第198話 7月8日(やっぱり私は、優しくないな……)

「あ! そう言えばさ、ちなは七夕やった?」


 放課後、茉莉から訊ねられて静かに首を振る。

 しかし、全くやっていないと言うのは適切じゃないと思い、


「あー……でも、短冊に願いごとを書こうとはしてたけどね」


 正しく言い直す。

 すると、茉莉は首を傾げてしまった。


「え? なんで書かなかったの?」

「書こうとした時、傍に彼がいて、願いごとを覗き見されそうで嫌だったから」


 直後、茉莉は「なんか子どもっぽい理由」と言って眉をひそめる。


「そういう茉莉はどうなの?」


 訊ね返した途端、彼女は「あたし? 書いたよ?」と答えた。

 ……私から言わせれば、十八歳にもなって七夕に願いごとを書く方が子どもっぽいのだけど。


「うちには陽菜がいるからね。小さな笹飾りを買って、玄関に飾るの」

「ああ、そっか……ちなみにどんなこと書いたの?」


 次の瞬間、茉莉の唇は不機嫌そうに歪んだ。


「自分だけ訊くのってずるくない?」

「そう? でも、しょうがないでしょ。私、書かなかったんだから。書きたい願いごともなかったし」


 開き直るように告げると、茉莉は「願いごともなかったねぇ」なんて呆れた声を返した。


「……何?」

「だって、明日でしょ? 野球部の試合」

「……そう、だけど?」

「だったら、野球部が勝てますように、くらい書いてあげても良かったんじゃない?」


 街中に「あっ」と短い声がこぼれて消える。

 胸の奥から、さぁっと冷たい感情が押し上げてきて……それはそのまま自己嫌悪に繋がった。


「……そっか。そうだよね」


 無意識で顔を俯け、視線が落ちる。

 視界に入った歩幅は心なしか普段より狭く思えて、楠を気遣えなかった自分が情けなかった。

 なのに、


「ごめんっ、ちな」


 茉莉は慌てて『ごめん』と口にする。


「しょんぼりさせるつもりなんてなくて、ただ――」

「ううん。茉莉は悪くないでしょ」


 彼女は言葉が遮られると、口惜しそう唇を嚙みしめた。


「……私って、優しくないね」


 誰に受け止められることもなく、呟いた言葉が落ちていく。

 見えない石ころを蹴るように歩く私の隣へ――、


「ちなは、めんどくさいけど……めんどくさいだけで、ちゃんと優しいよ」


 ――茉莉はゆっくりと歩調を落としながら並んでくれた。


「…………」


 まだ、あの場所に笹飾りはあるだろうかなんて考える。

 いや、例えあったとしても今更、楠の勝利を願えない。

 きっと今、胸の中にあるのは……純粋なお願いなんかじゃないからだ。


 だからせめて『負けないで』と……心の中で呟いた。

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