第104話 4月5日(ちゃんと食べて行く暇あるのかな……?)
朝。瞳を開けた途端、目前に彩弓さんの顔があった。
「……彩弓さん?」
「……んぅ」
呼んでも反応は薄く、重たく閉じられた
これでは意味のある返事などとても期待できなかった。
だが、そもそも無理やり起こす必要がない。
私は何気なく彼女の寝姿を見守ることに決めたのだけど――、
「……」
――しばらくもせず、彩弓さんが眩しそうに陽光から顔を背けた瞬間、
「……あ」
蝉の抜け殻よろしく布団へしがみついたまま寝返りをうった彼女の影に……隠れていた目覚まし時計を見つけた。
短針が『8』を指している。
「……彩弓さん? 彩弓さんっ」
指に力を込め、強く彼女の肩を揺すった。
しかし、効果はない。
後はもう、頬をつねったり、叩いたりするしか思いつかなかった。
「……よし」
即、彩弓さんの頬に向かって指が伸びていく。
けれど、彼女の頬へ影が落ちた時――ちょっとしたアイデアが浮かんだ。
それは、どちらかと言えば悪戯に近い発想だ。
だけど、
「……彩弓さん、早く起きないと置いていきますよ?」
そう、くすぐるように耳元で囁けば……彼女は不思議と起きる気がした。
直後、垂れさがった髪に表情を隠したまま、彩弓さんが私へと振り向く。
彼女ははっきり聞き取れない言葉を呟くとぴたりと静止し、
「……あの、彩弓さん?」
次の瞬間、唐突にがばっと起き上がった!
濁点に片栗粉をまぶしたみたいな長く細いうめき声が、彩弓さんの口から漏れていく。
だが、彼女は息が途切れた際にうめくのをやめると、
「あぁー……肩、
ほつれた毛糸が絡まり合って解けなくなったような、こんがらがった悲鳴をあげ……――、
「……いま、なんじ?」
「8時46分です」
「……はち――8時46分っ!?」
――私の返答を聞くなり驚いて意識がすっ飛んできた。
頭上に結んだ糸を無理やり引っ張り上げられたみたいに、彩弓さんの背筋がびんっと伸びる。
彼女は『なんで起こしてくれなかったの?』なんてベタな台詞は吐かず、
「ごめん、ちーちゃんっ! パンだけ1枚焼いてくれないっ?」
粗末な朝食を要求した。
「……いいですけど。まずは顔を洗ってくださいね」
頷くなり洗面所に消えていった背中を見送り、キッチンへ向かう。
私は朝食用のパンを一枚手に取り、
「やばっ、寝過ぎたっ! なんでこんな熟睡してたんだろ、バカみたい。会社に電話っ――」
慌てて口早に独り言を呟く彩弓さんのために、
「……はぁ」
パンをトースターへ押し込むのだった。
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