第97話 3月29日(……なにが、そんなに特別なの?)

「どうだった? お泊り」


 珈琲カップを傾けていると、彼から質問が飛んできた。


「どうって……彩弓さんの手料理を食べて、普通に話しただけ」


 素っ気なく答えた後、彼の顔が『それだけ?』と言っているみたいに見える。

 それが、とても癪だったので――、


「彩弓さんがカレーを作ろうとして、ハヤシライスができたりはしましたけど」


 ――詳細は告げず、意味がわからなくなるように教えた。

 すると、


「いやいや、なんでカレーがハヤシライスになるんだよ」


 案の定、彼は頭上に疑問符を浮かべる。

 しかし、


「……あ、カレーのルゥと間違えた、のか?」


 案外、すぐ真実へ辿り着いてしまった。

 それから、疑問が解消してすっきりしたのか、満足げな表情で珈琲に口をつける彼へ――、


「ねぇ、彩弓さんの部屋に飾ってある写真……覚えてますか?」


 ――私は、あの写真について訊ねる。


「どこかは知らないけど、二人で映ってるやつ」


 一瞬、これだと情報が少なすぎるかな? なんて思ったのだが、


「ああ、千葉のランドマークを背景にしてるやつか」


 答えはすぐに返ってきた。

 つい、二人で撮った写真をいちいち覚えてるなんてウザい……と、思ってしまう。

 けれど、


「彩弓さんと二人で映ってるのはあれしかないからな、すぐわかるよ」


 続いた一言で、彼の言葉に抱いた印象はがらりと変わった。


「そう、なの?」

「ああ。付き合う前、学生の頃に撮った写真でさ。俺が免許取ってすぐなのに、急に県外まで迎えに来いって言われたからよく覚えてる」


 付き合う前からそんなことをしていたのかと、頼む方にも断らない方にも呆れつつ、


「……あれ?」


 一つ、気になることができて口を開く。


「付き合ってから撮ったことないの?」

「ん。ないよ」


 彼はあっさりと答えた。


 それは二人らしいと言えばらしいのかもしれない。

 何より、付き合ってから写真を撮らないというのがなんだか彩弓さんっぽい。


 だけど――だったら何故?


 学生時代に撮った写真は、何がそこまで特別なんだろう?


 付き合い始めて記念日に撮った写真というなら……大事にしたくなるのも

 でも、そうじゃない。


 どうして彩弓さんは付き合う前の写真を大事にしているんだろう?

 しかも、それ以降に写真を撮っていないなんて……。


「……」


 私にも、彼と撮った写真ならある。

 けれど、特別大事にしたい一枚なんてものはない。

 

(……どうして?)


 あの写真が、どうして特別なのか……。

 いくら考えても、答えは決して出てこなかった。

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