第763話 ばんしゅう



 単発の掌編の下書きが溜まる一方のカヨさん。

 時折り、このサイトに移させていただきます。


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『播州のこと』


 浅学とは、まことにもってあさましきもの。

 かえすがえすも汗顔の至りにてござ候。💦


      *


 ある朝、とつぜん、耳たぶが熱くなりました。

 その理由は読んでいた本の一節にありました。


 江戸時代の事件が起こるべくして起こった歴史的風土は120年前にさかのぼる。すなわち、江戸城松の廊下で播州赤穂藩主・浅野内匠頭が、いきなり幕府高家筆頭・吉良上野介に斬りつけた不可解な事件の根は、本能寺の変の直前、信長に命じられた秀吉が播州三木城を攻めた際、頼みの毛利氏の支援を得られないと知った智将・長治は果敢に戦った士卒をねぎらったあと、庭に紅梅が香る30畳の客殿に白綾しらあやのふとんを敷き、妻子と実弟夫妻ともども自刃を遂げた……。辞世に「いまはただうらみもあらじ諸人の命にかはる我身と思へば」と詠んだ高潔な、ある意味ストイックともいえる精神が受け継がれ、内匠頭の凶刃、さらに、いわゆる赤穂義士を産んだのだと。


      *


 まさに目から鱗とはこのこと。👀

 

 同節を提唱された司馬遼太郎さんは生粋の関西人、かく申す自分は中部圏の人間。

 ある歴史的事件を西から見るのと東から見るのとでは、様相が反転するのですね。

 (ちなみに、関西を上方と呼ぶのに対し、関東を下方と呼ばないのはなぜでしょう)


 というのも、かつて、歴史短編小説『赤穂事件の真実――吉良義周の述懐』を執筆したとき、関東と関西のほぼ真ん中に位置しながらも、どちらかといえば東京寄りの観方を取りがちな自分は、執筆動機から関東視線に偏っていたことに思い至り……。


 京に御座所が置かれた時代。

 鎌倉で武士が台頭した時代。

 大坂が政の中心だった時代。

 江戸幕府を経て明治維新へ。


 秋津洲あきつしまに織りなされた歴史の延長線に生きる現代人のDNAが、各自の出自の地域の文化風土と無縁であろうはずがないことに、いまさらながら気づいたのです。

 (同じ司馬さんによる「800年前の日本人同一祖先説」は置くとして(笑))


      *


 浅学を露呈した作はすでに何編も発表済み……。

 ゆえに、遅きに失した感は免れ得ないのである。


 ではあるものの、せめてこれを機といたしたく。

 今後の筆勢の慎重をお誓いする所存にてござ候。

 

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