第765話 とうだいかふぇ



『灯台カフェ』



 正面の席に座っているのは、スポーツ紙のパズルで脳トレをしているらしい白髪。

 右側は還暦前後の小柄な女性で、モーニングサラダを食べながら本を読んでいる。

 左側は耳の遠い老人二人連れで、聞きたくもない会話が逐一耳に飛びこんで来る。

 窓側の定位置の男性は紙誌も読まず、スマホも見ず、独りの世界に籠もっている。


 まあ、ざっとこんな感じだろうか、平日の朝7時開店のカフェのもようは……。

 スタッフは20代から40代ぐらいのバイトかパートだが、客の大方は年配者。

 9時近くに打ち合わせのスーツ姿が混じるまで、まるで高齢者施設である。(笑)

 

 かくいう自分もそのひとりで、毎朝の筋トレ効果で、歳より若く見えるはずと自負しているが、ネット小説のカクヨムと相変わらずの長時間読書のせいで老眼が進み、「照明の明るい席をお願いね」と注文をつけるだけ、むしろ厄介な客かもしれない。


 

      🏠



 いろいろ試した末に、昼間は紙の本、夜間は活字の大きさが変えられる電子書籍に落ち着いたいま、カフェで開いているのは、かつてひと通り読んだ宮本輝さんの作品群だが、今朝は内容が少し重苦しい『錦繍』ゆえ、釣られて気分も沈みがちになる。


 とそのとき、老人二人連れの一方がいきなり怒声をあげた。

 驚いて見やると、80代半ばぐらいの顔を紅潮させている。

 これだからオジイサンはいやだ、頑固だし、威張っていて。


 小説にもどろうとした脳裡を、思いがけない情景が通り過ぎた、それもアップで。

 あれは舞鶴にある灯台の近くのカフェで隣り合ったポパイみたいな米兵さんの腕。

 こういう人たちと戦争をしたのか、日本もまあ、なんと無謀なことを、と思った。


 老人の罵声から、マッチョな図体に似合わないパフェを食べていた若い米兵の笑顔が引き出されたのは、『錦繍』の主人公が薄幸な少年期を過ごしたのが舞鶴であり、バイオレンスが小説のメタファーのひとつになっているからではなかったろうか。

 


      🚢



 ありがちな勘違いと分かり、老人の口論は沙汰やみになったらしい。

 いくぶん気まずい雰囲気を取り成すようにジャズピアノが床を這う。

 小説にもどりながら、そういえば……とまったく別のことを考えた。


 舞鶴とよく似た地名が神奈川県にある。


 舞鶴。

 真鶴。


 まいづる。

 まなづる。


 漢字でも読みでも一字だけのちがいだが、かたや西日本の日本海側、かたや東日本の太平洋側で、若狭湾の大浦半島と相模湾の真鶴半島、地形も似ており、そのうえ、地名のいわれまで「鶴が舞うとき羽を広げたよう」という不思議な相似関係である。


 人口は舞鶴の十分の一という真鶴を訪ねたことはないが、なんとはなしの親しみを感じるのはかつて読んだ川上弘美さんの『真鶴』の印象が濃かったからで、失踪した夫が残したメモに真鶴の地名というファクターも『錦繍』と呼応し合うようで……。



      🌎


 すっかり仲直りした老人の話題はウクライナ情勢に飛んだ。

 知識が少ないらしく、的外れもいいところだが……。(笑)

 ま、平和ならいいっか~、迷惑な大声を聞き流して考える。


 代表作のひとつ『坂の上の雲』の取材で日露戦争を知り尽くした司馬遼太郎さんによれば、ヨーロッパに強烈なコンプレックスを持つロシアは英雄的自己肥大に陥り、国家の確立は国力の伸長(他国侵攻)以外にないと伝統的に思いこんでいるそうだ。


 であるならば、もともとソビエト連邦内の兄弟であったはずのウクライナ侵攻にはいっそうの大義があることになり、世界中から疎まれながらトップを支持する国民性の摩訶不思議さにも、しょうことなしに、うなずけるような気もして来るのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る