第79話 3月11日(……言えますよ。社交辞令でいいのなら)

「答辞! 卒業生代表――」


 教師に続き「はい」という返事が聞こえた。

 壇上へ上がっていく先輩の後姿には……見覚えがない。


「……」


 答辞を読み上げる声がマイクに拾われ、体育館内へ響く。

 しかし、


「――うっ、ひっく……せんぱぁい」


 聞こえてくる定型文よりも、前列で泣きじゃくる夕陽の方が気になった。

 彼女は仲の良い友人に隣から優しく肩をさすられている。

 泣きじゃくる夕陽と先輩たちの背中を見比べ……自分は冷めた人間だな、と悲観した。


(……けど、今の先輩たちとはあんまり仲良くなかったし)


 誰に対してなのかわからない言い訳を胸の内でこぼす。

 それから私は、仲間探しをするように周囲へ視線を泳がせた。


 夕陽と同じく、感情豊かに先輩たちを想える方が稀有なのだと安心したい。


 ひとまず、見知った顔から目線を向けてみると、


「……」


 しれっとした顔で、静かに先輩たちを見つめる楠がいた。


(ちょっと意外……楠、先輩とも仲良さそうなのに)


 ひょうひょうとしている楠の横顔に、私はひとり満足して頷く。


(……ん、わかるよ。お世話になったとはいえ、そうそう泣いたりできないよね)


 後で『みんな泣きすぎじゃない?』と声を掛けに行こうかとも考えた……次の瞬間――、


「送辞! 在校生代表――くすのきしずか!」

「はい!」


 ――教師に名前を呼ばれ、楠は立ち上がった。

 

(……うらぎりものめ)


 壇上へ向かう背中に刺すような視線を向けた途端、楠の肩がびくりと震えた。



「そっか、今日卒業式だったか……」


 カップへ珈琲を注ぎながら、彼は物憂げに頷く。

 その眼差しはどこか遠くを見つめ、思い出に浸っているようにも見えた。


「……どこ見てるの?」


 ぽつりと呟くように訊ねる。

 直後、彼は珈琲をこぼしそうになり「熱っ――」と短い悲鳴が口から漏れた。


「ほら……よそ見してるから」

「はは……だな」


 彼の眼差しが、再び珈琲へと注がれる。

 二人分のカップがいっぱいになっていく様子を眺めながら、


「はぁ……」


 気付けば溜息を吐いていた。


「卒業式って、そんなに感慨に浸るものですか? イマイチ、よくわからない」


 傍のクッションを八つ当たりするように強く抱きしめる。

 綿が寄る程にぎゅっとしていると、彼は笑いながら珈琲を差し出してきた。


「まあ、俺も泣いたことはないから気持ちはわかるよ」

「……そう」


 受け取った珈琲に口をつけて答える。


「別に、訊いてないけど」


 次はドリップコーヒーが飲みたいな、なんて卒業式と関係のないことを考えていた。

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