21‐3.下手くそです



『な、何って、通信機だよ。見れば分かるじゃん』

『通信機片手に、お前はここで何をしてたんだ?』

『別に、普通に、通信してただけですけど?』

『誰と?』

『誰って……と、友達だよ、友達』

『こんな普段誰も使ってない部屋で、なんで友達と喋ってたんだ?』

『そりゃあ……ちょ、ちょっと、お父さんとか、お母さんには、聞かれたくない内容だったって、言うか』

『ほーぅ? いつもリビングのソファーに寝っ転がりながら、通信機で友達とがはがは笑ってるのにか? 軍内のスキャンダルだか嫌いな上司の悪口だかで、大盛り上がりしてるのにかぁ?』

『そ……そうだよっ。どこの隊で修羅場が起きたとか、気に食わない先輩の失敗談とかで、大盛り上がりしてるのにだよっ』

『じゃあ、なんで自分の部屋で喋らねぇんだ。俺達に聞かれたくねぇだけなら、わざわざ俺の部屋を使う意味なんかねぇだろう』



 クライド隊長は、どんどんラナさんを追い込んでいきます。ラナさんもどうにか対抗しておりますが、通信機から流れ出る声は、少しずつ余裕を失くしていきました。このままでは、負ける未来しかありません。



「……ちっ」



 レオン班長も、わたくしと同じ未来が見えたのでしょう。毛のない眉をきつく寄せると、わたくしの耳をこれでもかと揉んできます。



『レオン班長、いけませんよ。ラナさんだって頑張ってくれているのですから』



 窘めるも、レオン班長の眉間の皺は消えません。ライオンさんの尻尾でソファーの座面を叩いては、堪え切れぬ溜め息を、口の端から零しました。




『……おい、ラナ』




 不意に、通信機の奥から、一段と低くなったクライド隊長の声が、聞こえます。




『今、その通信機から、舌打ちが聞こえたような気がするんだが』

『き、気のせいだよ、気のせいっ。きっと、あれだね。飲み物を飲んで、カップから口を離す時に、思わず音を鳴らしちゃったんだろうねっ』

『ついでに、動物っぽい鳴き声もしたんだが』

『それは、あれかなっ。友達の飼ってるペットかなっ』

『ペットねぇ。一体何の動物だ?』

『そ、それは、その、あれだよ。犬だよ、犬っ。飼ってるわんちゃんが、飼い主に構って欲しくて、思わず声を出しちゃったんだよっ』

『ほーぅ、随分と変わった鳴き声の犬だなぁ。犬種はなんだ?』

『け、犬種? 犬種はぁ……な、何だったかなぁー。雑種、だったかなぁー?』

『雑種? 本当か?』



 クライド隊長の声が、つと、重さを増しました。




『シロクマの間違いじゃねぇのか?』




 その言葉を最後に、静寂が流れます。



 ですが、漂う空気は、非常に緊迫していました。



 今にも、ぎくり、という音が聞こえてきそうです。





『………………そ……そそそっ、そぉんなことないよぉっ! シ、シロクマの鳴き声なんて、そんな、ぜぇーんぜんっ、聞こえてなんかないってぇっ!』





 残念ながら、負ける未来がやってきてしまったようです。





 わたくしは、思わず前足でお顔を覆いました。レオン班長も、掌で目元を押さえます。今にも、下手くそか、と言わんばかりです。



「……下手くそか」



 あ、本当に言いました。どうにも我慢出来なかったようです。



 ですが、レオン班長。ラナさんも頑張られたと思いますよ? なんせラナさんは、マティルダお婆様の娘さんなのですもの。

 マティルダお婆様も、それはそれは嘘の下手な方でした。



 レオン班長のご実家でお世話になっていた時の話です。

 お婆様はある日、わたくしをご自分の職場へ連れていこうとされました。ですが、レオン班長が了承する筈も許可をする筈もありません。

 そこでお婆様は、こっそりと連れ出すことにしたようです。わたくしを軍服の上着の中へ隠すと、これで完璧だ、とばかりに頷き、意気揚々と出勤していきます。



 当然、すぐさまクライド隊長に見つかりました。なんせ、あからさまにお腹が膨らんでいるのですもの。疑問に思わぬわけがありません。

 しかしマティルダお婆様は


「流石はクライド。よく分かったな」


 とクライド隊長に惚れ直されていました。

 そういう方の娘さんなのですから、寧ろ取り繕おうとしただけ褒められるべきでしょう。




「はぁ……」



 まぁ、結果はあれですけれども。




『おい、今、間違いなくレオンの声が聞こえたぞ』

『気のせいっ、気のせいだってお父さんっ。そんな、お兄ちゃんの声が聞こえるわけないじゃないですかっ』

『なら、その通信機貸せ。確かめさせろ』

『ちょっ、止めてよっ。こっちこないでっ。こないでったらっ! ニンニクの臭いが移っちゃうでしょっ!』

『いいから貸せっ。貸せっつってんだろうっ』

『あーっ、止めてぇーっ! ニンニク臭くなるから触らないであーっ! いやぁぁぁーっ!』



 どたんばたんという騒々しい音と、ラナさんとクライド隊長の怒鳴り合いが、通信機から流れ出てきます。具体的に何が起こっているのか定かではありませんが、取り敢えずラナさんが奮闘している様子はしっかりと伝わってきます。

 クライド隊長のご立腹っぷりも、よくよく伝わりました。



『あぁっ? なんだこのシグナル番号はっ? あいつまさか、もう一台持ってんのかっ?』

『ちょっとっ! 娘の通信機を勝手に弄らないでよっ! 返してっ! かーえーしーてぇぇぇーっ!』

『おいラナッ。てめぇ、なんで黙ってたっ。レオンに繋がるシグナル番号は、全部教えろっつっただろうがっ』

『はぁぁーっ? 言っただろうがとか言われても、私、そもそも了承してませんけどぉっ? むしろ嫌だって言いましたけどぉぉぉーっ』

『嫌だじゃねぇよっ、この馬鹿っ!』

『馬鹿ってなによ馬鹿ってっ! こっちはねぇっ、お父さんとお兄ちゃんに挟まれて、それはもう大変なんだからっ! どっちも妥協しないし歩み寄らないしで、めっっっちゃ気ぃ使ってるんですけどぉっ! 大体、お父さんが鬼のように連絡しまくるから、お兄ちゃんはシグナル番号を教えないんだって、そろそろ学んで欲しいんですけどぉぉぉっ!』

『煩ぇっ! 俺だって好きでやってんじゃねぇよっ! あいつが無駄に抵抗してくるから、仕方なくやってんだっ! つーかよぉっ、前々からずーっと思ってたがっ、お前はなんでレオンの味方ばっかするんだよっ! あいつがどれだけ周りに迷惑掛けてるか分かってんのかっ? あぁっ!?』

『はぁぁぁぁーっ!? 何それっ! 私が悪いって言うのっ!? そもそもお兄ちゃんは、お父さんの子供なんですけどぉっ! 息子の躾けについて娘を責める前に、まずは自分の育て方を見直した方がいいんじゃないですかぁっ!』

『もう何度も見直したわっ! だがなぁっ、こっちにはマティルダがいるんだぞっ!? 俺がどれだけ気を付けてても、あいつはほんの僅かな隙を見つけては、レオンを変に褒めながら野放しにするんだっ! これ以上伸び伸び育たないよう、俺がどれだけ努力したことか……っ! お前は全然分かってねぇんだっ!』

『それに関しては本当ごめんっ! そうだよねっ! お母さんが育てたんなら、そりゃあお兄ちゃんもこうなるわっ! そんな中での子育ては、さぞ大変だっただろうねっ! しかもその後私が追加されたんでしょっ! 本当にお疲れ様っ!』



『ん? どうしたラナ。私を呼んでいたようだが、何かあったか?』



『げっ、マティルダ……ッ!』

『なんだクライド。そんなに目を見開いたりして。お前はどんな表情をしていても可愛らしいな』



 遂に、マティルダお婆様も登場してしまいました。

 いよいよ混沌としてきた場に、レオン班長もわたくしも、思わず目を瞑ります。



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