第22話:静海さんの理由

「おや、珍しい。『鬼の静海』が、新人に説教されているじゃないか。こんな光景が見られるなんて、たまには早く帰って見るもんだねぇ」


僕が静海さんを問い詰めていると、そんな声が共有スペースに響いてきた。


それまでの剣呑とした雰囲気に似つかわしくない声だった。


しかも、状況を把握していてなお、そんな声なんだ。


来華らいか・・・」


突如乱入してきた声の主は、弱々しく静海さんが呟いたとおり、このアパートの主、津屋さんだった。


「幸太、あんまりこの子をいじめないでやっておくれ」


「いや、いじめてなんか・・・」

「この子って・・・」


僕と静海さんが、それぞれ津屋さんに抗議の声を漏らした。


「智恵、いいかい?」

「・・・・えぇ」


静海さんの応えに頷いた津屋さんは、静海さんの隣に腰を下ろすと、当たり前のように目の前に置かれた缶ビールへと手を伸ばした。


、缶ビールに。


いや、いいんだけどさ。


「話は玄関まで聞こえていたから大体の事はわかってるよ。幸太、あんた、静海の噂を聞いちまったんだろう?」

ビールを口にしてそういう津屋さんに、僕は頷き返した。


「その噂は、確かに事実さ」

「そ、そうですか・・・」

津屋さんの登場に何かを期待していた僕は、うなだれた。


きっと本当は、静海さんは人を潰すようなことはしていない。

心のどこかでそう思い込んでいた。


だからこそ、津屋だったら真実を話してくれる。

静海さんが、そんなにひどい人じゃないという真実を。


そう思っていたからこそ、僕は余計に津屋さんの言葉にショックを受けた。


「だがねぇ、この子にだって、それなりの理由があるんだよ?」

「理由、ですか?」


「今じゃ課長補佐だなんて大層な役職についている智恵だけどねぇ、昔は、仕事でミスばかりする、そりぁ役に立たない子だったんだよ」

津屋さんがそう言うと、静海さんはどこかバツが悪そうに缶ビールを口に運んでいた。


えっと・・・

え?静海さんが仕事でミス?

信じられない。そんなふうには見えないのに。


いや、でも、今それが関係あるんだろうか?


「それのどこが、これまでの話に関係あるんだろうって思ってるね?」

僕の心を見透かしたように笑う津屋さんに、僕は再び頷いた。


「智恵はね、昔は散々上司から叱られていたもんさ。あたしらが若い頃は、今のようにパワハラなんて言葉はなかった。

あの頃は、どんな暴言だってまかり通っていたもんさ」

津屋さんが遠くを見見つめてそう言うと、いつの間にか近くのソファーに座ってこちらを伺っていた吉良さんも、ウンウンと強く頷いていた。


「そんなこの子は、どうしたと思う?」

津屋さんは静海さんへと視線を送り、僕へと問いかけた。


「どうって・・・」

「努力したのさ」

僕が答えに迷っていると、津屋さんは笑顔でそう答えた。


「言われたことはメモをする、分からない事はすぐに調べる、仕事の出来るやつを観察して、その真似をする。

そんな簡単なことを、この子はやったのさ。愚直とも言えるほどに、ね。

そのうちに、この子を罵倒する上司の声は聞こえなくなっていった。

それからすぐにこの子は結婚して、公私共に順風満帆な生活を送るようになった」


え、静海さん結婚してたの!?

旦那さん居ないって言ってたような・・・


「この子が変わったのは、その旦那が、事故で若くに亡くなってからだよ」


津屋さんの声が、共有スペースに響いた。


乱入してきたときのような声じゃなく、どこか、淋しげな声だった。


その隣で静海さんは、肩を震わせて、うなだれていた。

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