第308話 10月26日(入口は、きっとそれでいいんだよね……)
剣道以外に新しいことをする。
これまでも考えない訳ではなかった。
ただ、困ったことに剣道以上の何かなんてそうそう思いつかないのだ。
「へぇ……」
数枚の写真を眺めつつ、茉莉は感心した様子で「コレ、彩弓さんが?」と訊ねる。
「そう。いつの間にこんな上手になったんだか」
切り取られた夕焼けを見つめながら、やれやれと呆れた。
今思えば、平日の夜からでも平気な顔で家へ来る彩弓さんと、休日に会うことが少なかった理由はコレだったんだろう。
ふと、真剣な表情で無骨な一眼レフカメラのファインダーを覗く彩弓さんが思い浮かんだ。
彼女は安いカメラしか持っていなかった筈だが――いや、もう新しく、高い相棒を購入してるかもしれない、なんて空想する。
近頃は彩弓さんの家へ遊びに行くことがなかったけれど――きっと、以前お邪魔した時とは違う、趣きのある部屋になっている筈だ。
(掃除……ちゃんとしてるか心配だな)
一瞬、新しく買った機材や、それらを梱包していた段ボールで溢れかえる部屋が見えた。
そして、そんな想像をしていると――、
「羨ましい?」
――なんて、予想外の質問が飛んで来る。
「顔にそう書いてあるよ」
驚きのあまり頬へ触れ、ある筈のない文字を探してしまった。
「……そんな風に見えた?」
「まあね。ただ、気持ちわかるよ。文化祭終わってからずっと勉強ばかりだもんね」
その場で、猫みたいに丸まりながら伸びをする茉莉の顔にも『遊びたい』と書いてある。
「ま、大人にも色々あるんだろうけどさ……あたしも早く大学に行って、今はできない、新しいこと思いっきりやりたいよ」
「え?」
「ん?」
それは、茉莉にとっては何気ない言葉だったろう。
けれど――、
「……そっか。そうだよね?」
「ちな?」
――『新しいことに挑戦する』という言葉を難しく考えていた私にとっては、衝撃的な一言だった。
「私、少し勘違いしてたかもしれない」
「……何を?」
「新しく何か始めるって――なんて言うか、楽しくていいんだよね?」
「そう、だね?」
幼い頃から剣道は好きだ。
けれど、最初から好きだったかと訊かれても覚えてないし、苦しかった思い出もある。
上達するには努力が必要で――きっと、剣道以外に新しことを始めるなら、同じだけか、それ以上の苦さが伴わねばならないと……勝手に思い込んでいた。
まあ、どんなことでも上達したいなら苦しみは勝手に伴うだろうし……きっと私だって、入口は『楽しい』からで良いのだろう。
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