恋の予感…… ③
――信じられないことに、注文した品を二人がすっかり平らげてしまった頃。
「すみません、純也さん。わたし、ちょっとお手洗いに」
「ああ、うん。どうぞ」
――ものの数分で愛美が戻ってくると、純也はスマホに誰かからの電話を受けていたようで、せわしなく通話を終えようとしているところだった。
「愛美ちゃん、すまない。僕はここの支払いを済ませたら、急いで帰らなきゃならなくなったんだ。だから今日、珠莉に会う暇がなくなった」
「えっ、そうなんですか? 大変ですね」
純也は急いで席を立つと、レジで二人分の支払いをしてくれた。愛美も後ろからついていく。
「愛美ちゃん、今日はありがとう。楽しかったよ。珠莉によろしく伝えておいてくれるかな?」
「はい、もちろんです」
「よろしく頼むよ。じゃあまた」
「……はい。また」
純也は車が迎えに来るらしく、駆け足で校門の方まで行ってしまった。
(…………また? 〝また〟ってどういうこと?)
彼をポカンと見送っていた愛美は、首を捻った。
普通に考えたら、今日は会えなかった姪の珠莉に会うために〝また〟来るという意味だろう。でも、もしもそういう意味じゃないとしたら……。
(……なんて考えてる場合じゃなかった! 珠莉ちゃん待たせてるのに!)
しかも、彼女に会わずに純也は帰ってしまった。どちらにしても、怒られることは予想がつく。けれど、彼女の元に戻らないわけにもいかない。
(はぁー……、珠莉ちゃんになんて言い訳しよう?)
足取り重く、愛美が寮に帰っていくと、ちょうど補習授業を終えたさやかと珠莉も戻ってきた。
「愛美ー、おつかれ。補習終わったよー」
「愛美さん、今日はどうもありがとう。ムリなお願いをしてごめんなさいね。――ところで愛美さん、純也叔父さまはどちらに?」
(う……っ!)
珠莉にいたいところを突かれ、言い訳する言葉も思いつかない愛美はしどろもどろに答える。
「あー……、えっと。なんか急に帰らないといけなくなったっておっしゃって、ついさっき帰っちゃった……よ」
「はあっ!? 『帰られた』ってどういうことですの!? 私、言いましたわよね。補習が終わる頃に知らせてほしい、って」
(ああ……、ヤバい! めちゃくちゃ怒ってる!)
怒られる、と覚悟はしていた愛美だったけれど、予想以上の珠莉の
「純也叔父さまはあの通りのイケメンですし、気前もいいしで女性からの人気スゴいんですのよ! あなた、叔父さまを横取りしましたわね!?」
「別にそんなワケじゃ……。珠莉ちゃんには連絡しようとしたの。でも、純也さんに止められて」
「純也〝さん〟!?」
「まあまあ、珠莉。もしかしてアンタ、叔父さまにお小遣いねだろうと思ってたんじゃないの? だからそんなに怒ってるんだ?」
さやかは、珠莉が怒っている原因を「彼女自身が
「そ……っ、そんなんじゃありませんわ! さやかさん、何をおっしゃってるんだか、まったく」
(こりゃ図星だな)
さやかの読みは多分当たっているだろうと愛美も思った。
「言っとくけど、純也さんとは学校の敷地内歩きながらおしゃべりして、カフェでお茶しただけだから。――おごってもらっちゃったけど」
「なんですって!?」
「はい、どうどう。――それより愛美、アンタ顔赤いよ? どしたの?」
さやかはまだ怒り狂っている珠莉をなだめつつ、愛美の変化にも気がついた。
「えっ? ……ううん、別に何もないよ?」
慌ててごまかしてみても、愛美の心のザワつきはまだおさまらなかった。
(ホントにもう! わたし、どうなっちゃったの――?)
****
――それから数日間、愛美は純也のことばかり考えていた。
夜眠ろうとすれば夢の中にまで登場し、土日は寝不足で欠伸ばかり。三日経った今日は一限目から上の空で授業なんて耳に入らない。
「愛美、なんかここ数日様子がヘンだよ。ホントにどうしちゃったの?」
普段は大らかなさやかも、さすがに心配らしい。けれど、愛美自身にはその原因が何なのか分かっていないため、答えようがない。
六限目までの授業を全て終え、寮に戻ってきた愛美・さやか・珠莉の三人はまず寮監室に立ち寄った。普通郵便は個人の郵便受けに届くけれど、書留や小包みなどは寮監の晴美さんが預かり、本人に手渡されることになっているのだ。
そして今日は、愛美が待ちに待った〝あしながおじさん〟からの現金書留が届く日なのだ。
「お帰りなさい。相川さん、現金書留が来てますよ」
「わあ! 晴美さん、ありがとうございます!」
愛美は満面の笑みでお礼を言い、晴美さんから封筒を受け取った。開けてみると、中身はキッチリ三万五千円!
「コレでやっと金欠から脱出できる~♪」
何せ、財布の中には千円札が二・三枚しか入っていなかったのだから。
「――あ、それから。辺唐院さんには荷物が届いてますよ」
「はい? ……ありがとうございます。――あら、純也叔父さまからだわ」
珠莉が受け取ったのは、レターパック。差出人は純也らしい。
「えっ、純也さんから? 何だろうね?」
愛美もワクワクして、珠莉とさやかの部屋までついていった。彼女も中身が気になるのである。
何より、理由は分からないけれど気になって仕方がない
「あら、チョコレートだわ。三箱もある。しかもコレ、ゴディバよ! 高級ブランドの」
開封するなり、珠莉が歓声を上げた。
「えっ、マジ!? 一粒五百円もするとかいう、あの!? っていうか、なんであたしの分まで」
「あ、待って下さい。メッセージカードが付いてますわ。――『金曜日はありがとう。珠莉と愛美ちゃんにだけお礼を送るのは不公平だと思って、珠莉のルームメイトにも送ることにした』ですって」
「なぁんだ、義理か。でもあたし、チョコ好きだし。ありがたくもらっとくよ。でもコレ、もったいなくていっぺんには食べられないね。……ね、愛美?」
「…………えっ? あー、うん。そうだね」
さやかに話を振られ、愛美の反応が
「やっぱりヘンだよ、愛美。どうしちゃったのよ?」
「うん……。ねえ、さやかちゃん。わたしね、金曜日からずっと純也さんのことが頭から離れないの。夢にも出てくるし、授業中にもあの人のことばっかり考えちゃって。……この気持ち、何ていうのかな?」
さやかはその言葉を聞いて、全てを理解した。
「それってさあ、〝恋〟だよ。愛美、アンタは純也さんに恋しちゃったんだよ」
「恋? ――そっか、これが〝恋〟なんだ……」
愛美もそれでしっくり来た。生れてはじめての感情なのだから、誰かに教えてもらわなければこれが何なのか分からないままだったろう。
「にしても、初恋の相手が友達の叔父で、十三歳も年上なんて。大変かもしんないけど、まあ頑張って。……ところで珠莉、純也叔父さんって独身なの?」
確かに、彼くらいの年齢なら既婚者でもおかしくはないけれど。愛美は彼からそんな話は聞いていない。
「ええ、そのはずですわ。叔父の周りには打算で近づいてくる女性しかいらっしゃらないから、そもそも女性不信ぎみなんですって」
「女性……不信……」
愛美の表情が曇る。自分だって女の子だ。好きになってもらえるかどうか。
「大丈夫だって、愛美! アンタに打算なんてないでしょ? 彼がお金持ちだからとか、名家の
「うん。それはもちろんだよ」
お茶代だって、金欠でなければ自分の分は払うつもりでいたのだから。
「だったら可能性あるよ、きっと。だから自信持ってよ」
「うん! ありがと、さやかちゃん!」
愛美は大きく頷くと、チョコレートの箱を大事そうに抱えて自分の部屋に戻った。
――初めての恋。このドキドキの体験を、〝あしながおじさん〟に知ってもらいたい。愛美は便箋を広げ、ペンを取った。
****
『拝啓、あしながおじさん。
お元気ですか? わたしは今日も元気です。
この学校に入学してから早いもので一ヶ月半が経ち、学校生活にもだいぶ慣れてきたところです。
わたしは勉強こそできますが、どうも流行には疎いらしくて、クラスの子たちの話題になかなかついていけません。そんな時はさやかちゃんに訊いたり、スマホで調べたりするようにしてます。
ところでおじさま、聞いて下さい。わたし、どうも初めて恋をしてしまったみたいです。
お相手の方は、珠莉ちゃんの親戚で辺唐院純也さんという方。珠莉ちゃんのお父さまの一番下の弟さんだそうで、手短にいえば珠莉ちゃんの叔父さまにあたるそうです。
彼はおじさまと同じくらい背が高くて、優しくて、ステキな方です。ご自身も会社の社長さんらしいんですけど、お金持ちであることをまったく鼻にかけたりしないんです。「むしろ、自分は一族の中で浮いてるんだ」なんておっしゃってたくらいで。
金曜日、学校を訪れた彼を、補習があって抜けられない珠莉ちゃんに代わってわたしが案内してさしあげて、学園内のカフェでお茶もごちそうになりました。
本当はわたし、自分の分だけでも払いたかったんですけど、残念ながら金欠で。一人分で千八百五十円もかかったんですもん。
ところが、彼は珠莉ちゃんに会う前に急にお帰りになることになっちゃって。わたしに「またね」っておっしゃって行かれました。
多分、本当は珠莉ちゃんに会いたくなかったんじゃないかとわたしは思ってるんですけど。どうやら彼は、珠莉ちゃんのことが苦手らしいので。
珠莉ちゃんは叔父さまに会えなかったから、わたしが叔父さまを横取りしたってめちゃくちゃ怒ってました。
あの叔父さまはものすごくイケメンで、気前がいいから女性にすごく人気があるんだそうです。そして、彼女はどうも、叔父さまにお小遣いをねだろうと思ってたみたいです。
それ以来、珠莉ちゃんはわたしと口もきいてくれなかったんですけど。今日純也さんから「金曜日のお礼に」って高級なチョコレートが三箱届いて(さやかちゃんの分もありました)、すっかり彼女の機嫌は直ったみたいです。
わたしはというと、あの日からずっと純也さんのことが頭から離れなくて。夜眠れば夢に出てくるし、授業中もついついあの人の顔が浮かんできて、得意なはずの国語の授業中に先生の質問に答えられなくて注意されました。
こんなこと、生まれて初めての経験で。「これはなんていう感情なの?」って二人に訊いたら、さやかちゃんが教えてくれました。「それは〝恋〟だよ」って。
恋をするって、こういうことだったんですね。本では読んだことがあったけど、実際に経験するのはまた別の感覚です。ドキドキしてワクワクして、フワフワした気持ちです。
もちろん、おじさまはわたしにとって特別な存在です。なので、いつかおじさまもわたしに会いに学校まで来て下さらないかな。校内を案内しながらおしゃべりしたり、お茶したりして、わたしとおじさまの相性がいいのか確かめたいです。それで、もしも相性が悪かったら困っちゃいますけど、そんなことないですよね? おじさまはきっと、わたしを気に入って下さるって信じてます。
では、これで失礼します。大好きなおじさま。
五月二十日 愛美より 』
****
手紙の封をし終えると、愛美は純也が送ってくれたチョコレートを一粒口に運んでみた。
「美味しい……。こんな美味しいチョコ食べたの初めてだ」
それが高級ブランドのチョコレートだからなのか、好きな人からの贈り物だからなのかは分からない。
でも、愛美はできれば後者であってほしいと思った――。
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