22‐5.医官さんの怪談です
“――その時兄は、一隊員として遠征へ出ていた。波に揺られながら船の周りを監視していると、不意に強い風が吹いた。船が大きく揺れ、思わずたたらを踏んでしまう。これだけの風ならば、もしや今夜は嵐か? 兄はそう思った。しかし、空はいたって快晴。風も湿っているわけではない。だが、ただの潮風というわけでもない。何とも言えぬ感覚を覚えたらしい。すると、兄のすぐ傍で指導に当たってくれていた先輩隊員が、ぽつりと呟いたんだ”
アルジャーノンさんは、静かな表情で、ドラゴンさんの羽を一つ揺らしました。
“――『今夜は、ランプ上官がきそうだな』、とな”
ランプ上官?
不思議なお名前に、わたくしは小首を傾げます。
“――その先輩曰く、ランプ上官とは、昔この船に乗っていた隊員のことらしい。勿論、本名ではない。だが、もう随分と前に亡くなった方なので、誰も名前を知らないんだ。だから、あだ名でランプ上官なのだと。その話を聞いて、兄は疑問に思った。何故先輩は、随分と前に亡くなった方に対して、きそうだな、と言ったのか、と”
一定のテンポで紡がれる言葉が、辺りへ流れていきます。他の班員さん達がおどろおどろしい声色で語っていた分、怖さを全く覚えません。寧ろ、安心して聞いていられます。
“――兄は、自分の疑問を先輩にぶつけた。すると先輩は、にんまりと笑いながら、教えてくれたらしい”
曰く、ランプ上官は、アルジャーノンさんのお兄様が乗っていた船の、守り神なのだそうです。
上官は、遠征中の事故で亡くなった。このように風の強い、妙な天気の時に。だからこそ、他の隊員が同じ目に合わないよう、すぐ傍で守ってくれているのだ。
船に乗る隊員さん達の中では、そのように語り継がれているお話なようです。
“――けれど、兄は信じなかった。馬鹿馬鹿しい作り話だと、話半分に相槌を打った”
アルジャーノンさんの代わりに、無機質な声が語り続けます。
“――すると、淀みなく口を動かしていた先輩は、急に声を潜め、兄へ顔を近付けた。『でもな、ランプ上官は、俺達を守ってくれるだけの存在じゃあないんだ』。そう言って先輩は、意味ありげに笑った。何とも含みを持たせた言い方に、兄は思わず、どういうことかと尋ねた。そうしたら先輩は、一層声を潜めて、囁く。『軍人として相応しからぬ行いをした者は、容赦なく上官に罰せられるのさ』、と”
アルジャーノンさんの説明によると、昔の海上保安部は、今よりも規律が非常に厳しかったそうです。ほんの僅かでも破ろうものなら、即刻罰を与えられたのだとか。場合によっては、連帯責任として、班員全員で何かしらをやることもあったみたいです。
『良かったですね、レオン班長。昔の海上保安部にいなくて』
もし当時に、特別遊撃班のようなやりたい放題な班があったら、さぞ肩身の狭い思いをしたことでしょう。いえ、いっそ益々反抗的となり、上官を煽りに煽っていたでしょうか。レオン班長達が、多少の罰如きで大人しくなるとも思えませんしね。
“――ランプ上官は、規律に殊更厳しい方だった。罰として殴り付けるのは日常茶飯事。酷い時は、寝ずの番を連日やらせたり、足を縛って船から吊るすなんてこともあったそうだ。だから隊員達も誤魔化そうとするが、ランプ上官には通用しない。例え星の光さえない夜でも、小さなランプ片手に現れては、僅かな違和感も見逃さず、速やかに違反者を捕まえて処罰する。その手腕と、灯りを反射して輝く瞳の恐ろしさから、ランプ上官、というあだ名が囁かれるようになったらしい”
アルジャーノンさんの指が淀みなく動いては、言葉を入力していきます。
“――上官が亡くなった時、内心ほっとしていた隊員もいたとかいないとか。少なくとも、目の上のたんこぶが一つ消えた、位には思われていたのだろう。だからか、ランプ上官が守り神として現れる、という噂が出回った時、複雑な思いを抱いた者はそれなりにいたようだ。好奇心のままに、面白可笑しく話をする者達も、現れた”
何故この世に留まっているのか。
自分の死に納得がいかないから浮かばれないのではないか。
実は反りの合わなかった隊員に殺されたのではないか。
だから相手に復讐する為、上官は船の上をさ迷っているのではないか。
“――勿論、ただの噂でしかない。けれど、規律を守らなかった隊員に不幸が訪れていたのは本当なようだし、中には大怪我を負って退職に追い込まれた者もいた。そういうこともあって、ランプ上官の話は海上保安部内に広がり、未だ語り継がれている、というわけだそうだ”
アルジャーノンさんは、小さく息を吐き出しました。
本当に極々軽い動作だったのにも関わらず、辺りへ妙に大きく響きます。
何故なら、キャンプファイヤーを囲む皆さんが、一様に静かだからです。
わたくしも、レオン班長に体を寄り添わせつつ、気配を消すかの如く大人しくしております。
“――『だから、ランプ上官の気配を感じた日は、絶対に規律を守るんだぞ。特に夜は早く寝ること。今は多少の夜更かしも問題ないが、ランプ上官は違うからな。見つかろうものなら、小さなランプ片手に現れ、罰を与えるんだからな。分かったな』。先輩はそう締め括った。しかし兄は、やはり信じなかった。学生時代によくある七不思議のようなもので、本当に幽霊が現れるわけがない、と内心失笑しつつ、先輩の忠告に頷いてみせたのだった”
こちらの様子が変わったことなどお構いなしに、機械はアルジャーノンさんが入力した言葉を、淡々と読み上げていきます。
そのあまりの無機質具合が、段々と恐ろしくなってきたと申しますか、心なしか、寒気のようなものを覚え始めました。
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