もちろん、小説が書けることもそうだ。〝あしながおじさん〟が援助を申し出てくれなかったら、愛美は夢を諦めなければならないところだった。

 高校へも行かずに小説家になることは、不可能ではないけれどとても高いハードルを越える必要があるから。


「でも、ウチの親族は僕の考えを理解してくれないんだ。『そんなこと、バカらしい』って言われるんだよ。僕に言わせれば、他の連中の方がおかしいんだけどね」


「はあ……。きっと感覚がマヒしてるんでしょうね。お金があるのが当然みたいに。――あっ、珠莉ちゃんは違うよね?」


 愛美は慌ててフォローした。珠莉も最初はそういう子だと思っていたけれど、今は違う。本当はただの淋しがりやで、思いやりもあって、ただ素直じゃないだけだと分かっているから。


「お気遣いどうも、愛美さん。私も前はそうでしたわ。でもね、あなたやさやかさんとお友達になって、ちょっと価値観が変わったの」


「確かに、珠莉は昔会った時より人間が丸くなったな。こんないい友達に恵まれて、君は幸せものだと思うよ」


 純也さんは、姪の珠莉にそんな言葉をかける。さすがは親戚だけあって、彼女の幼い頃のことをよく知っているのだ。


「そういえば純也さん、一年前にお話した時は珠莉ちゃんのこと『苦手だ』っておっしゃってましたっけ」


「愛美ちゃん……。そのことはもう忘れてくれ」


 純也さんが、「余計なこと言うな」とばかりに愛美に懇願した。さすがに本人の目の前では言いたくなかったらしい。


「えっ、そうだったんですの?」


 と、珠莉が今更ながら驚けば。


「アンタさぁ、叔父さん困らせるようなこと、さんざんやってたんじゃないの? そりゃ迷惑がられるわ」


 と、さやかが彼女を茶化す。これは珠莉の図星だったらしく、珠莉はぐうの音も出なかった。


****


 ――楽しいひと時はあっという間に過ぎ、ケーキも紅茶もすっかりなくなった頃。


「愛美ちゃん、さやかちゃん、珠莉。僕はそろそろ失礼するよ」


 腕時計にチラッと目を遣った純也さんが、席を立った。


「えっ? ――わ、もうこんな時間!?」


 愛美も自分のスマホで時間を確かめると、もう夕方の五時前だ。

 純也さんが訪ねてきたのが三時半ごろだったので、かれこれ一時間半もこの部屋にいたことになる。


「じゃあ、三人で下までお見送りします」


 愛美たちは制服のまま、純也さんと一緒に寮の玄関まで降りていった。


「今日はありがとう。楽しかったよ」


「こちらこそ、色々話を聞いて頂いてありがとうございました。お気をつけて」


「うん。――愛美ちゃん、小説頑張ってね。いつか僕にも読ませてほしいな」


「あ……、はいっ!」


 愛美は満面の笑みで頷いた。

 

(やっぱりわたし、この人が好き。大好き!)


 会うたびに、声を聞くたびに、愛美の中で彼への想いはどんどん大きくなっていく。こんな気持ちは生まれて初めてだった。

 彼が十三歳も年下の、それもまだ高校生の自分をどう思っているのかはまだ分からない。でも、これが恋なんだと初めて知った一年前とは違って、もう不安はない。不思議だけれど、自分に自信がついた気がする。


 ――が、そんな愛美とはうらはらに、珠莉はなぜかけわしい表情をしていた。


「じゃあ、そろそろ行くよ」


「ちょっとお待ち下さい、叔父さま! ――お話があります。ちょっと来て頂けます?」


「…………え? 珠莉? 話って――」


「いいから来て下さい!」


 困惑する叔父の腕を、珠莉は有無うむを言わせない態度でグイッとつかんだ。


「どうしたんだろ? 珠莉ちゃん、なんか怒ってる?」


「……だね。あたしたち、片付けもあるし先に戻ってよっか。――珠莉ー! 先に部屋に行ってるからー!」


 さやかは珠莉の返事を待たずに、愛美を促してエレベーターに向かう。愛美は珠莉と純也さんとの話の内容が気になって仕方がなかった。


****


「――さやかちゃん。珠莉ちゃん、純也さんとどんな話してるんだろうね? わたし、珠莉ちゃんのあんな剣幕けんまく初めて見たよ」


 先にさやかと二人、三階の部屋に戻ってきていた愛美は、私服に着替えながらさやかに話しかけた。


「さあ? でも、あたしたちに聞かれちゃ困る話だってことは間違いないよね。内々で何かあるんじゃない?」


 親戚同士には、他人が踏み込んではいけない問題もあるのかもしれない。たとえそれが親友であったとしても。


「多分、訊いても珠莉も教えてくんないと思うよ。――愛美、洗い物するから、テーブルの上の食器、キッチンまで持って来て」


「うん、分かった」


 愛美はお盆をうまく利用して、お皿・フォーク・ティーカップと受け皿ソーサ―・ティーポットをキッチンまで運んだ。


「それだけの量、一人じゃ大変でしょ? わたしも手伝うよ」


「サンキュ。じゃあ、洗い終わった分を食器カゴに置いてくから、拭いて食器棚にしまってってくれる?」


 ――二人が手分けして片付けをしている間に、珠莉がひょっこり帰ってきた。

 純也をつかまえてひっぱっていった時の剣幕はどこへやら、何だか上機嫌だ。何があったんだろう?


「……あ、おかえり、珠莉ちゃん」


「ただいま戻りました。あら、お二人で片付けして下さってたの? ありがとう」


「いや、別にいいけど。アンタが素直なんて気持ち悪っ! 何かあったの?」


「さやかちゃん……」


 親友に面と向かって「気持ち悪い」と言ってのけるさやかに、愛美は絶句した。


(それ、思ってても口に出しちゃダメだって)


 そう思っているのは愛美も同じだけれど、間違っても口に出して言ったりはしない。施設で育ったせいなのか、場の空気を読みすぎるくらい読んでしまうのだ。


「叔父さま、無事にお帰りになったわ。それにしても、あんなに上機嫌な叔父さま、初めて見ました。いつもはあんな風じゃないのよ」


「えっ、そうなの?」


 愛美はものすごくビックリした。だって、一年前にこの学校に来た時だって、彼はあんなにニコニコして上機嫌だったのだ。逆に、機嫌の悪い彼なんて想像がつかないくらいに。


「それってやっぱ、アンタがウザいからじゃん? 違うの?」


「失礼ね!」


 またしても茶々を入れるさやかに、珠莉がムッとした。――ここで怒るのは、図星だからじゃないかと愛美はこっそり思う。


「……まあ、それは置いておくとして。叔父さまがあんなにご機嫌だったのはきっと、愛美さんのおかげかもしれませんわね」


「えっ? わたし?」


 愛美はまたビックリ。珠莉の言う通りだとしたら、一年前も愛美が案内役だったから上機嫌だったということだろうか。


「ええ。愛美さんのこと、すごく気に入ってらっしゃるみたいよ。よかったですわね、愛美さん」


「…………そうなんだ」


 愛美はその言葉がまだしっくり来ず、顔の火照りをうまくごまかせない。


(気に入ってるって、どっちの意味だろう? 姪っ子の友達として「あのコはいいコ」って意味? それとも、一人の女の子として……?)


 これは、この恋に希望があるということだろうか?

 でも、本当に有りうるんだろうか? あのステキなイケメンの(もちろん顔だけじゃないけれど)、しかもセレブの(愛美はそんなこと、別にどうでもいいと思っているけれど)純也さんが、こんな十三歳も年下の普通の女子高生に気があるなんて……!


「ええ、そうなのよ。『また会いたいな』っておっしゃってましたわよ」


「…………」


(珠莉ちゃん、一体どうしちゃったの? なんか今までになく、すごくわたしに協力的になってくれてる)


 もちろん珠莉も、さやかと同じく愛美が純也さん叔父に恋心を抱いていることは知っている。けれど、彼女は今まで、ただ静観せいかんしているだけのポジションだった。


(コレって、純也さんと話してたことと何か関係あるのかな……?)


 愛美はふとそう思った。確信はないけれど、何となくそう思ったのだ。


 珠莉は何か、純也さんの秘密を知っている。それが何なのかはまだ分からないけれど。そして多分、彼女はその秘密を自身の口からは教えてくれないだろう。叔父が自ら打ち明けるまで。


(本人が打ち明けてくれるまで、待つしかないか……)


 モヤモヤしながらも、愛美は自分の恋がほんの少しだけ進展を見せかけていることに喜びを感じていた。


****


『拝啓、あしながおじさん。


 お元気ですか? わたしは今日も元気です。

 今日の放課後、珠莉ちゃんの叔父さんが寮に遊びに来ました。高級パティスリーで買ってきたっていう、チョコレートケーキ1ホールを持って。

 チョコスイーツ好きのさやかちゃんはもうそれだけで喜んじゃって、わたしも純也さんが会いに来て下さったのが嬉しくて。そのままわたしたちのお部屋で、四人でお茶会をしようってことになりました。

 ケーキは純也さん自らが切り分けて下さって、一人二切れずつ頂きました。

 純也さんはわたしが冬に入院してたことを、珠莉ちゃんから聞いてたらしくて。心配して来て下さったそうです。でも、わたしの元気な姿をご覧になって、ホッとされたみたいです。

 みんなで色んなお話をしました。っていっても、ほとんどわたしと純也さんばかりお喋りしてたんですけど(笑)

 農園でのこと、純也さんの子供の頃のこと、わたしの小説がコンテストで大賞を頂いたこと、そして純也さん自身のこと……。

 純也さんは、おじさまのことをご存じみたいです。同じNPO法人で活動されてるっておっしゃってました。おじさまが初めて女の子を援助されることは伺ってたけど、それがわたしのことだと知って驚いたって。こんな偶然ってあるんですね。

 そして、純也さんは「楽しかったよ」っておっしゃって、すごく上機嫌で帰っていかれました。

 珠莉ちゃんが言うには、「純也叔父さまがあんなにご機嫌なのは愛美さんのおかげ」だそうです。わたし、すごく嬉しくて、ますます彼のことを好きになっちゃいました。

 あのね、おじさま。わたし、今日純也さんのおっしゃってたことで、すごく心に残ってる言葉があるんです。それは、「世の中に当たり前のことなんてないんだ」ってことです。

 今の日本って、法律で色んな権利が守られてるでしょう? でも、それを当たり前だって思ってちゃいけないんだな、って。一分一秒、自分が生かされてるこの瞬間に感謝しなきゃいけないな、って。

 わたしだって、今当たり前に学校に通えてるわけじゃない。両親が亡くなってから、わたしを育ててくれたのは〈わかば園〉のみなさんだし、おじさまがいて下さらなかったら、わたしは高校に入れなかった。だから、純也さんのおっしゃった意味が、わたしにはよく分かるんです。

 彼ご自身も、恵まれた境遇に生まれ育ったことを当たり前に思うことなく、私財をなげうって困ってる人たちの支援をなさってます。それって、なかなかできることじゃないですよね。でも、彼はそのことを「当たり前のことをしてるだけだから」ってサラッと言っちゃうんです! すごいと思いませんか?

 わたしもいつか、純也さんみたいな人になりたいです。そんなに大げさなことじゃなくていいから、困ってる人を見つけた時、そっと手を差し伸べられるような人になりたいと思ってます。

 ごめんなさい、おじさま。なんか純也さんのことばっかり書いてますね。もうこれくらいでペンを置きます。            かしこ


          四月 十二日   おじさまのことも大好きな愛美 』   

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