第203話 7月13日(……なんか、すごく恥ずかしいんだけど)

 教師が授業をする声に、蝉の鳴き声が混じる。

 耳を澄まさずとも聞こえてくる大合唱にうんざりしつつ……ふと、一体どこで鳴いているのかと窓の外へ目を遣った。

 しかし、教室で制服姿のまま筆記具を握る私には……蝉の影すら見つけられない。

 ずっと昔、虫網を握る彼の後ろにくっついていた頃は、捕まえようとしていた彼よりも見つけるのが上手かったのに。


 きゅっと、筆記具を握る指に力がこもる。

 黒板へ視線を戻しながら、つい、『もう、自分が子どもではなくなってしまったんだな』と郷愁ノスタルジックに浸った。

 直後、


「ここまでいいか?」


 教師の声で、はっと我に返る。

 気付けば知らない内に、ずいぶん黒板へ書かれた文字が増えていた。

 視線が忙しなくノートと板書ばんしょの間を行き来する。

 けれど、教師が黒板消しへ手を伸ばし始めた瞬間、スマホが振動した。


 メッセージ通知。


 今日、この時間に送って来る相手は一人だけだ。

 隠れてスマホを取り出した途端、液晶画面に表示されたのは――、 


『勝ったぞ』


 ――という、短い吉報。


(……よかったね)


 次に顔をあげた時、黒板は真っ白になっていた。



 夜。時間が近付いて来たので、新しい方のランニングシューズへ踵を滑り込ませる。

 ちょっとはこっちにも慣れて来たかな……と考えつつ靴紐を結んでから外へ出た。

 すると、今日は珍しく彼が家の前まで迎えに来ていて――突然、昔はよくこうして幼い彼を玄関戸の前で待たせていたなと思い出す。

 そして、彼の手に虫網や虫かごがないかと探している自分を見つけた時は、思わず笑いそうになった。


「なんか、楽しそうだな?」


 彼から訊ねられ「ええ、まあ」と素っ気なく返す。

 でも……この懐かしい気持ちを一人で完結させてしまうのはあまりに味気ない気がして、


「昔、二人で蝉取りをしたの覚えてますか?」


 と、玄関戸を開けながら訊ねたのだが――、


「蝉取り? ああー……そう言えば、二人で夜に蝉を探しに行ったことがあったっけ」


 ――彼から答えが返って来るなり、首を傾げてしまった。


「……夜に? 蝉を?」


 普通、夜に虫取りと言ったらカブトムシだと思う。

 それに、わざわざ夜に探さなくても蝉なんて昼間にいくらでも見つかる筈だ。


 というか、蝉って夜はどこにいるんだろうか?

 なんて疑問が浮かんですぐ、


「覚えてないか? ちなが昔、蝉って夜はどこにいるの? って訊いてきたから二人で探しに行ったんだろ?」


 と聞かされ……こどもの時から自分は何も変わってないんだな、と思わされてしまった。

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