第202話 7月12日(夏休み、どうしよう……)

「あつー……」


 下敷きで頬をあおぐ茉莉の口から、茹で上がった声が漏れる。

 だから私も、彼女の隣でノートをうちわ代わりにしながら「……ん。暑いね」なんて返すのだが……お互い暑さに参っているだけで、なんの生産性もない。

 すると、そんなやり取りに嫌気がさしたのか、茉莉の方から話題を転がして来た。


「ねぇ……ちなはさ、夏休みどうするの?」

「夏休み? 普通に受験勉強とかするけど」


 直後、親友の瞳から急速に温かみが失われる。

 向けられた視線は、まるで道端に落ちたアイスキャンディーを見るように冷め切っていた。

 しかし、その程度水道水の水温くらいの冷ややかな眼差しに今更動じたりはしない。


「何か間違ってる? 私達、受験生でしょ。それとも、茉莉はもう一年高校生をやるつもり?」


 平気な顔で訊ね返すなり、茉莉は「そんなつもりないけどさー……」と間延びした声を挙げた。


女子高生だよ、あたし達。最後の夏休みだし、どっかに遊び行きたいじゃん……去年はちなも部活やってて全然誘えなかったしさ」


 その後、茉莉は『一緒にお出掛けしたくないの?』と小首を傾げて見せる。

 同性ながら愛らしい仕草だとは思うが……秋と比べたら愛嬌が足りない。


「思い出が作りたいだけなら夏休みじゃなくてもいいんじゃない?」


 けれど、冷めた態度であしらったのも束の間――、


「そんなこと言って……冬になったら出掛けたがらないくせにっ!」


 ――間髪入れず、茉莉に痛い所を衝かれてしまった。


「何か、間違ってる?」

「ううん……間違ってない。でもさ――」


 ふと、手が止まる。

 頬を撫でていたぬるい風がなくなると……口から、楠の名前が漏れていた。


「――楠が最後まで勝てば、茉莉とも一緒に出掛けることになるでしょ?」


 恋人同級生が全国大会に出場する。

 その応援に行くというのは、結構な出来事の筈だ。

 野球部の勝利を願う意味でも、素直な気持ちで言葉にしていたのだけれど、


「……それは、確かに結構なことだと思うよ?」


 茉莉は強く否定することもなく、ただ呆れたように続ける。


「だけど……ちな、わかってる?」

「……何を?」

「大会が終わった後も、夏休みはあるってこと」

「そんなの……――」


 『わかってる』と言うつもりでいた。

 だけど、途中で声が途切れたのは……はっきりと想像していなかったからだ。

 大会が終わった後、楠と普通の恋人になる自分の姿を。


「……夏休み、どうするの?」


 再び茉莉から転がって来た質問。

 それは先程よりも、とても重たく感じた。

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